25 Aug 2020
関係とか再構築ってなんだろう?異なる分野を横断する展覧会「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」の舞台裏。アーティスト・下道基行×人類学者・石倉敏明インタビュー

こちらの記事で紹介したアーティゾン美術館で開催中の展覧会「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」。参加作家のうちアーティストの下道基行さん、人類学者の石倉敏明さんにお話を聞いた。もともとの展示のコンセプトだった、大きな自然災害が増えつつある中での地球と人間の関係は、コロナ禍においてますます切実な問題となっている。
アーティゾン美術館の初の試みでもある、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館「帰国展」の開催からわかった、美術展を「再現する」ことの難しさと面白さ。そして、展示にこめられた地球と人間の関係の現在について。浮かび上がってきたのは、「関係性を再構築」することの大切さだった。
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館での展示風景 Photo: ArchiBIMIng
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館が“帰国する”とは?
──ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の帰国展を、アーティゾン美術館で開催するのはこれが初になります。実際に取り組んでみていかがでしたか?
下道基行(以下、下道): 今回は、かつてやったライブのDVDをつくったみたいな感じです(笑)。出来上がってみて気づいたのは、日本館とはだいぶ違うこと。再現できないものを再現しているのが楽しいですね。ただ、入口脇に映している映像作品は新作なので手ごたえがあります。これは、日本館を再現したはりぼての外壁に、本物の日本館の壁を映した映像を投影している作品です。
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館外観 Photo:ArchiBIMIng
石倉敏明(以下、石倉): 実際の日本館は、周りに各国のパビリオンがあって百花繚乱の祝祭の中にあります。そこから切り離して再現しようとしているのがおもしろいなあと。見る人にとっても、それが違うとわかっていてあえてやる奇妙さやざらっとした感触が残ると思います。実は、この距離感は人類学者が感じがちなことでもあって。
例えば研究として各地域に赴き、現地の祭祀に参加することはありますが、僕らは祭りの当事者でもないし、文化の一員にもなりきれない。常に居心地の悪さと良さがせめぎ合う感じです。そういう意味ではこの展示も、中央の再現部分に浸かりつつ、外側は少し距離をとって見てもらえるんじゃないかな。
帰国展にて初出品となった、下道さんの新作映像。下道基行《無題》2019年、1分26秒50、ビデオ(ループ) Photo:ArchiBIMIng 写真提供:アーティゾン美術館
内側と外側。入れ子状の構成の理由
──中央に再現部分があって、周りにプロセスのドキュメンテーションや関連作品などがあります。この構成はどうやって決まったのでしょう?
下道: 外側の空間で大事なのは、日本館でやったことによって発生したものが置かれていることですね。当然ですが、昨年の日本館の後には新たな思考や作品が生まれていて、少し先に転がっている。今回、プロジェクトの振り返りをカタログとしてまとめたのもそうだし、作曲家の安野君は、論文を書くために改めて大学院生になったし。作家たちも次に動き始めていることが、外側にはあるんです。
石倉: 書割的に再現することによって、内と外がすごく意識される感じはありますね。過去のことを再帰的に考える機会として、この形にしたのは良かったと思います。
帰国展に合わせて発行されたカタログ『Cosmo-Eggs | 宇宙の卵―コレクティブ以後のアート』より
帰国展の展示風景 Photo: ArchiBIMIng 写真提供: アーティゾン美術館
──ドキュメンテーションやプロセスを展示する場合、どうしても歴史資料館のように少しお勉強っぽい雰囲気になりがちですが、そうなっていないところが不思議でした。
石倉: 文字量は多いんですけど、そんなに種明かししてないんですよね。
下道: 種明かしするんだったら、壁にドカーンとこれは日本館の何分の一スケールですとか、書いちゃうよね(笑)。あとは、純粋にプロジェクトの記録という意味では、ウェブの方が合っているのかも。だから展示では別のことをやっています。
石倉: 外側にある資料を見ながら勉強して、最後に再現部分で体験してくださいね、ではないんです。それぞれの要素がどれくらい広がりをもっているのかをここでは試しているので、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館を変奏した状態を見てもらう感じなのかなと。
「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」の公式ウェブサイト。プロジェクトのプロセスが詳細に書かれている
コレクティブでやることは、バンドっぽかった
──ふだんはバラバラに活動している作家がひととき集まってチームとなって取り組むことも、「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」の特徴ですね。
下道: 日本館のセッションは、ぎりぎりのバランスで成立していました。通常のグループ展は、キュレーターの意図で作家がセレクトされて、各自作品を持ち寄ります。今回はそうではない。僕らはガチでそれを表現としてやってみた。それはあまりないことで、バンドっぽいと思った理由もそこにあります。お互いが干渉しあって、作品が溶けあう部分が少しずつあった。帰国展に際しては、もう一回コラボレーションしようかという案もありましたが、やめました。それよりは、何が残されて、何が残されなかったかの方に興味が向いていたので。
日本館の展示風景。中央のバルーンに人が座り、会場に流れる音楽や映像を楽しんでいた Photo: ArchiBIMIng
石倉: 再現することに重きをおいてこの形になったというより、キュレーターの服部さんが書いているように、「関係性を再構築する」なんじゃないかな。再現部も、あらゆる点で日本館と違うところはあるわけです。ただ、関係性を構築しなければ、そういった変更も判断できない。現在、アフターコロナとかウィズコロナとか言われていますが、コロナとの関係だけではなく、その前の災害と人間の関係とか、人間同士の関係とかを再構築しないと対処できないですよね。そういう時代なので、関係とか再構築ってなんだろう?という可塑性とか関係性の問いは感じてもらえると思います。
再現部の入口 Photo:ArchiBIMIng 写真提供:アーティゾン美術館
日本館の入口 Photo: ArchiBIMIng
コロナ禍のことも、いつか忘れていく。それを引き受けて表現すること
──たしかに今は世界中がコロナ禍で、日本では毎年のように記録的な自然災害が生じたり、アメリカを発端にBLMが起きたり、いろいろなことが一気に噴出している感じがあります。
石倉: どれも、今新しく出てきた問題ではなくて、ずっと潜在していたものが社会の表面にあふれてきたという印象です。「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」では、僕らもそれぞれのフィールドで深めてきたことを、「今度はこう出そう」という感じで再構築しているんだと思うんです。
下道: 今大変でも、どうせみんな忘れるみたいに言われてますよね。それで、これをどう忘れないか?をたくさん議論しているけれど、僕は、たとえ石碑に刻んでもラジオで語っても忘れると思う。でも、そのことを引き受けた上で、ある表現の形になり抽象化されたものがあれば、言葉で100年前にこういうことがありましたではない根本的なものが伝わるんじゃないかと考えています。映像作品の「津波石」は、説明としてではなく、それがどういう環境にあって、どういう歴史をもっていてとかを表現にこめていって、ぎゅっと圧縮しています。100年後も、その時のリアリティで受け止めてもらえるモニュメントがあるはずなんです。
帰国展再現部の壁に彫られた神話 Photo: ArchiBIMIng 写真提供: アーティゾン美術館
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館では、創作神話を英語で壁に彫っていた Photo: ArchiBIMIng
石倉: 「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」のために書いた創作神話は、島々に行って調べた歴史を神話化しているんです。あれは特定のエリアを想定して3つの地域を設定しているのですが、完全に架空のお話として読む人もいるでしょう。
下道: たしかにこの神話は沖縄や台湾など地域の歴史を含んでいるんだけど、同時に僕ら4人の作家のメタファーとも捉えられる。別々のところからやってきた4人が集まって、喧嘩しながらそれぞれの能力を出し合って(笑)。
石倉: 神話の中には、疫病や津波や地震といった出来事から生じるたくさんの生と死が含まれているんです。そして、生き残った人たちの希望も。どんどん起きたことを忘れていく中でどうやって僕らは生き残っていくのかを、この展示を通して考えてもらえたらいいなと思います。
左から、キュレーターの服部浩之さん、アーティストの下道基行さん、人類学者の石倉敏明さん
下道 基行 したみち・もとゆき
1978年生まれ。美術家。代表作に、日本の植民地時代に残された世界各地の鳥居を撮影したシリーズ《torii》や、大津波により海底から陸上に運ばれた巨石を取材し撮影したシリーズ《Tsunami Boulder》がある。
石倉 敏明 いしくら・としあき
1974年生まれ。人類学者。秋田公立美術大学美術学部准教授。神話や宗教を専門とし、アーティストとの協働制作を行うなど、人類学と現代芸術を結ぶ独自の活動を展開している。

柴原聡子
建築設計事務所や美術館勤務を経て、フリーランスの編集・企画・執筆・広報として活動。建築やアートにかかわる記事の執筆、印刷物やウェブサイトを制作するほか、展覧会やイベントの企画・広報も行う。企画した展覧会に「ファンタスマ――ケイト・ロードの標本室」、「スタジオ・ムンバイ 夏の家」など