6人のサムライのお仕事道-03 UDAさんが特別である理由。「ひたすら動くことで 落とし物が見えるように」

6人のサムライのお仕事道-03 UDAさんが特別である理由。「ひたすら動くことで 落とし物が見えるように」

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何かを極めた人たちにはきっとスペシャルな経験や方法論、 意識の持ち方がある。そんな仕事の“礎”は迷える子羊、 働くギンザガールのポラリスとなり照らしてくれるはず。 いぶし銀に光るサムライ6人に聞いた、彼らが特別である理由。


 

「ひたすら動くことで 落とし物が見えるように」

メイクアップアーティスト
UDA さん

 

本誌の『ニッポン美人化計画』でもおなじみ、数々のモード誌や広告などでメイクを手がけるUDAさんには、ユニークな下積み時代がある。

「〝水〟や〝赤い椅子〟とお題を与えられて5分でメイクを完成させる」「目隠しして30分歩き続ける」「仕事が始まる2時間前には行って隅々まで掃除をする」。いったい何の修行かと思うエピソードの数々は、しかしそれ無くして今の彼はないと言える「たくさんの落とし物に出合えた」大切な経験だ。

運命の始まりは、母のすすめで覗いてみたメイクスクールの説明会。後に師となる鈴木寅二啓之さんが1時間半、ひと言も発することなく行ったデモンストレーションを目にして、その「衝撃的なカッコ良さ」に道を志すことを決意。「この世界なら自分でも何かできるかもしれない」と初めて感じたそうだ。絵が上手く、手先が器用。さほど努力をせずとも優等生だった彼は、卒業後すぐパルファム ジバンシイに入社。店頭からのスタートだったが、6年の間にブランドを率いていたオリヴィエ・エショードメゾンにも認められ、撮影やショーなども担当する夢に描いた仕事に携わるようになる。

「その間も寅二さんとはずっと交流があって、彼に言われて週1回学校で教えたりもしていたんです」。そのためアシスタントたちの練習に参加させてもらうのだが、そこでUDAさんは愕然とする。「明らかに彼女たちの技術の方が上。自分が知らずに通り過ぎたものがどれほど多かったか、やっと気づきました」

ジバンシイを離れ寅二さんの下で修行し直すことを決意するが、「環境のせいにしているから何も学べないよ」と一度は断られ、さらに1年越しで熱意を認められてアシスタントに就くことに。この時すでに26歳。「一番の下っ端。自分が学校で教えていた子が先輩ですから呆然となりますよね(笑)」

そうして先述の訓練が始まるのだが「しばらくは状況がキツ過ぎて何もできなかった。でも、ならひと言も文句を言われないようやってやろうとある時から必死に動いたんです。とにかく気づいたことを片っぱしに。すると自然といろんなことが〝見える〟ようになった」。寅二さんは〝自家発電〟とよく言っていたそうだが、自分から考え動くことでエネルギーが生まれ、それが結果となって帰ってくる。「メイクは最初のポイントを顔のどこに置くか。そのバランスで空気の流れが変わるんです。どんなテーマでもベストな1点さえ見つけられれば、ある意味それで完成する」。5分はその〝点〟を見極めるための鍛錬。目隠しも「視界が遮られると感覚が20倍は研ぎ澄まされた」とUDAさん。掃除もそうだ、心持ちが大きな差を生むことを身をもって体験できる。無駄は何ひとつなかった。

「やり残したことをやり遂げる」ためジバンシイに戻るまで過ごした2年は、技術の研鑽だけでなく、アーティストとしての本質に触れる時間だったのかもしれない。試されるのは、「マイナスからの再出発」でも飛び込む勇気。UDAさんのように1歩が踏み出せるなら、きっと何でもできるはずだ。

 

CHRONOLOGY

-1991-

スクール卒業後にパルファム ジバンシイに入社

-1997-

それまでのキャリアは捨て、鈴木寅二啓之氏に師事する

-2002-

ジバンシイ、ゲランで働いた後、この年からフリーランスとして活動を開始。31歳での決断

 

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真っ白なキャンバスに向かうように、まずは人の顔でどこにポイントを置くか。それから色、形、質感を表現。その手法を徹底的に教え込まれた。

 


 

【サムライメモ】
UDAさんをもってしてもフリーになった当初は「失敗ばかり。頭痛と吐き気と戦いながら夜な夜な反省会(笑)」(!)。“人生2度目の大転換”だったそうだ。

 

UDA

UDA≫ 1971年、東京都生まれ。エディトリアルから舞台まで幅広く活躍。魅力を引き出すメイク技は「普通の子が女優に変身する」と業界でも有名。

 

Illustration: Toshikazu Hirai
Text&Edit: Aiko Ishii

 

2017年6月号掲載

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