9、10月の週末観たいもの、行きたい場所
●歳時/向島百花園の月見の会
●展覧会/『オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展』
●イベント/NHK音楽祭2018
●映画/500ページの夢の束
月と萩とお団子と
文=猿田詠子
向島百花園で触れる 江戸文人の風雅な楽しみ。向島百花園は、思いのほかこぢんまりとしていた。江戸時代後期の文化年間、骨董商の佐原鞠塢という人が土地を買って梅を植えたのがはじまりで、もとから生えていた雑草も古典にちなんだ由緒ある植物としてアピールしたり、ここをサロンとして集った文人たちと詩集を出版したり、プロデュース戦略が当たって、ずいぶんにぎわったという。そうした来歴から、贅沢な大名庭園や整備された植物園とは違った風情がある。浸水や戦火に遭いながらも生き残った、いまでも町人文化が感じられる貴重な庭だ。
─名月や叩かば散らん萩の門 正岡子規
百花園は梅や桜、藤棚なども有名だけど、秋の「月見の会」も江戸時代から続く名物行事。中秋の名月は旧暦の8月15日で、今年は9月24日にあたり、「月見の会」もその前後に行われる。百花園では、祭壇に竹製の籠提灯と花瓶に挿したススキ、もちろん団子も三方に盛って供える。暗くて視覚が制限されるぶん、篠笛や琴の演奏が聴覚を楽しませてくれる。同じ時期に見頃をむかえる萩のトンネルでは、赤紫の花びらが柔らかく風に吹かれながら灯籠や絵行灯の光に照らしだされる。ここ百花園には、萩だけでなく秋の七草がぜんぶそろう。
向島はもともと別荘地や花街のあった、入り組んだ迷路のような街だ。好さそうな呑み屋や大衆食堂もあるけれど、少し歩けば浅草にたどりつく。むかしはもっと暗かったから、夜道の満月はずっとありがたいものだった。でもいまは、こんなに明るい。隅田川の橋は、近代化の過程で技術を試すように、どれも違った構造で架けられた。さらに最近はそれぞれにライトアップが追加され、このあたりだと上流の白鬚橋から下流の駒形橋まで、夜景がさらに変わろうとしている。見上げれば、スカイツリーもこうこうと輝く。隅田川の「向こう側」だった向島から浅草まで、近世から現代までの街の変化を感じながら、夜の散歩は続く。
向島百花園の「月見の会」は9月23日〜25日(21時まで。最終入園20時30分)。萩まつりは15日〜30日。
一見ふつうの絵。そこに冒険がある
文=柴原聡子
ピエール・ボナールの絵は不思議だ。描かれるのは、風景、裸婦、テーブルの上の静物、どれもよく見るものばかり。でも、輪郭はぼんやりして、遠近感もよくわからない。画面いっぱいに色があふれていて、そのうち自分が何を見ているのかわからなくなる。絵の中の景色を見ているのか、絵画というモノを見ているのか、色彩に目が喜んでいるだけなのか……。
ボナールはマティスとほぼ同世代、少し上には印象派の画家たちがいる。当時のパリは、新たな絵画の可能性を切り開く表現が次々生まれるエキサイティングな街だった。そのなかで彼は自身の「絵画、つまり視神経の冒険の転写」を追求していく。
ボナールの冒険。書割的なレイヤーを重ねて奥行を表す日本的な構図は、ぺたっとした面に見えて実写的とは言えない。しかも奥にあるものをあえて明るくすることで、遠くのものが前面に飛び出して見える。そうして遠近感はだんだん崩れていく。ヌードも、顔がこちらを向いていないうえに、体型もふつう。それどころか、花柄の壁紙や床のタイル、カーテンや鏡といったカラフルな周囲のモノに、女が埋もれている。それは、絵の中に別のリアルを作る絵画の伝統を打ち破る、”攻めてる”表現だ。
そう、人が絵を見ることそのものを考え直すような壮大な実験が、ボナールの描く日常にはこめられている。約100年も前に始まった彼の実験は、現代の私たちの目を惑わせ、豊かな絵画の体験へといざなう。ふつうっぽい絵に潜む、ブラックホールのように底なしの誘惑。それこそ名画のマジックなのだろう。
ピエール・ボナール[化粧室 あるいは バラ色の化粧室]1914-21年 油彩、カンヴァス 119.5×79cm オルセー美術館 ©RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
身近な主題によって光景の鮮烈さを絵画化したピエール・ボナール。世紀末のフランスで頭角を現し、以後フランスで活躍した近代美術史上重要な画家の大回顧展。 ≫ 9月26日(水)〜12月17日(月)/火/国立新美術館 企画展示室1E
おめかしして、クラシック・デビュー
文=柴原聡子
ひと目惚れで買ってしまった、よそ行き仕様のワンピースやドレス。夢は広がったまま、気づいたら半年経っていてがっくり。不憫なドレスたちをクローゼットから救い出すには、秋から本格シーズンに入るクラシックのコンサートがうってつけ。何しろそこは、おめかしして出かける「べき」場なのだから。
毎年恒例の「NHK音楽祭」は世界有数のラインナップがリーズナブルに楽しめる、初心者にぴったりのフェスティバルだ。今年のテーマは「新時代を切りひらくシェフたち」で、旬の指揮者(シェフ)とオーケストラのコンビが4組登場する。目玉は、今もっとも注目される指揮者&オケの最強タッグ、サイモン・ラトル率いるロンドン交響楽団だろう。世界最高峰と言われるベルリン・フィルの首席指揮者の座を譲ってまで祖国イギリスに戻ったラトル。その彼が指揮をする新生ロンドン響の初来日なのだから見逃す手はない。10月、11月にはパーヴォ・ヤルヴィ×NHK交響楽団、現代を代表する指揮者といわれるアラン・ギルバート×NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団が続く。そして年明けにはグスターボ・ドゥダメル率いるロサンゼルス・フィルハーモニックがやってくる。ドゥダメルの指揮は、踊ってしまいたくなるリズムが魅力。少し前に、嵐の松本潤さんが、一番会いたい人に挙げていたっけ。今回のプログラムが『スター・ウォーズ』『ハリー・ポッター』『E.T.』など巨匠ジョン・ウィリアムズの映画音楽なのも楽しみ。
夕暮れのアペリティフを済ませ、いざホールへ。音の波を堪能した後は遅めのディナー、ついでに気取ったバーにも行っちゃう?カジュアル「じゃない」方の魅惑の東京の扉。開ければほら、ドレスも空気をはらんで、生き生きと踊っているみたい。
今年は話題の指揮者×オーケストラに注目。初心者からマニアまで、納得のプログラムが目白押し。チケットは早めに購入を。 ≫ 9月27日(木)、10月1日(月)、11月8日(木)各日19:00〜、2019年3月21日(木・祝)17:00〜/NHKホール
一歩を踏み出す 魔法の力
文=小野寺 系
『I am Sam アイ・アム・サム』などに出演し、天才子役として知られるダコタ・ファニング。本作では、養護施設に暮らす自閉症の女性を、内面の感情が豊かに伝わってくる見事な表現力で演じ、成人後も驚異的な演技力が健在だと証明している。
主人公ウェンディは、誰にも負けないマニアックな知識を持つ、TVドラマ『スター・トレック』の大ファン。『スター・トレック』の脚本コンテストが開催されることを知った彼女は、書き上げた自作を締め切りに間に合わせるため、原稿をバッグに詰め、小さな愛犬ピートとともに、数百キロ離れたハリウッドを目指し無謀な旅に出るのだ。 限られた生活圏で決まった暮らしをしてきたウェンディは、バスのチケットや、おやつを買うのにも苦労する。彼女にとって初めて自分の足で踏み出す外の世界は、未知の危険と驚きに満ちあふれたワンダーランドだ。国道を進む一人と一匹の姿は、児童文学『オズの魔法使い』で、エメラルドシティを目指し、黄色いレンガ道を歩く少女ドロシーと愛犬を思い起こさせる。
意思疎通が難しいと思われているウェンディだが、彼女の原稿を読んだ『スター・トレック』のファンたちは、その優れた知性と豊かな表現に感銘を受ける。『スター・トレック』に登場するミスター・スポックは感情を表に出さないキャラクターとして知られている。ウェンディは自分の境遇をスポックに重ね、自分自身の内面や、伝えたいことを物語として表現したのだ。
数年前、会話をしなくなった少年が、ディズニー映画を繰り返し見ることで言葉を取り戻した実話が話題になった。本作でもファン同士がドラマで使われる異星人の言葉で会話するように、共通の愛する対象を通せば、人は容易につながることができる。これはまったく特殊なことではないはずだ。ファッションや音楽、映画など、誰もが自分の好きなものを通して他人の理解を深める経験をしている。
ベン・リューイン監督は、自身も幼少期にポリオを患い障害と闘ってきた人物だ。本作の脚本を映画化することを決めたのは、一人の人間が自分の居場所を探すという普遍的な物語のなかで、自閉症を特別なものとして描かず個性の一部として自然に扱っていたからだと語っている。ウェンディが原稿を届けるため必死に自分の気持ちを伝える姿を応援したくなるのは、誰もが彼女のように乗り越えるべき課題を持っているからだろう。
人は愛情を注ぐことができる対象を持つことで、苦手なことに立ち向かい、未知の世界へ踏み出す力を得ることができる。本作で描かれる、一人の女性が自分のなかの壁を壊しながら進んでいく姿は、観客にも未知への一歩を踏み出す勇気を与えてくれるはずである。
『500ページの夢の束』
大好きな『スター・トレック』の脚本コンテストに応募するため、500ページの原稿を持って、愛犬とともに数百キロ先のハリウッドへ旅に出たウェンディ。彼女の胸に秘めた、ある「願い」とは…?新宿ピカデリーほか公開中。
おのでら・けい=酒場がひしめく駅の周辺に引っ越すことになったのに、お酒が弱いのであまり意味がないと気づきはじめた映画評論家。でも美味しい洋菓子屋が近くにあるのがうれしい。
Twitter: @kmovie Web: k-onodera.net
Illustration: Shohei Morimoto Edit: Satoko Shibahara