仕事として本に関わるようになって、十数年が経ちました。「衣」「食」「住」において本はどこにでも入れるようで、どこからも絶対に必要とされるわけではありません。本は嗜好品なのだと書店員の頃に大先輩がいっていましたが、お店をやるようになり商売としての本屋の難しさを感じる中でその意味が身にしみてわかってきました。ではなぜいま本を読み続けるのか、また必要としているのか。日々考えていたようで答えが曖昧なままだったこのテーマに、今回紹介する本が思いもよらず答えをくれた(少なくとも自分の)気がしています。
(翻訳は優れた現代フランス文学を紹介し続ける翻訳家・野崎歓さん。ソフィ・カルの芸術について語った本書あとがきも必読!)
(「写真」の存在が彼女の世界に独特な緊張感を生みだします)
写真と言葉を用いて物語性の高い世界を表現し続け、日本でもその活動が知られているパリのアーティスト / ソフィ・カル。(本好きの間ではポール・オースターの小説のモデルになっていることでも知られているかもしれません。)本書もまた同様の切り口と一見異様とも思える粘り強い好奇心をもって(まさにそこが魅力なのですが!)「私」「他人」という存在に迫っていきます。具体的には3部構成になっていて、偶然出会った男がヴェネティアに行くことを知り変装をして現地で追跡をはじめる「ヴェネティア組曲」、探偵を雇って自分を調査させたその報告書と自身の記録「尾行」、十代の頃の記憶やストリッパーだった頃の思い出、夫との奇妙な関係など極めて個人的な告白を収めた「本当の話」として一冊にまとめられています。自身と他人の人生に思いもよらぬ角度で切りこんで、「私」という存在に迫り続けていく。浮き彫りになる私、そこにいるのにまったく違う本当の私を追い求めた記録です。
(「尾行」の章でソフィ・カルに雇われた探偵が捉えた彼女の後姿)
(表題作「本当の話」で語られる幼少期の記憶)
なんとも不思議な世界に浸る中で読み手である私の存在も危うく、宙に浮いたような、この本を手にして本を読んでいる自分とは違う自分が確かにいるような感覚になっていきます。それは「私」崩壊の危機。そこでふともうひとりの自分を見つめながら、本を読むとはまさしく鏡のようなものなのだと感じてくるでしょう。本を読む行為一回ずつをページでかぞえるなら、この本を読み終えて1ページ更新した自分はその前の自分とは不確かですが確かに違います。読んだことは忘れてしまうかもしれないけれど、ページを更新し続けるこの小さな可能性のなかで、決して追いつくことのできない、また目撃することのできない未来の自分を求めているのかもしれません。この本に触れて読書という行為に導かれた時点でソフィ・カルの世界にどっぷり浸かることになっていたのです。
本を読むこと自体があなたとの会話で、私への気づき。ページをめくって自分を崩壊させながら新しい「私」を構築していくという、とてもシンプルで強い、本との関わり方をこの本は教えてくれています。