触れたら10秒で死に至るというピンクの雲の出現により、ロックダウンを余儀なくされた人々を描いた映画『ピンク・クラウド』。制限された状況下において、人間はどう感情を変化させるのか。ワンシチュエーションのSFスリラーでもあるし、登場人物たちの感情の機微や関係性を描いた人間ドラマでもある作品だ。主人公のジョヴァナは結婚や出産に興味がない独立心の強い女性だったが、長引くロックダウンの中で、徐々に従来の社会が求める女性像に押しつぶされていく。脚本が書き始められたのは2017年。奇しくもその後のパンデミックと重なる部分が大きい今作で、長編映画デビューを果たしたブラジルの新鋭、イウリ・ジェルバーゼ監督に話を訊いた。
2017年に書いた脚本が現実に? 毒性の雲の出現により監禁生活を過ごす人々を描く映画『ピンク・クラウド』ができるまで
──『ピンク・クラウド』を作る上で、ルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』とサルトルの『出口なし』、あとアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を念頭に置いたそうですが、その3作品を意識した経緯を教えてください。
まず、今作は私にとって初めての長編映画なんです。撮影場所や登場人物の数をある程度制限したかったため、家の中という限られたシチュエーションを設定しました。なぜ家の中でしか話が展開しないのかと考えた時に、何か明確な理由があったほうが良いなと思い、リアルな戦争とかではない形として、ピンクの雲から逃げるためというシュールな状況において人間が幽閉されるのが良いんじゃないかというアイデアが浮かんだのです。それで、登場人物が幽閉された作品を調べていくうちに、その3つの作品に行きつきました。それらを読んだり観たりしながら、それぞれの登場人物たちが、どういう状況でどういう精神状態になるかということを分析した上で、『ピンク・クラウド』を書き進めていきました。
イウリ・ジェルバーゼ監督
──触れたら10秒で死に至るという恐ろしい存在の雲をピンクにしたのは、無害に思えることと、女性をイメージさせる色だからという理由があったそうですね。女性の監督だからこその使命感みたいなものを抱いたのでしょうか?
ピンクの雲に対してはいろんな解釈ができると思います。主人公の女性、ジョヴァナは当初は結婚はしたくなかったし、子供も欲しくなかった。家の中にずっと閉じこもっているのも好きではありませんでした。ただ、ピンク・クラウドの出現によってそうせざるを得なくなってしまった。あの雲は、女性が従来の女性像になるための社会的な圧力という風に考えることもできると思います。男性の観客にもメッセージを伝えることは大事だと思っています。この映画が完成していろんな人に観てもらった際に印象的だったのは、女性はすぐにジョヴァナのどんどん追い込まれていく気持ちをわかってくれたんですが、男性はなかなか理解してくれなかったんです。女性にとっては、自由とは何かということや、自分と似たように感じている人がいるということが伝わる映画になっていると思いますし、男性にとっては世の中の女性がみんな同じような自由や幸せを求めているわけではないというメッセージになると思っています。
──映画を観た一人の女性としては、とても共感するシーンが多かったです。以前よりは女性が生きやすい社会になっているとは思いますが、監督自身はどう感じてらっしゃいますか?
いろんなことが改善されてはいますが、まだまだ解決すべき問題がたくさんあると思います。私自身、自分が監督を務めるプロジェクトにおいて、なかなか自分の声が聞き入れられないという難しさを感じたこともあります。女性自身も、男性に比べて自信を持てなかったり、自問することもある。そういうケースがあるのは、未だに男性の方が自信を持ちやすい社会だからだと思います。ですので、まだまだ声を上げ続ける必要があると思っています。
──ジョヴァナはウェブデザイナーとして自立していますが、キャラクター設定においてどんな部分にこだわりましたか?
ジョヴァナが家計を担っているということはとても大切でした。彼女は自分の家族だけでなく、パートナーになったヤーゴの父親も支えています。脚本を書く上で、なるべく“女性は子供を欲しがる”とか“男性が家計を支える”といった、これまでの多くの作品が描いてきたようなジェンダーロールのクリシェに陥らないということは強く意識しました。
──その現代的な女性像であるジョヴァナがロックダウンによってどんどん破綻していきます。その展開において意識したことはどんなことだったんでしょう?
雲がなぜピンクかという話を先ほどしましたけど、ジョヴァナにとって危険な感じがなく魅惑的な色であることが大事でした。ジョヴァナとヤーゴがケンカをして、「でもこうやって二人で閉じ込められてる状態なんだから、仲良くしようよ」と手を取り合って踊るシーンがあります。あそこでかかる音楽は50年代調の曲で、その時代は男女の役割がはっきりしていました。要するに、ジョヴァナはロックダウンに屈せず自身のポリシーを貫こうと生きていこうとしましたが、魅惑的な雲に引き込まれ、折れそうになっている。とてもアイロニカルなシーンとして作りました。
──雲の形がどんどん変化していくことが、登場人物の心情や関係性が変化していくことと繋がっているように見えるのも面白かったです。
そうですね。私たちはあの雲をキャラクターとして捉えています。だから形や色合いを変えていきます。雲がどんどん暗くなって恐ろしい色合いになっていくに伴って、ジョヴァナの気持ちも落ち込んでいく。そうやって、お互いに影響を与えることが大事でしたし、観客に対しても緊張感を与えるような演出にしました。
──2020年に現実の世界でもパンデミックによるロックダウンに突入したわけですが、『ピンク・クラウド』との関連性をどう感じましたか?
私たちはSF作品を作ったはずで、それが現実になってしまうということは全く予想していなかったので、とても奇妙な感覚を覚えました。編集を始めた頃にパンデミックに入ったのですが、当初考えていた方向性から何も変えませんでしたね。ただ、パンデミックが始まって1か月後くらいに映像を観返した時に、自分が映画の中に生きているような不思議な感覚がありました。
──私も、一歩も外に出ることのできない『ピンク・クラウド』を観て、コロナ禍でのロックダウンはこれよりは自由度があったんだなと思いました。
そうですよね(笑)。英語の字幕を友人が付けてくれたんですが、その作業中にロックダウンに入ったんです。閉じこもって映像を観ながら作業をしていたら、本当に息苦しくなって部屋の窓を開けたそうで、その友人も「私たちは少なくとも窓は開けられたからマシだよね」と言ってました。
──『ピンク・クラウド』は監督にとって初の長編映画ですが、今作を作ったことでどんな心境の変化がありましたか?
一作目の長編映画を作るということ自体が大きなチャレンジでした。ファーストカットを観た時に、そこから完成に至るまでは長い時間がかかるわけですが、すごく安心したんです。そして、2~3番目のカットを観た時に、「自分が作らなかったとしてもこういう映画を観たかったな」と思いました。とても美しいし、俳優の演技も素晴らしい。さらに安堵しました。映画を作るには多大な努力と情熱が必要なので、それができて自信が得られたことが大きいですね。そして、今作を作ったことで、新しい長編映画のアイデアもいろいろと湧いてきました。
『ピンク・クラウド』
一夜の関係を共にしていたジョヴァナとヤーゴをけたたましい警報が襲う。突如として発生した正体不明のピンクの雲。それは10 秒間で人を死に至らしめる毒性の雲だった。緊急事態下、政府はロックダウンの措置をとり、家から一歩も出られなくなった人々の生活は一変する。友人の家から帰れなくなった妹、主治医と閉じ込められた年老いた父、自宅に一人きりの親友……オンラインで連絡をとりあううち、いつ終わるともしれない監禁生活のなかで、彼らの状況が少しずつ悪い方へ傾き始めていることをジョヴァナは知る──。
監督・脚本: イウリ・ジェルバーゼ
出演: ヘナタ・ジ・レリス、エドゥアルド・メンドンサ、カヤ・ホドリゲス、ジルレイ・ブラジウ・パエス、ヘレナ・ベケル
配給・宣伝: サンリスフィルム
1月27日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
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イウリ・ジェルバーゼ
映画と文芸創作を学び20歳で映画製作を開始。印象に残るダイアローグと内的葛藤を描こうと取り組んできた。これまでに6本の短編の脚本、監督を手がけ、TIFFやハバナ映画祭などの映画祭に出品。シュルレアリスムとSFのタッチで描いた『ピンク・クラウド』が自身初の長編映画となる。2本目の長編となるSF作品や、テレビシリーズを準備中。
Text&Edit: Kaori Komatsu