一筋の光のように抜ける美しいファルセット。切なくも強いメロディと、耳に残る心地よい余韻。都会の夜に一人、イヤホンで聞くならこんな音楽がいい。小袋成彬のデビューアルバム『分離派の夏』が、4月25日にリリースされる。プロデュースを手がけたのは日本を代表するアーティスト・宇多田ヒカルだ。アルバムのタイトル及び歌詞の節々に「夏」の情景が広がっている。これまで他のアーティストのプロデュースや編曲に勤しんで来た彼が、自ら歌うことを決意したのも、暑い夏の日だったそう。
「正直、夏はそんなに好きじゃないんです。だけど過去を振り返ってみると、思い出す景色は圧倒的に夏が多いですね。僕が小中高と青春時代を捧げてきた野球も、夏に始まり夏に終わりますし。坊主頭で、ずっと男子校で、右も左も男子ばかり。身近に母親くらいしか女性がいなかったので、大学に入ったらカルチャーショックの連続でした。彼女ができても、出かける前に時間をかけて化粧することが不思議だったし、日によってナーバスになることも知らなかったし、とにかく、女性のルールが何一つわからなかったから戸惑うことばかりで……」
繊細そうなイメージとは裏腹に野球一筋だったという少年時代。大学に入ると一心不乱に打ち込んできた野球をやめ、たっぷりと自由な時間を手に入れた。ヘルマン・ヘッセや川端康成の文学の世界に魅せられ、もともと好きだった音楽の活動に本格的に取り組むようになる。この頃手に取った岩波文庫の書体やデザインが好きで、今回のアルバムジャケットの参考にしたのだとか。
大学の仲間と立ち上げた音楽レーベル「Tokyo Recordings」のオーナーとして誰かをプロデュースする立場から一転。約3年に及ぶ長い制作期間を経て、ソロアーティスト「小袋成彬」名義で世に送り出す処女作が完成。アルバムを作り終えた今、どんな心境の変化があったのだろうか?
「自分がアーティストとして表現したいことと、人をプロデュースするために自分がすべきこと。その2つの棲み分けができたのは大きな変化ですね。そもそも誰かをプロデュースして、100%自分の世界に染めることなんてできないのに、当時はそれを混同していて。どうしてもやりたかったことができず『何がビッグヒットだ。音楽ってそうじゃねえだろ』って躍起になってました。いざ自分の作品を作るとなってからは、本当に表現したいものがどんどん明確になっていったんです。それが叶ってしまった瞬間、一気に肩の力が抜けました。今だったら、誰かのプロデュースの話をいただいても、もっと遊び心と余裕を持って取り組める気がします」
聞き手が心情や体験を重ねるような共感の言葉は歌詞に含まれない。孤独な少年の私小説を1ページずつめくる感覚で聴いていると、あっという間に世界に引き込まれてしまう。宇多田ヒカルさんが制作時に最も粘ったのも、歌詞だったという。
「僕がけっこう悩んで書き上げた歌詞を見せても、まだまだといって何度も突き返されるんです。『もういい!もう嫌いになりそう!』ってくらいスパルタで。1文字に何週間も悩む言葉への執着はすごかったです。20年間もJ-POPの第一線で活躍してきた彼女のメソッドは、自分が信じてきたそれとはまったく違っていて、その都度、ズンと受け止めました」
思慮深く完璧主義者のようでいて、「自分がどう見られているか」に一切興味がないと言い切る小袋さん。嘘か本当か、鏡もまったく見ない生活を送っているという。
「ファッションのことはよくわからないんですけど、なんとなく誠実そうな服が好きですね。今日は、朝ゴミ出しに行ったら桜が咲いていたので、たまには白いTシャツでも着てみるかって気分になったんです。クリーニングに預けていたスラックスをビニールから出して足を通したら、なんとなく作家っぽい雰囲気がいいかなと思い始めて、部屋に籠って書き物をしてそうなガウンを羽織ってきました」
写真を撮られるのも苦手。カメラを向けられると、突然檻から解き放たれた動物のような気持ちになって、どうしていいかわからなくなるのだそう。「自分を動物に例えると?」という質問には、迷わず「リス」という答えが。(オオカミじゃなかった……)
「リスは自分で隠したどんぐりの場所を忘れちゃって、あちこちすごい勢いで探すんですけど、僕も物を置いた場所をしょっちゅう忘れるんですよ。考えれば考えるほど分からなくなって見つけられない。あと、イライラすると同じ場所を歩き回るところも似ていると言われますね。これはリスだけじゃなく、動物園でシロクマとかが行ったり来たりするのと同じで“常同行動”というらしいです。制作が煮詰まっている時は家の中を行き来しているし、近所の散歩コースをぐるぐる回ったり」
5月には初のワンマン、そして夏にかけてGREENROOM FESTIVAL、FUJI ROCK FESTIVALなど野外フェスへの出演も続々と控えている。きっとGINZA読者たちも骨抜きにされてしまうであろう、甘美な歌声を生で聞ける機会を楽しみに待ちたい。
「ライブは、自分の音楽の再解釈に近いです。どれもすごく内省的に作った楽曲なので、僕自身がどういう想いで曲を作ったのか、思い出しながら表現することが大切だと思っています。お客さんに手拍子を煽ったり、何かを投げかけたり、MCをする予定はないですね。双方向のコミュニケーションは、ライブの場にない方が良いと思っているので。ミュージカルの公演のような感覚に近いのかな。だけど色々工夫したいと思っているし、自分の中で闘争みたいなものはあります。あくまで、自分の戦いとしてライブをやっていくのが、僕のスタイルみたいですね」