昭和の銀座を庭として青年時代を過ごし、この街を今もこよなく愛する作家、岩下尚史さんが教えてくださるのは、 銀座ならではの伝統に触れて一人前のレディになる方法。街の来歴や往時の様子も聞くと、銀座正統の形が見えてくる!
目指せGINZAレディの免許皆伝! 作家・岩下尚史が指南する、女を磨く銀座の歩き方
「20代の頃、勤め先もあったので銀座は毎日歩いておりました。今もときどき出かけます。その頃とはまるで風景が違いますが、おしゃれして行きたい、という街なのは変わりませんね。〝銀座〟のブランドは保たれていると思います。歌舞伎座があって、花柳界があって、暮らしている人もいる、珍しい街でした。今も新しいものと古いものが混在しています。
なくなったけれど忘れられない店は多いんです。『エルドール』というクラブのママたちご贔屓の洋菓子店で宝石のようなケーキを買ったり、銀座通りの『千疋屋』でジャングルのような植物に囲まれてコキールを食べたり。谷口吉郎設計のビルの『資生堂パーラー』は憧れでしたが、洋食のお値段は手に届き、入れない店ではなかった。孤を描くゆるやかな階段を降りると、地下には大きなハープがありましてね。今も夢に出てきます。
明治初頭の大火の後、煉瓦街が作られ、銀座はハイカラな街として再出発をきったわけです。以来、明治大正昭和の人たちの恩恵を被って街は発展。今、粋でいなせなんて言うけどうそ、ハイカラでいつも新しいのが銀座でした。
銀座に行かなきゃ買えない特別なものがたくさんあって、専門店が並ぶ街でしたが、時代の流れもあり、昔からの専門店は少なくなりました。銀座のショーウィンドウを見て、実際買うときは近所の何々銀座で似たものを買っていたのが、昭和です。銀座は厳然とした存在でしたね。全国の商店街のお手本として、新しいものを上等にして流行、普及させたんです。西洋のブランドが最初に紹介されるのが昔からずっとこの街なのは、常に何かを発信している街だからでしょう。
関西の文化の玄関口とも強く感じたものです。たとえばよく通った『東哉』の器。京都と東京のセンスを融合しています。料理でも……昔、江戸料理はおだしなんか引かずに作り、長廊下を通って料理を運んでいて、冷めたものを食べるのが常だったそうですが、関東大震災後に関西の板前割烹、つまりオープンキッチン形式の『出井』や『浜作』が銀座に進出した。温かく供する形とだしが一大ブームとなって、東京に定着したそうです。銀座には関西や日本中、世界の洗練された文化をいいとこどりしておしゃれに伝えた功績があります。 『金田中』、『吉兆』、そして『新喜楽』といった料亭も銀座の文化を久しく彩ってきた、ならではの象徴的存在です。金田中や吉兆の建築やお料理、すばらしいし、帝都一の料亭だった新喜楽の威厳も推して知るべし。若い女性にとっては近づきがたい世界ではあるけれど、触れていただきたいですね、チャンスがあれば。
日本の商店街の王様であった銀座を支えていたのは商人たちでしたので、格式の高い店はあっても、多くは庶民的で、懐も深かった。そんな居心地がよいとっておきの場所には、今もずっと通っていますよ。 誰に対してもフランクな銀座の伝統を受け継ぐ、上等な店をご紹介します。そんな銀座に懐深く遊んだら、すてきなレディになれるのでは?銀座は他にないきれいな街、いい舞台ですよ。ぜひここで主役になってください!」
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岩下尚史さん
新橋演舞場に長く勤務。新橋花街の芸妓たちによる『東をどり』制作に携わる。退職後、2006年に処女作『芸者論』を上梓、和辻哲郎文化賞を受賞。現在、『銀座百点』『美しいキモノ』等に連載をもつ。文筆活動のほか、テレビ・ラジオでもコメンテーターとして活躍中。
Photo: Kazuharu Igarashi Text: Chikako Hara