華やかな銀座の裏側に流れるもうひとつの時間。 ある夜、若松英輔さんと歩いた、もうひとつの銀座をご案内しよう。
銀座を知り、街を愛する。批評家・随筆家、若松英輔さんが語る「男の裏銀座」
批評家・随筆家
立ち並ぶビルの窓に、夜の灯りが映り込んで揺れる。昼と夜と、銀座は違う顔を見せる。
かなしみの記憶陰陽の働きが強く結びついている。夕刻、日が沈みかけたころゆっくりと銀座の街を歩き始めると、すぐにそんな思いに包まれた。
「陰」は暗く、「陽」が明るいのではない。陰と陽は二つの異なるものではなく、むしろ、陰の暗がりが陽の働きを強く支えている。光が輝き始めるところの近くにはいつも、ほの暗い場所がある。
華麗で豪奢な顔は、銀座の一面に過ぎない。この町には、ぜいたくとはあまり縁のない民衆が憩う場所も多い。また、海外から訪れる人を優しく、あるいは頼もしく受け止める場所もある。目に見えるものの奥に、それを生かしている何かがある。
有楽町の駅近く。終業後のサラリーマンや労働者が集う、自動販売機の角打ち。ワンカップを片手に煙草をふかす人たちがいる。
それは、この街だけでなく、そこに生きている人々も同じだ。
壮麗な笑みを周囲にふりまく人が客を見送る。そのうしろ姿を見ていると、他者には容易に推し量ることのできない思いがあることに気が付く。
昔の人は「かなし」を、「悲し」とだけでなく「愛し」、または「美し」と書いて「かなし」と読んだ。悲しみの奥にはいつも、深い情愛があり、そのおもいこそ、人が、この世に産み出し得るもっとも美しいものだというのだろう。「かなしみ」という言葉の底では、悲と愛と美が分かちがたく結びついている。
並木通りの歓楽街には黒塗りの高級車が何台も止まっていた。その周辺にはきらびやかな女性、店舗、言葉、振舞いをいくつも目にする。だが、少し離れてその様子を見ると、それらの華々しさを支えているかなしみが感じられるような心地がする。
訪れる人、それを迎える人、それぞれのかなしみが大きければ大きいほど、発せられるものは麗らかに映るように、さらにいえば、そのかなしみが、女性たちの微笑みの源泉であるかのようにすら感じられてくる。
人は、かなしいから笑うことがある。自分以外の誰かに笑いかけながら、自分を励まそうとするほかない時節が、人生にはある。
歩きながら、自分の人生を大きく変える出来事に遭遇したのもこの街だったことを想い出した。銀座ともっとも深く交わったのは大学時代で、銀座を含む中央区の要介護を抱える家を訪ねて、区が配布する大人用の紙おむつを届けるアルバイトをしていた。始めたのは賃金がよかった、というだけの理由だったが、終わる頃には大学を卒業したら介護用品に係わる仕事に就きたいと感じるようになっていた。
銀座の大動脈である中央通り、その後ろにある並木通り、すずらん通りには、規模の大小を問わず、今日の美を象徴する店舗が軒を連ねている。そんなビル群の最上階にはオーナーの家族が住んでいる場合が少なくない。そんな家に何度も紙おむつを届けた。振り返ってみると、田舎から出てきて、銀座の右も左も分からないときに、この街が見せてくれたのは生きるかなしみの光景だった。
当時はにぎわっていた松坂屋も今はなく、今、ハイブランドのテナントをいくつも連ねた「ギンザ シックス」として生まれ変わろうとしている。
銀座八丁目の薄暗い路地を少し入ったところに「ビートルレーン」というバーがある。敷地は六坪ほどの小さな店だが、店主が吟味したもので埋め尽くされている。酒だけではない。店でかけるレコードから内装の細部に至るまで、その思いが染み込んでいて、その秩序が何とも美しい。だがこの店も、都市開発のために、この雑誌が刊行されるころには移転を余儀なくされている。変化していくのは、街が生きている証しで、そこによいも悪いもない。だが、歴史が消えていくのは惜しい。
立ち退きのため、3月末で店をたたんだバー 「ビートルレーン」。緑色の看板も今は灯っていない。マスターと話す若松さん。
歴史は目に見えず、手にふれることはできない。それを感じようとする者の心にうごめきのようなものとしてよみがえってくる。建物は歴史の貯蔵庫であって、歴史そのものではない。人間の生涯も同じだ。私たちの心も歴史を、建物とは別なかたちで保存することができる。
アルバイトの配達は日曜日の朝早めの時間に始まる。街はまだ静まりかえっていた。すると、どこからともなくこの街の気のような、息のようなものが感じられてくる。どの街にもその場所に特有の気配がある。だが、それはせわしく動いているときには感じられない。だが、こちらが思いを鎮め、口を閉じさえすれば、耳には聞こえない街の声がどこからともなく響いてくる。住み慣れた町に夜遅く、ほとんどの人が寝静まった頃にもどって、ひとり道を歩いているときにふと全身で感じる、あの感触だ。
不法投棄されたゴミが空き地に大量に積み上がる、ここも銀座。ガード下には懐かしのポスター。
大学を出て、働くようになってから、この街を訪れるときにはいつも、何らかの目的があった。本を買う、食べ物を買う、映画を見る、人と待ち合わせをする。そんな風に忙しく訪れると、かつて自分が感じていた、この街の心情のようなものが感じにくくなってくる。
目的があるとき私たちは、自分に関係のあるものだけを見る。街角でうずくまっている人の姿も目に入らない。そんなときは、行き慣れない場所に迷い込むこともないのだが、その代わり、街が私たちに声を掛けてくれることもない。もちろん、街がその秘密を明かしてくれることは起こるはずがない。それは人と会っているときに、その人の心をうつしとることなく、その人の眼、鼻、口、指、足を見ているのと同じなのかもしれない。そんなときには友情も恋も始まる余地がない。
ビルの間に突然、ぽつんと1台だけ止まれる駐車場が現れる。立ち止まらなければ見えてこない銀座の風景。
銀座という街のありようも、人のからだを思わせることがある。そこには目に見えるものだけでなく、皮膚の下にあって、見えないところで働いているさまざまな「器官」が存在している。
JR有楽町駅の線路下にある半地下の商店街「インターナショナルアーケード」は、街をながれる血管のようだ。それは多くの人の眼には映らない。しかし、そこを無数の人のおもいが流れている。「銀座九丁目」という、ないはずの番地を掲げつつ、多くの食堂が連なっているもう一つのアーケードは、この街で働く人の、日常の衣食をしっかりと支えている。最後に訪れたのは深夜四時まで営業している喫茶店ミヤザワだった。紅茶を飲み、名物のたまごサンドを食べた。その席の隣では着物を美しく身にまとった女性ときらびやかな服を着たもう一人の女性が、仕事をめぐって何か真剣に、少しだけ、もの悲しい言葉を交わしていた。
JRの高架下に続く異空間。今では数軒の店が軒を連ねるだけだ。かつては栄えていたのだろうか……。
朝11時半から翌朝の4時まで営業。銀座8丁目で夜の胃袋を支える喫茶「ミヤザワ」。メニューには定食も、コーヒーも。名物のたまごサンドは銀座のクラブへも出前する。
その店を出て道をあるいていると、長い間忘れていた、銀座という場所に刻まれている「かなしみ」の声が、遠くから響いてくる。街もどこかに見えないかたちで、かなしみの記憶を秘めているのだろう。その様相はどこか、胸に悲愛を秘めながら、笑っている人の姿を思わせる。
Eisuke Wakamatsu
1968年生まれ。2007年評論「越知保夫とその時代 求道の文学」で三田文学新人賞、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で西脇順三郎学術賞を受賞。近著に『生きていくうえで、かけがえのないこと』『言葉の贈り物』がある。
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