3月3日はひな祭り。その祝い方はこの数十年でずいぶん変わったように思う。昭和は、豪華な段飾りが主流で、どこの家にもどーんと鎮座していた。今は住宅事情も変わって、場所をとらない、男雛・女雛の親王飾りや、小さくて可愛らしい人形が好まれているらしい。最近では、社寺や古いお屋敷に各家の段飾りを集めたり、天井からいっぱいのつるし雛を飾ったりするイベントも増えて、街歩き的にも楽しめる。
ひな祭りの起源は平安時代中期。当時は、三月の初めに行う、上巳の節句という無病息災を願う祓いの行事だった。陰陽師を召して天に祈り、自分の災厄を身代わりとなる紙で作った人形に托して海や川に流すもので、今も続く流し雛の原型。同じ頃、平安時代の貴族の少女たちの間では、「ひいな遊び」といって、紙や着物の端切れで人形や日用品を真似た玩具を作って遊ぶ、おままごとが流行っていた。このふたつが相まって、人形を飾るひな祭りに発展していった。
平安時代の貴族文化をルーツとするお祭りならば、高貴な人々のおひなさまはさぞや豪華絢爛だったろう。その一端を、三井記念美術館で開催されている『三井家のおひなさま』にみることができる。三井家の夫人や娘が大切にしてきたひな人形やひな道具を、一堂に公開するこの展覧会。江戸、明治、大正、昭和と、時々の名人に注文した贅を尽くしたお飾りにうっとりしてしまう。祓いに登場する人形を起源とする立雛も、三井家のものは高さ48cmと大きい。シンプルな形に金泥や岩絵具を使った豪華な着物が映えて、むしろモダンに映る。
この美術館のある日本橋室町は、江戸時代には日本橋十軒店と呼ばれ、雛市が盛んだったエリア。同じく雛市が有名だった浅草茅町(現在の浅草橋)は、今も人形問屋が多い。どの店先にも人形がずらりと並び、他の問屋街と比べて雰囲気もだいぶ違う。お散歩がてら問屋を巡って、大人になった自分へひな人形を贈ってあげるのもいいかもしれない。