29 May 2018
今度の週末観たいもの、行きたい場所

週末のおでかけ
●歳時/白山神社であじさいを見る
●展覧会/ヌード NUDE展を見る
●映画/伝説のスケーターの映画を観る
歳時
傘をさしさし、あじさいまつり
イラスト=森本将平 編集・文=柴原聡子
路傍の花をめぐり、 陰翳礼讃のラビリンスに迷い込む
雨の日は憂鬱。傘をさしてとぼとぼと歩いていると、視線にすっとあじさいが入ってくる。梅雨は季節の花が少ないという。だから、淡い色のぼんぼりみたいなこの花は、ありがたい存在である。
梅雨の休日は、地下鉄に乗ってひょいと白山に行ってみよう。お目当ては、駅の近くの白山神社でやっている「文京あじさいまつり」。お寺への参道、裏手の公園、小高い富士塚、そこかしこにあじさいが広がる。少しだけ並ぶ露店では、青紫色をした可愛らしい金平糖も売っている(たしかに形が似ている?)。花屋で買う切り花もいいけれど、やはりあじさいは人の家の庭や街角にある地植えのものを見るのがいい。
あじさいとは日本古来の花である。奈良時代から日本にあり、『万葉集』にもあじさいを詠んだ歌が二首登場している。江戸時代になると園芸用として庶民にも親しまれるように。松尾芭蕉も句を残している。天保5(1834)年発行の『みやびのしをり』には、あじさい専門の植木屋が並んだ通り(現在の向島付近)が紹介されている。けれど、約1000カ所も名所が載るこの本に登場するのはたった一度。江戸の頃から傍にある普通の花だったようで、いっそう愛おしくなる。
おまつりの後、春日の方に歩いてみると、盆栽や植木を置いた古い木造の家が並ぶ狭い路地に出くわした。そして、めくるめく坂。鐙坂、菊坂、団子坂、炭団坂。狭くて急な階段を行き来するうちに、方向感覚が失われていく。ここは数々の日本近代の文豪ゆかりの地。樋口一葉、石川啄木、坪内逍遥、正岡子規、谷崎潤一郎など枚挙に暇がない。軒から垂れる雨滴。黒ずんだ路地。湿った草木の香り。まさに陰翳礼讃の世界。
ぐるぐるしているうちに、広い道にぽっと出た。豆を炒る香りに誘われて、明治から続く豆屋さんに入る。塩気の効いたいりそら豆で、ぼんやりとした頭も覚める。お土産に一袋買って帰ろう。遠くに行くよりも、身近な花を愛でる散歩が梅雨には合う。
「文京あじさいまつり」は、白山神社にて毎年6月中旬頃開催。白山神社の境内から白山公園にかけて約3,000株の多様なあじさいが見られる。
展覧会
アートが「裸」に込めた愛と真実
文=柴原聡子
横浜美術館で開催中の『ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより』は、初めから終わりまで、とにかくヌードだらけの展覧会。ロダンの情熱的な彫刻[接吻]、ピカソやジャコメッティによる多種多様な作品がある中、注目はボナールやドガが描いたような日常のシーンを切り取った作品だ。それらのモデルにはポーズをとらされている違和感がなく、むしろかなりリラックスしている。まるでそこに画家がいないみたいに。なんだが鏡に映る自分をみるようで、親近感がわく。
ヌードには、ポルノかアートか?という議論が常につきまとってきた。その差を決める理由のひとつに「多少なりとも裸の愛される女性」という条件があったという。妻や愛人など、親密な関係にあるモデルだからこそ、マティスら画家は彼女らの個性や特徴を描き、裸をアートにした。そう、アナ雪のずいぶん前から「ありのままで〜」ブームはあったというわけ。
とはいえ、女性ばかりが対象になるのはなぜか?は大問題である。60年代にフェミニズムが活発になると、一部の女性作家は全裸でパフォーマンスをしたり、ポルノをパロディ化したり、挑戦的に裸を扱うようになる。以降、ヌードは社会やアイデンティティを表すモチーフとなり、ある種の政治的記号としての意味合いを強めていく。
そんなふうに、ヌードはとらえきれない「?」を投げかけてくる。「愛って?」と同じくらい「裸ってなんだ?」に答えはない。アートになった裸の向こうに何が見えるのか。この展覧会で見つけてほしい。
ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより
理想の美を表すモチーフだったヌードは、20世紀以降アートの実験場となった―。テートが所蔵する珠玉の作品とともに、1790年から2000年代までのヌードの変遷が見られる展覧会。 ≫ 開催中〜6月24日(日)/横浜美術館
映画
彼女の 美の秘密は“闘志”
文=小野寺 系
パンクでクレイジーな『スーサイド・スクワッド』(16)ハーレイ・クイン役で大ブレイクし、いまアメリカでもっとも輝く俳優マーゴット・ロビー。そんな彼女が“スキャンダル女王”トーニャ・ハーディングを演じて評価を高めている。
フィギュアスケート選手といえば王子や姫のようなタイプが思い浮かぶが、下層社会に育ちラフなファッションで煙草を吸うトーニャは、まるで戦う騎士のよう。競技会場の衆目の中で芸術点を十分に与えてくれない審査員たちの前まで滑って行って文句を言うほど、その気性は激しい。
闘志をむき出しにした型破りな滑りは優雅さに欠けるが、女子選手史上2人目となるトリプルアクセルを跳び、彼女は一躍、トップ選手として注目される。その闘志は競技だけでなく、パートナーのDV男に殴られても拳を握って殴り返し反撃するなど、プライベートでも発揮される。
輝く場所にいながら、トーニャは育った環境や、幼少期に愛情を十分に受けられなかったことが影響し、事件へと結びつく人間関係に絡み取られてしまうことになる。それは彼女自身の限界といえるが、その姿は人生を理想通りに生きられず妥協を重ねてしまう人間すべての姿でもある。
だがトーニャは闘い続ける。大スキャンダルを起こすことによって世界中の人々を敵に回しながら、それでも何度も立ち直り現実に向かっていく。その闘志は、追いつめられるほどに強く光り輝いて、彼女自身の姿を美しく際立たせているように見える。
本作でトーニャに宿る“生き抜く意志”そのものを演じきったマーゴットの美しさは、まさに最強である。
アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル (2017)
ライバルの女子選手襲撃事件に関与したとされ、世界を騒がせたフィギュアスケート選手トーニャ・ハーディングの半生を描く。一転、ヒールとなったスター選手の苦悩、そして事件の真相とは?TOHOシネマズ シャンテ他、全国公開中。
小野寺 系
Kei Onodera
映画評論家。「映画とは何か」という、永遠の謎の答えを求め、今日もいろんな場所をさまよい歩く…。
Twitter @kmovie Web k-onodera.net
Illustration: Naoki Shoji
GINZA2018年6月号掲載