高級クラブから喫茶店まで、遊び場はたくさんある。男たちにとっての銀座とは、どのような街であるのか。銀座を知り、街を愛する5名に語ってもらった。
銀座を知り、街を愛する。小説家、島田雅彦さんが語る「バブル時代のクラブ遊びも 銀座らしい豪快な体験。」
島田雅彦
Masahiko Shimada
小説家
1961年生まれ。大学在学中の1983年『優しいサヨクのための嬉遊曲』発表。翌年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞を受賞。『彼岸先生』『退廃姉妹』などでも文学賞に輝く。『優しいサヨクの復活』『傾国子女』など作品を多数発表している。
バブル時代のクラブ遊びも
銀座らしい豪快な体験
銀座とのつながりは80年代の終わり頃から。まだ20代でしたけど、バブルな時代だったから出版社も景気が良くて、年配の編集者とよく銀座へ行きましたね。野坂昭如や星新一や、文豪がいるような高級店にも連れて行ってもらいました。役どころとしては鵜飼の鵜ですから、どちらかと言えば連れて行かれたというか。私がホステスを引き寄せると、年配者が得をするんですよ。銀座のクラブには、若い客があまり来ないから。
当時はタクシーもなかなか捕まらないような時代でした。でも、次の朝早いから帰りたいと言うと、日本寝台ハイヤーっていう会社で、必ず来るハイヤーがあるとかって言ってね。要するに、霊柩車の会社なんですよ。霊柩車って言っても立派な屋根のついてない車もあるし、横になって寝て帰れるよ、って(笑)。それを呼んでもらって霊柩車で帰ったこともあります。
今も「ザボン」という文壇バーにはたまに行きます。あそこはホステスが不細工なのばっかりで、緊張しないから。文学論戦わせるなんて青臭いことはしません。そういうのは新宿のゴールデン街で若者たちがやることなんでね。銀座と新宿では、色の違いも明らかにあります。銀座は夜のベビーシッターみたいなホステスがおっさんたちを慰労してくれるんですけど、新宿の方は店のマダムが客に説教をしたりする。大衆小説のエンタメ系の人が銀座にいて、純文学系の人が新宿にいるという棲み分けもなされていたりするんですよね。
なぜ作家がクラブに行くのか。ママさんたちが言うには、店の女の子の教育上いいから。来てほしいんですよ。そういうきっかけで昔の文豪も教育係として出かけたはずです。だから一応、作家料金というのもあったんじゃないかな。金持ちの社長みたいなアコギな客ばかり来たら、店の雰囲気も悪くなるでしょう? 小説家がクラブの雰囲気を良くしてきたんです。
もっと小さい頃は、親と銀座へよそ行きの服で「お出かけ」しに来て、三越のお好み食堂でお子様ランチを食べたり、マクドナルドの1号店ができた時も、当時高かったハンバーガーを食べに行きましたね。生まれて初めてタイ料理と出会ったのも銀座だったな。
今はクラブよりも居酒屋に行く方が多いです。「ライオン」もそうですが、銀座には昼間から飲める店も結構ある。ここは2度ほど小説の舞台としても書きました。新陳代謝が激しい東京のなかで80年以上続く所とはそれほど多くはない。仮に舞台が1970年代でも、終戦直後でも、占領時代でも成り立つ場所だからです。そういえば、銀座でデートはあまりないですね。デートには最終到達地点が必要ですが、銀座でそれにふさわしい場所がないので、移動しなければならないのが面倒です。男同士で銀座を歩くのもなんか悪いやつらみたいな気がするし、1人が似合う街なんだろうな。
ビヤホールライオン 銀座七丁目店
1934年開店。現存する日本最古のビヤホール。ガラスモザイクの大壁画とアーチのある店内が美しい。
中央区銀座7-9-20 銀座ライオンビル1F
☎03-3571-2590
🈺11:30〜22:30LO(日祝〜22:00LO)
㉁無休