リラックスした猫、花や鳥や虫たち。野山の清々しい風景。それらは明快な線でふちどられて、鮮やかな色で塗り分けられている。身近なものを描く作品により広く知られる熊谷守一の回顧展が東京国立近代美術館で開催中だ。
そもそも熊谷守一ってみなさんはご存知かしら?
1880年(明治13年)生まれ、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学、日本近代美術の巨匠、黒田清輝に教えを受け、同級生にはやはり後に巨匠となった青木繁がいた。画風を徐々に研ぎ澄ませていき、戦後に確立した明るい色をつかった花や生き物の絵がよく知られている。97歳(長寿!)まで生き、晩年も精力的に制作を続けた。
熊谷守一 《稚魚》 1958年 天童市美術館
5匹の魚がみんな違う方向に向かって泳いでいるこちらの作品は、1匹の魚の動きを時間差で描いている?という推理もあるそう。なるほど、時間の経過をひとつに画面に入れ込むのは、今なら映像で普通のことだけれど、当時は実験だったろう。一見ヘタウマ?とも思えてしまう味わい深い熊谷の作品。けれど、実はその背後には科学者のような観察眼と考え抜かれた制作手法が隠れているそう。あわせて展示されているスケッチを見ると、構図をきっちりと作り、緻密に色彩のバランスを練っていることがわかる。
学生時代から初期は、光と闇を追求したり、絵具を厚く塗り重ねたりするなど、どちらかというと暗い色調が特徴。そういう中に、逆光に照らされた裸体の輪郭や、夜景のネオンのような、鮮やかな光が浮かんでいる。約90年前の絵とは思えないモダンな配色も素敵。
熊谷守一 《人物》 1927年 豊島区立熊谷守一美術館
その後、戦中から戦後にかけ、くっきりした輪郭線を描くように。この時期に今も広く知られる画風が完成した。76歳の時からだを壊し、以後自宅からめったに出なかったという熊谷。そこから、家の庭の花や虫、鳥など身近なものをモチーフにした作品が登場するようになる。
簡単そうに見えるシンプルな線は、実際に見ると、生き物のおなかや手足の丸みとか、ポップな、でもちょっとシブい色のセレクトが、花や虫や猫や鳥のいきいきとした様子を伝えてくれる。こちらの《雨滴》という作品は、お餅のようにぷっくりとした水滴が可愛らしい。水滴をこんなふうにまるっと描いているのに、雨粒が地面についてはねた瞬間を思わせるからすごい。
熊谷守一 《雨滴》 1961年 愛知県美術館 木村定三コレクション
猫も熊谷がたくさん描いているモチーフのひとつ。だいたいがぐんにゃりしたり、トコトコ歩いていたり、リラックスしている様子の猫で、思わずこちらもあくびが出てしまうくらいほっこりした気分に。
熊谷守一 《猫》 1965年 愛知県美術館 木村定三コレクション
書や水墨画の展示もあり、「無」とか「ほとけさま」とか味わい深い字で書かれた言葉にじんわりあったかい気持ちになる。
作品だけでも200点超とかなりの点数がある本展を通して見ると、仙人のような本人の見た目も相まってほっこり系かと思っていた印象ががらりと変わる。むしろ理系的な視点と研究の成果が、のんびりとした絵の中の生き物や風景に込められていたのだ。
戦争を挟んで、次々と家族の死に見舞われた熊谷。97年の長い人生には、家族の死などさまざまなことがあったそう。それでも思い切り描いて生まれた作品の数々は、展覧会のタイトルにもある「生きるよろこび」を私たちにくれるに違いない。
ところで、この展示を観た後は、同館の4階~2階のコレクション展にも寄ってみてほしい(同チケット、追加料金なしで見られます)。日本画のコーナーでは、熊谷守一展に連動して、生き物祭りかと思うほどの動物オンパレード。モフモフした子たちがいっぱい。写真のコーナーでは、打って変わってロバート・フランク特集なので、こちらもお見逃しなく。
熊谷守一(くまがい・もりかず)
1880年岐阜県生まれ。1900(明治33)年、東京美術学校西洋画科撰科に入学し、黒田清輝、藤島武二らの指導を受ける。同期に青木繁、和田三造らがいる。戦後は明るい色彩と単純化されたかたちを特徴とする画風を確立。97歳で没するまで制作を行った。住まいの跡地は現在二女、熊谷榧氏を館長とする「豊島区立熊谷守一美術館」となっている。
没後40周年 熊谷守一 生きるよろこび
会期:開催中〜2018年3月21日(水・祝)
会場:東京国立近代美術館 1階 企画展ギャラリー(東京都千代田区北の丸公園3-1)
東京メトロ東西線 竹橋駅 1b出口徒歩3分
休館日:月曜日(ただし2月12日は開館)、2月13日(火)
開館時間:10:00-17:00(金、土曜日は20:00まで、入館は閉館30分前まで)
お問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600