02 Mar 2019
スタイリスト・北村道子が学生たちに語る。人の心を動かす方法論を自分で見つけること【後編】

『衣裳術 2』と前著『衣裳術《新装版》』(リトルモア )が好評発売中の、北村道子さんによるトークショーが、去る1月後半に文化服装学院にて開催されました。集まったのは、文化服装学院の学生さんと一般の参加者。北村さんへの質問を参加者から事前に募り、それに応える形で進行した本トークの内容を、一部抜粋しお届けします。前編では北村さんのルーツを伺いました。後編はスタイリストという職業や人生について。
──北村さんは、スタイリストを目指している人をアシスタントに取らないと聞きます。なぜでしょう。
だって、化学反応が起きないでしょう?私と同じようなことを思っている人だと、何の得にもならないじゃないですか。それなら、違う職業を目指している人を付けたほうがいい。それは、私が自分を知らないからです。だから、知っていこうとする。たとえば、
──スタイルがよく見えておしゃれな服の着方がわかりません。教えてください。
そんなのわかるもんか。私、そういうことがすごくつまらないと思うのよね。電車に乗れば、「あなたもこうして見ませんか?」とか綺麗な整形を勧める広告があって、そればっかりじゃないですか。みんなが美人になってどうするの? 男も女も、本当に美しいということがわかるのは、40歳から先なんですよ。そこからが本質です。逆に、若さという健康があるときは、何でもアリなんですよ。私が、「30歳までは遊んだらいい」と言うのは、そういうことなんです。遊ぶだけ遊んでから子育てや仕事をすれば、遊んだ30年が生かされるの。最初の言い方をすれば、生かせる遊び方をしないと、無駄な24時間を使ってるよってことになる。鋭い子は、小学校上がったときにもう計算してますよ、自分なりに。たとえば、いろんな人が「ゲームはやっちゃいけない」と言うけど、やってもいいんです。脳が鍛えられるから。先人の養老孟司さんも宮崎駿さんもゲーマーじゃないですか。だから、子育てって、子どもが15歳になるまではとにかく喜ばせることだけ。怒っちゃ駄目です。「ゲームそんなにできるの、最高だね!」って言う。私なんてひたすら喜ばせることだけやってたら、子どもは今アメリカで大学教授やってますから。
──逆にご両親を喜ばせた出来事はありますか?
うちの父は私が小学校のときに死んでるし、母は私についてこれない人。母は未亡人になったのが早かったし、年子で上に2人いるんです。ただし、彼女が死んだときは、全部私がガイドしました。これは自信を持って言えます。これが私の今日の最後のいい言葉です。うちの母は乳がんをやって、88歳で亡くなったんです。彼女が危篤状態になったのは、撮影中だったんですよね。その前に、彼女から電話が来て、「あなたね、人間が死ぬとはどういうことなの?」と聞かれたの。こんな年の離れている私に、不良娘の私に。そこは嘘も思想の哲学ということで、「あなたは今88歳ですよね。あなたのハズバンドがなんで38歳で死んだか知ってる?」って言ったの。「それは、あなたが死ぬのを待ってるため。ヘヴンズゲートの入り口に、最高の青年時代の姿で待ってるんだよ」と言ったら、「わかった」って。私は棺桶で、彼女の笑い顔を見たんですよ。そのときに送り人の人が、「最後すごくいいことがあって、この笑顔で亡くなられました」と言ったの。あれは、私と彼女だけの約束事じゃないかな。
── いちばん好きな人に会うときに、北村さんが服を着るうえで心がけることがあれば教えてください。そして、もしよければ嫌いな人と会わなくてはいけないときに心掛けることがあったら教えてください。
嫌いな人には会わなきゃいいんじゃない(笑)。何度も言うけど。その「好きな人」っていうのは何なの?恋人なの?私、その使い方がよくわからない。私自身がものすごく尊敬している人の場合は、「好きな人」という言葉を使わないの。「敬意を表してる」と言うの。そういうときには、白いシャツにちゃんとしたスカートを履いて、ちゃんとしたレースアップの靴を履いていきます。それが私のステータスなんですよ。慣れない格好はしないです。今までは〈マルタン マルジェラ〉の格好でずっとやってたし、ヒールも履いていたんだけど、病気を1回して「ピンヒールは駄目」と言われてからは、ずっとスニーカーですね。
──写真にも時代性やブームがあると思います。これから写真を志す者は何を意識したらいいと思いますか?
私は2つの意識を持つべきだと思うね。自分が永遠に撮りたくて写真家になったのなら、仕事でお金をもらうのとはまた別で、自分の好きなものを生涯続けること。私も洋服が好きだから、ファッション・フォトのスタイリングをやってる。でも、生活があるから、コマーシャルで生活費をちゃんと稼いでいます。人を動かすことは誰でもできるんです。じゃあ、人を動かすというのは何なのか?その方法論を自分で見つけるべき。誰も教えてくれないから、自分で考える。たとえば、映画『ボヘミアン・ラプソディ』がどうしてこんなに売れたのか?そこからみんな学ぶべきだと思う。フレディ・マーキュリーが死んで、どれだけ経ったと思う?全く違う役者がクイーンを演じて、みんながあれだけ感動しているということはものすごいことなんです。しかも、誰も知らない役者で、監督も全然名前のない人で。実際のフレディは大きいのにラミ・マレックは身長が低いとか、そういうことは何ひとつ問題にならないんですよ。これは私の想像ですけど、ただフレディ・マーキュリーというひとつの心だけは持っていこうと、みんなが同じ山を全員で登ったんだと思う。「疲れた人がいたら待っていよう」、「大丈夫?」と、みんなが同じ力で同じことをやったんじゃないかな。「ボヘミアン・ラプソディ」という曲も、本当にすごい歌詞じゃないですか。彼のプライバシーを全部明かしているじゃない。そこに、たぶん10いくつの子も90いくつの人も感動しているんだと思う。感動しているというのは心なんですよ。脳では感動しない。見ているのは感覚だけど、響くのは内臓の心なんです。
──最後に、何かひとことお願いします。
やっぱり、生きることは大変です。でも、大変だと思っていたら、人は生きてけない。だから、全部ポジティブに考える。嫌な感情は捨てる。嫌いな人には会う必要はない。堂々と逃げること。だって、好きなことを言うことはできるじゃないですか。嫌いというと全面否定になっちゃうから、好きになれないと言えばいい。それだと、何%かは可能性があるじゃない。人間なんて年をとれば、あのときは好きになれなかったけど、今はまったく好きだなとなり得るんですよ。その可能性を否定的に全部削ってしまうと、削ったものは再生しないんです。今日、私、けっこう覚悟を持ってここまで来たんですよ。間違ったことを言っちゃうと、生き方が変わっちゃうからね。私がこうなったのは、やっぱり最初に出会った人たちが素晴らしくポジティブだったからなんです。私みたいなパンクロックに生きている人間に対して、今の私の年齢くらいの人たちが言ってくれたからですよ、「君、面白い発想だね」って。それが、ユニークで、クリエイティブなんだってことを。
北村道子 Michiko Kitamura
1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪したのち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌などさまざまな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』(リトルモア)など。
Text&Edit: Tomoko Ogawa Photo: Reiko Toyama