28 Jul 2017
【番外編】バルト三国の旅 vol.2 歴史も文化も奥深い街、リトアニアのヴィリニュスへ エディター天野志穂のLONDON 15

こんにちは。前回のラトビアのリガから高速バスで南下し(約4時間半)、リトアニアの首都ヴィリニュスへ到着。このバス旅、意外と快適でした。にしても、また雨&曇り。(涙)
まずは簡単に基本情報を。リトアニア共和国は、第一世界大戦後の1918年、ロシア帝国より独立したけれど、1940年にソビエト連邦から、翌41年にナチス・ドイツから侵略された歴史をもつ。その後、1990年に独立を回復。人口は325万人で公用語はリトアニア語(「ありがとう」は「アチュウ!」)。通貨は2015年よりユーロに。
ヴィリニュスはバルト三国の他の2首都と比べて珍しく内陸に開かれた都市で、世界遺産に登録されている旧市街の規模もヨーロッパで最大級。旧市街を囲む城壁の一部に夜明けの門があり、ここから旧市庁舎広場へかけてがメインストリート。夜明けの門は礼拝堂にもなっています。
迷路のように石畳の小道が広がる旧市街を歩いていると、いたるところに教会が。どこからでも十字架が目に入ります。国民の8割がローマン・カトリック派というリトアニア。他にもロシア正教やユダヤ教徒など、宗派はさまざま。
目の前の広場にマーケットがたつ聖パラスケヴァ教会。
そのすぐ近くには、聖ニコラス教会が。どちらも東方正教会。
ナポレオンが持ち帰りたいと言ったという逸話が残るゴシック様式の聖アンナ教会(左手前)とベルナンディン教会(奥)。
バルト三国のなかでも、リトアニアは特に信仰心が強く敬虔なクリスチャンが多い印象。背景には、独立を勝ち取るために長く戦ってきた歴史があるのだとか。日帰りツアーで訪れた十字架の丘(the Hill of Crosses)を見た瞬間、そのことを改めて強く感じました。
リトアニア北部、シャウレイの北にある十字架の丘の起源は諸説あって、一番有力なのは、独立への強いレジスタンスの象徴である十字架を、命を落とした同胞への祈りを込めて、国のあちこちからここへ運ぶようになったというもの。ガイドさん曰く「リトアニア人にとって十字架は特別な意味がある」そう。無数の大小の十字架が並ぶ様は、言葉を失ってしまう。どれほどタフな時代を生き抜いてきたかと思うと、改めて戦争がもたらす傷みの深さと重さを考えずにはいられない。今でも世界中から祈りを込めて十字架を立てに来る人が後を絶たないそうで、この日も巨大な十字架をトラックで運び込んでいる人たちに遭遇。
興味深い歴史を知れた日帰りツアーのあとは、さらに旧市街散策。ヴィリニュスにはつい店の中を覗き込みたくなるような素敵なレストランやカフェ、ショップがたくさん。なかでも気になった2つのブックカフェをご紹介。
まずは、細い裏道で見つけた、その名もズバリBOOKAFE。こじんまりとした雰囲気が可愛らしい。夏はジュラートも人気で、入り口では食材の販売もしている。
https://www.facebook.com/bookafevilnius/
こちらのMint Vinetuは本だけでなくレコードも販売しているカフェ。ヴィンテージ家具と天井までの本棚に囲まれ、居心地よさそう。
宗教が人々の心の拠り所であることを改めて気付かされたヴィリニュス。歴史と文化の背景を知るほどリトアニアはとても興味深く、国民が誇りをもって生きている感じがビシバシ伝わってくる。いや、圧倒されました!
正味2日間の滞在で、さ、次はバルトの最北エストニアのタリンへひとっ飛び。
おまけ。
リトアニアは麻で有名。上質かつ丈夫でリーズナブルなリトアニアリネンのキッチンクロスやベッドリネンはお土産にぴったりですよ。
写真は滞在ホテルの近くにあったLinen Tales。
https://www.linentales.com
【番外編】バルト三国の旅 vol.1 “バルトの真珠”ラトビアのリガへ エディター天野志穂のLONDON 14
【番外編】バルト三国の旅 vol.3 新しい発見がいっぱい、エストニアのタリンへ エディター天野志穂のLONDON 16

天野志穂
Shiho Amano
エディター&ライター。出版社の雑誌編集者だった2013年、ロンドンに住むチャンスに恵まれ、二つ返事で渡英。以降、フリーランスとして活動中。旅の楽しみのひとつが、その国の郷土料理。リトアニアでは、一番有名な「ツェペリナイ」にトライ。もっちりとしたじゃがいものお団子のようなものの中にひき肉が入っていて、サワークリームと一緒に食べる。ビールとの相性もばっちりだけど、とにかくボリューミー。残念ながら完食できず。。。