『サイコだけど大丈夫』のソ・イェジが記憶を失った主人公を演じる、韓国映画『君だけが知らない』。怒涛の展開にハラハラドキドキ必至なエンタメ作でありながら、女性の生きづらさも描かれているサスペンススリラーです。監督は、名匠ホ・ジノ監督の元で助監督や脚本を手掛けてきた、ソ・ユミン監督。苦節15年ほどで今回、念願の長編デビューを果たした彼女に聞く、本作に込めた思い。そして、韓国の女性監督をめぐる今。
映画『君だけが知らない』ソ・ユミン監督。スリラーで描く30代女性の本音「これ以上他人に自分の幸せを奪われるのはイヤ」
──今回の脚本のインスピレーション源は、親しい間柄の相手が、自分が知っているのとは違う人かもしれないという恐怖を感じる瞬間があったことだと伺いました。それはどんな瞬間だったのでしょう?
仲のいい先輩からある日、「自分の父はもうこの世にはいないんだけど、犯罪者だったんだ」と打ち明けられたんです。何年も親しくしてきた先輩に、実はそういう家族史があり、心に深い傷を負っていたんだということに驚いて。そのときに、もし思いもよらない過去があるその相手が、自分の夫だったらどうだろうかという発想が生まれました。
──その出来事を軸に、もっとストレートなドラマにもできた気がします。でもそうではなく、ある事故で記憶喪失になった主人公の女性・スジン(ソ・イェジ)の過去をめぐるサスペンススリラーで、なおかつ彼女に予知能力が芽生えるというSF要素もある、そんな物語形式にした理由は?
身近な誰かが、自分の知っているような人ではないかもしれないという状況に置かれるのがもし女性だったら、より恐怖が増すのではないかと思いました。それで、ジャンルはサスペンススリラーにしようと。幻覚で未来が見えるという設定は、脚本の初稿にはなかったんですが、観客が映画の世界に入り込んで楽しめる要素をどんどん加えようと考える中で思いつきました。
──劇中で特にスリリングなのは、スジンが退院後に夫・ジフン(キム・ガンウ)と暮らし始めるマンションの、エレベーターでのシーンです。
スジンが物語のキーパーソンたちと出会うのも、未来を見るきっかけになるのもエレベーターです。私自身、長くマンションに住んでいるんですが、他の住人の方と会う場所といえばエレベーターしかないので、必然的に大切な場所になりました。それと、金属的で機械的な感じが、スジンの恐怖心を表現するのにいいなと。元々は実際のマンションのエレベーターをそのまま使いたかったんですが、すると本当に住んでいる方が使えなくなってしまう。だからエレベーターの外観と、扉が開閉するところだけはマンションで撮って、内観はセットを作ったんです。観客にセットだとバレないか心配していたんですが、幸いほとんど気づかれなかったようです(笑)。
──日本では以前SNSで、女性が知らない男性と二人でエレベーターに乗ることへの恐怖が話題に上がっていました。そういうニュアンスも頭にありましたか?
私も子どもの頃から、エレベーターに女性が一人で乗るのは怖いなと思っていました。狭く閉鎖された空間なので、大柄だったり怖い雰囲気だったりする方が乗ってくると、もちろん大半の方は悪意などないと分かってはいるんですが、どうしても少し不安になります。さらにもしドアが鏡のようになっていようものなら、たとえ前を見ていても、ドア越しに相手がどこを見ているか分かってしまう。その恐怖心を、今回の映画に活かしてみました。7階の住人の男性がエレベーターに乗り込んでくるシーンが、スジンの恐怖心が最高潮に達する瞬間だと思います。
──韓国では近年、キム・ボラ監督の『はちどり』(18)をはじめ、女性監督による、フェミニズムの視点を持った映画が増えています。本作も、ことさらそう謳ってはないものの、女性の生きづらさを描いているように思いました。
まさにそのとおりで、女性が不幸に見舞われたり、家庭内で暴力がふるわれたり、現実にありうる危険な状況を描きたいと考えていました。スリラーというジャンル映画である以上、『はちどり』のように女性が受けうる被害をしっかり描ききるのは難しいかもしれない。それでも、可能な限り取り組みたいという意図がありました。
──ちなみに、スジンの年齢設定って?
1987年生まれと設定していました。撮影が2年ほど前なので、年齢で言うと30歳過ぎでしょうか。大学卒業後に就職して、人によっては結婚もして、やがて「もうこれ以上、他人によって自分の幸せを奪われるのはイヤだ! ここから抜け出したい」と自発的に考える人生の転換期というと、大体そのくらいの年齢かなと思ったからです。
──監督は脚本家としてのキャリアが長いので、ぜひ脚本についても伺いたいです。2回観たんですが、あれだけ謎が謎を呼ぶストーリーなのに、「誰も言葉上は嘘を言っていない」ことにびっくりしました。
その点は、脚本を書く上で一つのポイントにしていたんです。そうやって繰り返し観てくれる方もいるかなと思ったので。本人としては真実を言っているつもりなのに、受け取る側がそれを嘘ではないかと疑うという構図は、最初から意図していました。
──監督は、『八月のクリスマス』(98)などで知られるホ・ジノ監督の元で長年、助監督や脚本を担当してきたとのこと。『君だけが知らない』を観ると、ホ・ジノ監督とはまた違う作家性を持っているんだなと思いつつ、影響を受けた部分もありますか?
本当に多くのことを学びました。ホ・ジノ監督と仕事をする前は短編映画の脚本しか書いたことがなかったので、もうト書きから何から、長編の書き方をイチから教えてもらって。脚本家としては3本、一緒にお仕事をしたんですが(『四月の雪』(05)、『ハピネス』(07)、『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』(16))、助監督として演出部にも参加していたので、現場のノウハウも学びました。
たとえば、ホ・ジノ監督ってすごく即興的で。俳優の雰囲気を見たり話を聞いたりしながら、現場でセリフやときには設定自体を変えることがよくありました。その姿を目にできたおかげで、私も脚本にこだわりすぎず、オープンな気持ちで撮影に臨む心構えができたと思います。
──『君だけが知らない』でいうと、どんな部分でホ・ジノ監督の教えが活きましたか?
現場で変えた部分は数えきれないほどあって。強いて言えば、今ちょっと思い出したのは、大使館のシーンでのキム・ガンウさんのセリフです。彼はたくさん意見をくれる俳優で、撮影前日の夜まで何度もメッセージのやりとりをして、どんなセリフがいいか相談し合っていました。当日、現場で最後にもう一度話し合い、ようやく「じゃあこれにしましょう!」と、ああいうセリフに決まったんです。結婚式のシーンでのキム・ガンウさんのセリフも、同じように繰り返しやりとりして、現場で書き換えています。
──本作は長編デビュー作です。以前、同じく韓国の女性監督である、『チャンシルさんには福が多いね』(19)で長編デビューしたキム・チョヒ監督にインタビューしたとき、監督を目指すもなかなかチャンスに恵まれず、20年以上ホン・サンス監督のプロデューサーなど裏方を務めたのは「収入のためだった」と話していました。ソ・ユミン監督も「いつかは監督に」と思いながら、脚本家を続けてきたんでしょうか?
まさにキム・チョヒ監督と同じケースです。大学では映画学科に通い短編映画を撮ったりしていて、その頃から「いつか監督になろう」と思っていました。卒業後は韓国映画アカデミーに入学し、演出部の仕事などを経験しながら、脚本を書いてはいろいろな方に見せてきたんですが、なかなか映画化には至らず。でも、脚本を書くのがうまいということで製作会社の方の目に留まり、脚本の仕事をいただけるようになったので、生計を立てるために脚本家になりました。その間も監督になる夢を捨てきれず、脚本を多くの方に見せてはいましたが、製作費が集まらなかったり、実際に映画化されることはなくて。この期間がすごく長かったんです。
──何年くらいでしょうか……?
合わせて15年くらいかと。『君だけが知らない』で長編デビューできて、とても嬉しく思っています。2014年に製作会社の方が「記憶喪失の女性が自分の過去を探すという映画を撮りませんか?」と提案してくれて。そのアイデアを元に脚本を書き始めたんです。
──韓国では近年、女性監督の活躍が目覚ましいですが、一方でコロナ禍が障壁になっているとも聞きます。韓国の女性監督の現状をどのように見ていますか?
ひと昔前まで、韓国の女性監督といえば、イム・スルレ監督(『リトル・フォレスト 春夏秋冬』(18))とビョン・ヨンジュ監督(『ナヌムの家』(95))以外は名前が挙がらないほどでした。今は以前より偏見がなくなり、女性監督が格段に増えました。さっき挙がったキム・チョヒ監督やキム・ボラ監督がインディーズ界で素晴らしい作品を撮っていますし、彼女たちほど名前が知られていなくても、いい短編を撮る女性監督はたくさんいて。女性が映画界に進出しやすくなったのは本当にいいことだと思います。
そうやって勢いが増してきていた矢先、コロナ禍に見舞われてしまい。映画館に人が集まらないので、作品の公開自体を控えるという悪循環が起きて、この『君だけが知らない』も観客に観てもらうまでがとても大変だったんです。映画界では保守的な傾向が強くなり、新しい挑戦を試みようとしている女性監督は、再び不利な立場に陥ってしまいました。配信は好調ですが、刺激的なシリーズを撮る男性監督が登用されがちで。これだけ実力のある女性監督がいるわけですから、願わくば、早くコロナ禍に収束の兆しが見えて、女性監督が活発に映画を撮れるようになってほしい。また、韓国映画界がさらに活性化してほしいと思います。
『君だけが知らない』
事故に遭い、記憶を失ってしまったスジン(ソ・イェジ)。夫・ジフン(キム・ガンウ)の献身的なサポートで、日常生活を取り戻していく彼女だったが、ある日、自宅マンションのエレベーターに乗り合わせた少女が、交通事故に遭う幻覚を見てしまい、身を挺して彼女を守ろうとする。それから間もなく、同じマンションでガス爆発事故や、女子学生が男に嫌がらせを受けているという恐ろしい幻覚を次々と見ては、周囲にその異変を必死で伝えようとするも、彼女が見た未来を誰も信じてはくれない。鬱屈とした日々を過ごす中、スジンは殺人現場を目撃してしまい、実際に死体も発見された。次第に彼女の精神は混乱していき、やがて夫さえも怪しむようになっていく……。
監督・脚本・編集: ソ・ユミン
出演: ソ・イェジ、キム・ガンウ、パク・サンウク、ソンヒョク
配給: シンカ
2021年/韓国/韓国語/カラー/スコープ/5.1ch/100分/原題:내일의 기억/英題:RECALLED
10月28日(金)全国公開
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ソ・ユミン
長年、『八月のクリスマス』(98)、『四月の雪』(05)で知られる名匠ホ・ジノ監督の元、助監督や脚本を手掛けたのち、本作で長編デビューを果たす。監督次回作は、2008 年に日本でも公開された台湾の人気スター、ジェイ・チョウ監督・主演の台湾映画『言えない秘密』(07)のリメイク。主演は、「EXO」メンバーで俳優としても活動しているD.O.(ド・ギョンス)。
Text&Edit: Milli Kawaguchi