ブルックリンのお菓子屋「Burrow」オーナーパティシエ・黒川綾子/私を変えたニューヨーク vol.1

ブルックリンのお菓子屋「Burrow」オーナーパティシエ・黒川綾子/私を変えたニューヨーク vol.1

あるとき、ふと、海外に住んでみたくなった。NYで自分の好きなこと、そして、自分の居場所を見つけたあの人たち。その道のりは、いったいどんな感じだったのだろう。きっと、そこには不思議なチャンスや必然的な出会い、泣きたい日だってあったに違いない。NYで活躍する日本人たちの軌跡を追ってみよう。


ニューヨーク 黒川綾子

うさぎやきつねが、こっそり身を隠す”ほら穴” を意味するその言葉通り、ブルックリンの小さなお菓子屋さん『Burrow(バロウ)』は、建物の奥まった、ほら穴のようなところにある。

マンハッタンとブルックリンをつなぐ、二つの橋のたもとに位置するダンボ地区。もともとは工業地帯だったこの街。近年は再開発が進み、世界各国から観光客が訪れる人気のスポットになった。有名アーティストやクリエイターたちが住んでいる街としても知られている。店の定休日である日曜日の午後、彼女はいつもの通り、その”ほら穴”の、さらに奥まったところにあるキッチンで、静かに「明日の仕込み」に勤しんでいた。

パティシエ、黒川綾子。「ザ・モダン」や「プラザ・ホテル」といった名店で経験を積み、2011年に独立。その2年後に、夫婦で『バロウ』をオープンするやいなや、「こんなパティシエがどこに隠れていたんだろう」と口コミで話題になった。

童話の中のおさげの少女を思わせる三つ編みのパイや、スライスしたアーモンドを魚の鱗のように装飾したケーキなど、その ”ほら穴” のキッチンから生み出される作品は、どれも叙情的で、アートと呼ぶにふさわしいものばかり。

なかでも、彼女のシグネチャーである似顔絵をほどこした世界に一つだけのケーキやクッキーは、ニューヨークのアートやファッション業界の重鎮たちの間でも評判。アーティストのJR、ローリングストーンのベーシストのダリル・ジョーンズ、デザイナーのヴァージル・アブローや俳優のジェームズ・フランコなどをはじめ、多数の著名人の誕生日のケーキを担当してきた。

 

 

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ニューヨーク 黒川綾子

「絶品スイーツ」が星の数ほどあるこの街でも、「記憶から消えないお菓子」は珍しい。彼女の作品には、決して上書きされることのない何かがある。その答えを求めて、「ニューヨーク・タイムズ」紙や米国で人気のフード & エンターテイメント誌「ボナペティ」など、これまでに数々の有名誌やシェフたちが、彼女のもとを訪ねてきた。

その独特のユーモアと引き算の美学。世界をそっとガラス越しに眺めるような眼差しは、ニューヨークの日常をどう捉えているのだろうかーー。彼女のクリエイションへの周囲の関心は、オープンから6年が経ったいまも、尽きることがない。

出身は北海道の稚内市。幼なじみと一緒に田舎町を飛び出したのは、高校を卒業してすぐ。21世紀が始まって間もない頃だった。行き先にニューヨークを選んだのは「高校の廊下に英検のポスターが貼ってあって、それが、ニューヨークのタイムズスクエアの写真だったんです。それを見て『私もこんな大都会で暮らしてみたい』と思いました」。

大都会といえど、東京は「なんとなく怖かった」。「誰も知らない、言葉の通じない街が良かったんです」。最初は語学学校へ通い、英語を学んだ。その後、コミュニティカレッジへと進学。専攻したのは「レストラン経営学」だったが、これといって経営者になりたかったわけではなかったという。「この街で、なんとか暮らしていける方法を模索していました」。

23歳のときに結婚。その後「1-2年くらいは特に何もしていなかった」と振り返る。この時はまだ、パティシエになる未来はまったく描けていなかった。やりたいことがわからなかった黒川さんを、夫の岩田さんは「焦らずに、好きなことをやってみたらいいよ」とやさしく見守ってくれたという。

ニューヨーク 黒川綾子

子供の頃から絵を描くのが好きで、アートに興味があった。やがて、彫刻のクラスに通い始め、頭に描いていたものを、自分の両手を使って形にする。その作業に没頭する時間に充実感を覚えた。

転機となったのは「お世話になっていた美容師さんに、お気に入りのケーキ屋さんの話をしたこと」だった。「その店の人、うちのサロンによく来るよ。興味あるなら紹介してあげるよ」。未経験だったが、その店で経験を積ませてもらえることになった。

だが、「その後、またしばらく無職の時期がありまして…」。履歴書を送っても、面接にたどりつかない日々が続いた。だが、1年ほど粘った頃、ニューヨーク近代美術館に併設されている名店「ザ・モダン」が彼女に門を開いた。

職場は、怒号が飛び交う戦場だった。「怖くて、静かに身を潜めていた」彼女は、ある日、オーダーが入るまでの空き時間をマジパンで同僚の似顔絵を作って過ごしていた。「同僚の名前と顔を一致させるのが難しかったので、似顔絵を描いて覚えようと思ったんです」。

すると、キッチン中で話題になり、お菓子部門だけでなく、料理部門のスターシェフまでが、彼女の作品を見に来るようになった。思いがけず「みんなに受けた」。そのことが、少なからず自信になったという。

もともと似顔絵のケーキは、友人やその周囲の人たちのためにオーダーメイドで作っていた。はじめたきっかけは「アンパンマン以外のものを作りたかったから」。一度作ったアンパンマンのケーキが評判になってしまい「同じものばかりを作らなくて済む方法を考えて、それではじめたのが似顔絵でした」。

黒川綾子 ニューヨーク

ひとりで静かに作業に集中できるアトリエが欲しい。そうして見つけたのが、いまのほら穴物件だった。独立してからは、オーダーを受けてからつくるカスタムメイドのみを行なっていた。インスタグラムの時代が到来し、それも追い風になった。

ケーキの評判は良く、ダンボの街自体にも以前より活気が出てきた。にもかかわらず、入口に鍵をかけ、外界から隠れるようにカーテンでぴっちりと塞いで作業に没頭する彼女に「もったいないよ」と言ったのは、北海道から一緒に海を渡った幼なじみだった。

もっと、いろんな人に知ってもらえるチャンスがあるのに「お店にしないなんて、もったいないよ」。

バロウの開店は「彼女と夫が背中を押してくれたから実現したこと。私ひとりでは、このカーテンを開けて、この場所に人を迎え入れるなんて、絶対にできなかったと思います」。
カーテンを開けたいまも、路上には看板は出さず、電話番号は非公開。営業は平日のみで、朝9時から夕方4時まで。人気のケーキは数時間で売り切れてしまうので、閉店間際にすべりこんでも、お目当てのお菓子があるかどうかはわからない。そんな職人気質なところに「信頼」をおくファンも多い。

自分が本当に好きなことを見つけるのも、なかなか骨の折れる作業だが、それを、楽しみながら続けるのはもっと難しい。だからこそ「ゆっくりと、焦らずに」。時間をかけてたどり着いた、彼女にとってのニューヨーク。それは「とても居心地の良い場所」だという。

ニューヨーク 黒川綾子

黒川綾子 Ayako Kurokawa

北海道出身。高校卒業後の2000年にニューヨークへ。「ザ・モダン」、「プラザ・ホテル」でパティシエの経験を積み、2011年に独立。最初はオーダーを受けてからつくる、カスタムメイドのみの店だったが、2013年にアトリエの一角をカフェとして解放。夫婦で開業した「Burrow」には地元の人だけでなく、観光客から著名人まで世界中からファンが訪れる。
burrow.nyc
@burr0w

Photo: Omi Tanaka Text: Chiyo Yamauchi Edit: Momoko Ikeda, Milli Kawaguchi

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