「もう恋愛しなくていいんだ」。結婚した時にまずそうホッとしたくらい苦手分野なのに、独身に戻ってしまい、ここでは今月気になる映画やドラマや本や音楽に描かれた「女と男」のあれこれに考えめぐらすことになりました。たいらな舗道にもけっつまづく筆者に、お付き合いください。
『ファントム・スレッド』、訳すなら『あやかしの縫い糸』か。「完璧主義者」「天才」と称されひどく頭のいい映画を撮ってきた監督ポール・トーマス・アンダーソンの新作(演出&脚本&撮影!)にして、アカデミー賞を三度受賞し女王陛下から騎士の称号も与えられたダニエル・デイ=ルイスの俳優引退作は優美にして格調高い、ここまでは予想通りだがここからが問題、怪奇ラブコメもしくは恋愛あるあるゴシック・ロマンス。そうくるか!
笑えるなんて思えない、品のいい始まりだ。50年代のロンドン、オートクチュールのメゾンを率いるデザイナー、レイノルズを愛した女アルマが語り手。レイノルズは完璧に美しく整えられた館で、完璧に美しいドレスをつくる。ベテランお針子たちは彼に従い、姉のシリルは初老の独身で、弟の君主ぶりを支えつつ君臨している。付き合う女なんぞすこしでも自己主張をしたら、シリルが察して、お払い箱にしてしまう。
アルマは田舎娘。彼の別荘近くのレストランで働いていて見初められ、即日、別荘にひきいれられる。いきなり彼女の採寸に熱中するレイノルズ。どうかしてる。「胸がない」。それは歓喜で、大きめの腰回りも完璧に彼の好みだった。どうやら亡き母を思い出すらしい。わかりやすいが、キモい。
そしてアルマは館に暮らし、彼の仕立てたドレスの最良のモデルになる。それが愛の営み。奇妙である。仕事に熱中すると、紅茶をさげても、邪魔された事実は消えないっ、と怒鳴りちらす。度外れてはいるが、よくいるタイプだ。こういう男に女は服従するか、おいしいとこだけいただいて逃げるか、それとも。
相手を尊重しない、マザコン。恋愛ハウツー本ならそう分類されるこの男との恋愛を、レイノルズに自己投影気味の監督は、とんでもない方向にねじれ狂わせていく。怖い、そして面白い。
終わってみれば、出会いがすべてだったとわかる。アルマは熱っぽい視線に気づいて、料理にメモを添えた。そこには「食いしん坊さん」。小娘が、高貴にふるまう初老男性に、いきなりだ。
マザコンについては、母への愛着のもう一面として、庇護され許され続ける「あの頃の自分」への執着&愛着があると思うが、それをこんな物語に仕立てるなんて。アルマは、レイノルズの真の欲望を見抜いていた。そして、自分の中にある、それに応える資質を育ててもいく。
胸がなく腰が大きい。からだがそれぞれ違う歪さと美しさをもつように、欲望も、「ありたい自分」も違う。時間をかけて彼の心を採寸し、生地を合わせ、唯一の関係を仕立てる。愛の職人を描いてみせた、監督の異常に惚れ惚れしました。
1950年代のロンドン。オートクチュールの仕立て屋レイノルズは若きウェイトレスのアルマと出会い美の世界へと誘う。アカデミー賞で衣装デザインを受賞。5/26(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか、全国公開。