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ANN名物プロデューサー・冨山雄一さんが語る『オールナイトニッポン』〈前編〉

ANN名物プロデューサー・冨山雄一さんが語る『オールナイトニッポン』〈前編〉

みなさん、ラジオ聴いてますか?人気パーソナリティが勢ぞろいする『オールナイトニッポン』をラジオ大好きGINZA編集部がチラりのぞき見!


 

もうすぐ55周年!
ANN人気の理由

ニッポン放送の深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』(AM1242+FM93)。今年から『オールナイトニッポンX(クロス)』も始まり、午前0時から明け方まで3部構成となった「深夜の解放区」は大賑わい。半世紀以上も愛され続ける長寿番組の秘密とは。

わんばんこ。それはかつて笑福亭鶴光が流行らせた土曜深夜の挨拶。全国のPTAから「聴いちゃいけないラジオ番組」のレッテルを貼られた下ネタ満載の「深夜の解放区」から生まれた言葉だ(説明するのは野暮だけど、「こんばんは」の逆さ言葉です。念のため)。当時中学生だった福山雅治も熱心なリスナーだったそうで、のちに自身もパーソナリティに抜擢されるようになると、鶴光にオマージュを込めたトークを展開、男性リスナーから絶大な人気を集めたのは有名な話だ。

ニッポン放送のラジオ番組「ANN(オールナイトニッポン)」がいまアツい。ラジオってひと昔前のメディアじゃない?なんて言うのは大間違い。下に掲載したANNの番組表を見てほしい。

オールナイトニッポン

菅田将暉に星野源、Creepy Nuts、フワちゃん、ぺこぱ、マヂカルラブリー、霜降り明星、SixTONES、そしてキング・オブANNのオードリーなどなど、月曜日から土曜日まで、俳優、ミュージシャン、芸人、アイドル、ずらり人気者がそろったパーソナリティはANN史上最強の布陣といっても過言ではく。なんといっても彼らの〝トークライヴ〟を毎晩生で、しかもタダで聴けてしまうとあれば、聴かない手はないのである。

ということで、ANNがいかにして人気コンテンツになったのか、その秘密を探るべく、有楽町のニッポン放送へ。名物プロデューサー、トミーこと冨山雄一さんに話を聞いてみた。まずは、今年55年目を迎える「深夜の解放区」の歴史から。

 

ANNが築いた
カウンターカルチャーの歴史

オールナイトニッポン

「放送開始は1967年10月2日。若者をターゲットにした深夜放送ということで始まりました。60年代〜70年代はまだテレビでは若者向けの深夜放送をやってなくて、『パックイン・ミュージック』(TBS)や『セイ!ヤング』(文化放送)といったラジオの深夜放送が若者の文化を作っていたんです」

学生運動華やかなりし頃。新しい音楽やカルチャーを教えてくれる深夜放送は当時の若者たちのサンクチュアリ。時には「兄貴分」のパーソナリティにハガキを送り、モンモンとした気持ちや悩みを打ち明けることも。最初は社員アナウンサーたちがパーソナリティを務めていたが、73年以降は、泉谷しげるやあのねのね、吉田拓郎など当時人気だったフォークシンガーが若者の代弁者として担当するように。ANNは現在もシンガーソングライターやミュージシャンがパーソナリティを務めることが多いが、その起源はここにある。そして、76年には、当時〝密室芸〟が話題だった新進気鋭の芸人タモリも抜擢されている(タモリは83年まで7年間担当)。

「いまもそうですが、メインカルチャーとカウンターカルチャーが混在するのがANNの伝統。だから、世の中にまだ認知されていない人やエッジイな人を積極的にパーソナリティにすることも多く、80年代になるとテレビが全盛期を迎え、ビートたけしさんとかとんねるずとか、バラエティ番組で活躍する芸人さんが登場する一方で、テレビにはめったに出ない中島みゆきさんがパーソナリティを務めたり。90年代もナインティナイン、ウッチャンナンチャンなどと並行して、電気グルーヴやTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉さん、YUKIさんなど濃いリスナーを持つアーティストも登場しました」

しかし、それまでユースカルチャーを牽引してきたANNだったが、2000年代に入ると低迷期に突入してしまったという。

「インターネットの時代となり、ラジオ全体があんまり注目されなくなったと感じました。僕は今年39歳でアラフォー世代ですが、中高生の頃は、ラジオリスナーはすでに少数派。それでもクラスで聴いてる人はポツポツいたし、ラジオを楽しむ文化はまだありました。でも、一回り下の世代になると、ラジオの代わりにパソコンでニコニコ動画を観るのが流行り、新しい音楽もラジオではなくニコ動で知るというのが主流になったんです。それがやがてYouTubeになり、TikTokへと移り変わっていくわけですけれど」

なかなか立ち位置が見つからなかったANNだったが、2010年、インターネットを通してラジオを聴くシステム「radiko」が始まる。ネットに抗えないなら、そこにラジオを組み込もうという考え方だが、受信機がなくても聴けるというのは画期的。都内に高層ビルが林立したため悪化してしまった電波状況を解消する目的もあったという。

「最初は若い人の利用者数があんまり伸びなかったんです。パソコンがないと聴けなくてハードルが高かったから。でも、徐々にWi-Fi環境が整い、携帯もスマホが主流となり、radikoがアプリのひとつとなってからは利用者数が劇的に伸びました。そして16年、聴き逃した番組が1週間以内はいつでも聴けるタイムフリーのサービスが開始されるとまた広がった。そこでANNを初めて聴いた、ラジオ自体を初めて聴いた、という人が増えたんです。そもそもラジオは、仕事をしながら、家事をしながら、何かをしながら聴く〝ながらメディア〟。そこにリアルタイムじゃなくてもいいという機能が加わったのは大きいです」

ツイッターなどSNSとの相性の良さが発揮されるようになったのもradiko以降。

「それまで英字でしか表記できなかったハッシュタグが『#星野源ANN』など日本語での表記が可能となって、SNSでの視認性が高くなったことも大きくて、番組の存在はもちろん、若い世代にはまったくなじみのなかったラジオそのものを知ってもらうことができるようにもなったんです。00年代はラジオを持ってる人自体が少なかったのに、いまは1人1台、スマホの中に持って歩ける時代になったんです。不思議なものですよね」

しかし、時代の渦の中、浮き沈みがあるとはいえ、番組が半世紀以上も続いていること自体が興味深い。いまでは、それがニッポン放送の歴史であり、ある意味、日本のサブカルチャーの歴史にもなっているのだ。

「苦しい時代を含め、何度かやめるタイミングはあったと思うんです。実際、他局の名物だった深夜番組は終わってしまいました。でも、ANNだけはそのスタイルを守り続けたんです。だって、55年前からやってることは変わらないんですよ。生放送で、パーソナリティがリスナーからきたハガキやメールをリアルタイムで読むという。時代が何周もしてようやくラジオに追いついたというか、戻ったというか。僕は、07年から10年まで放送していた『小栗旬のオールナイトニッポン』を担当させてもらいましたが、『聴いてました!』と言われるとすごくうれしくなるんです。radikoが始まる前だったので、電波状況が悪い中で聴いてくれていたと思うと、戦友みたいに感じるんです」

ところで、冨山さんが思う「伝説のパーソナリティ」というと誰なのだろう?

「各時代にリスナーの皆さん、それぞれいると思うんですが、僕の中では、吉田拓郎さんとナインティナインですね。レジェンドです、どちらも。まず、拓郎さんは1970年代から2020年代の現在に至るまで6年代にわたりANNと名前のついた番組でしゃべってるんです。すべての時代を経験しているのは拓郎さんだけ。拓郎さんはいまも月1回放送の『オールナイトニッポン GOLD』をやっていて、僕がディレクターも担当していますが、実は、最後にお会いしたのは去年の2月。コロナ禍で1年以上会ってないんです。電話とメールだけでやりとりして、拓郎さんが自宅で収録した音声がデータで送られてくるという。すごいレジェンドです。そして、ナインティナインは今年で28年目。レギュラー陣の中でいちばん長い。矢部(浩之)さんは20年6カ月で卒業して去年また復帰しましたが、岡村(隆史)さんは28年ずっと続けているんです。途中、体調不良で休んだ時期もありましたし、録音だった時期もあるんですが、基本、94年4月から毎週木曜日の深夜は有楽町にいる。夜10時半に入って、リスナーが投稿してきたネタに目を通し、どれを読むか自分で選び、深夜1時からの放送に備える。とにかく2人がカッコいいんです」

ちなみに、ナインティナインのネタ投稿はハガキが基本。メールやツイッターの投稿が主流のいま、ハガキを貫き、ハガキを基本ベースに募集するのは彼らの番組だけだという。

「リスナーからのお便りは、ハガキ、ファックス、メールと時代とともに変遷してきましたが、やっぱりデジタルでの投稿になるとどうしても密度が薄くなっていく。一時期、ツイッターを読み上げるのがラジオ全般で流行ったんですが、ANNに関してはメールに戻ったんです。パーソナリティが読む投稿はメールで、リスナーがワイワイ感想を実況するのはツイッターと棲み分けができた気がします。SNSによってリスナーの幅が広がり、どんなふうに聴いて、どんなふうに楽しんでいるのか、リスナーが可視化されたことは作り手としてはとってもありがたいです。投稿をメールに戻したのは、ある程度、パーソナリティに読んでもらうことを考えて送られてくるメールのほうが一手間入るし面白いからなんです。その究極形がハガキだと思います。わざわざハガキ代63円を払ってまでネタを書くところにプライドさえ感じます。まさしく〝ハガキ職人〟なんですよね」

冨山雄一 とみやま・ゆういち

1982年東京都生まれ。大学卒業後NHKに就職、2007年ニッポン放送へ。ANNでは岡野昭仁、小栗旬、AKB48、山下健二郎などでディレクターを務める。

Photo: Natsumi Kakuto  Text: Izumi Karashima

GINZA2021年6月号掲載

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