よく笑う人だった。小さな鈴がころがるような、池脇千鶴さんの愛らしい笑い声が、取材中ずっとスタジオに響いていた。
いわずとしれた演技派女優である。近年の出演作だけでも、映画『そこのみにて光輝く』の人生を半ばあきらめた女・千夏、『きみはいい子』の母性あふれる陽子、テレビドラマ『ごめん、愛してる』の少女のように純真な若菜など、役幅は広く、声の出し方すら違う。カメラのないところではどんなトーンで話すのかが気になっていたと伝えると、アハハハと笑いながら、
「こういう高く変わった声なので、それについて言われることは昔から多いです。今回の撮影でも、『(申し訳なさそうに手でおさえる身振りで)池脇さん、もうちょっと低く……』と監督によく言われていました。落ちつきを見せるために抑えてはいたんですが、楽しい会話のシーンでは自分でも気づかないうちに、上がっていたみたいで(笑)」
今回の撮影、というのは9月に公開になる最新作『きらきら眼鏡』のことである。恋人を亡くした悲しみから、殺伐とした暮らしを続けていた青年・明海(金井浩人)。1冊の古本をきっかけに、あかね(池脇千鶴)と出会い、少しずつ心を開き始める。あかねは、いつも笑顔の明るい女性で、「きらきら眼鏡」という、なにごとも肯定的に捉える心の眼鏡をかけていた―。「きらきら」どころか、世の中全体が「ダメダメ眼鏡」をかけているんじゃないかと思うほど、ネガティブな物言いがあふれるいま、あかねの姿勢にはっとさせられる観客は多いだろう。本作が4本目の新進監督・犬童一利さんは、不思議な魅力を持つ、「あかね」という難役を、池脇さんに思い切ってオファー。OKをもらえたときには声をあげて喜んだ。物語のキーパーソンであり、池脇さんでなければ、これほどリアルなあかねは成立しなかっただろうと話していた。
「いえいえ、とんでもないです。こんないい役を私に預けていただいたということがうれしかったです。難しいと言われるのですが、私自身はそうは思っていませんでした。ホン(脚本)を読んだときに、あかねの持つ明るさや健気さ、きらきら眼鏡をかけないと壊れそうな現実というのが痛いほどわかったんです。だから、私の想像やアイデアは何も加える必要はない。台本に描かれていることを信じて、そのまま演じれば大丈夫と気楽に構えていました。そのくらいホンが優れていたんです。なおかつ、ほぼ順撮り(物語に沿って順番に撮影すること)でやってくださったので、あかねの心の動きのまま、なぞっていくことができました」
気持ちがわかる、というのは、池脇さん自身があかねと似ているということではない。
「あかねは〝感動の天才〟。観る人にとっては、そのポジティブさがハナにつくところがあるかもしれないくらい良い子です。でも私は、同じくらい明るいけれど、愚痴や悪口も冗談のように茶化して言えてしまうタイプなんです」
池脇さんは常々、演じるのではなく、役を生きるように心がけていると話している。家に帰っても、その役の性格でいることがあるらしい。
「たとえばイライラっとしたときに、普段の私ならこんなことでイラつかないから、これはあっち(役)のほうだな、と気づくような感じです。あかねを演じている期間はずっと朗らかでしたね。小ぢんまりとした撮影チームで、撮影に慣れていない人もいたので、ピリピリすることがあってもおかしくなかったのですが、周囲も私も怒ることがまったくなく、いつもニコニコしていられたんです。周りの人の力もありますが、あかねの性格にも助けられたなと思いました」
目の前の笑顔の池脇さんを見るかぎり、ピリピリする姿なんて想像もつかない。
「そういうときもあるんですよ、フフフ」
とまた小鈴を鳴らした。
池脇さんの映画デビューは、15歳のときに出演した市川準監督の『大阪物語』。高い演技力が評価され、キネマ旬報新人女優賞など数々の賞を受賞した。2001年にはNHK連続テレビ小説『ほんまもん』で主演を務め、03年の映画『ジョゼと虎と魚たち』で、演技派女優の名を不動のものにした。14年の『そこのみにて光輝く』では、魂を削るような迫真の演技を見せ、アジア・フィルム・アワード最優秀助演女優賞ほか国内外の賞に輝いた。
俳優デビューのきっかけは、15歳のときに受けたオーディション番組だが、「女優になりたい」という想いは幼稚園のころから抱いていたという。
「小さいころから、母とはテレビでお昼のドラマを、父とは邦画を観ていて、大きくなってからは兄の影響で洋画を観るようになりました。そんなふうに映像には親しみがあって、ブラウン管のなかに入りたい、と漠然と思っていましたね」
俳優願望を募らせる契機となった、思い出深い作品が、両親に連れられて映画館で観た『あ・うん』だった。
「8、9歳だったと思うんですが、私は観ながら号泣したんです。両親に泣いているところを見られるのは恥ずかしいから、客席の前のほうへテテテと走って行って、こうやって(両腕で顔を覆うポーズ)、おんおん泣いていました」
『あ・うん』は向田邦子原作、高倉健、板東英二、富司純子が出演した映画。太平洋戦争が始まる直前、性格も風貌も対照的だが深い絆で結ばれた戦友二人と、一人の女の、複雑かつ切ない関係を丁寧な筆致で描いた人間ドラマだ。
「いまならもちろん理解できますが、あの歳の私になぜあんな大人の物語が響いたのか(笑)。あのときの本当の気持ちはよく覚えていませんが、心が躍動する感じ、胸に響いてくる感覚があって、画面のなかにいるほうがもっと楽しいとぼんやり思ったんです。着飾った女優さんを観て憧れるならわかりますが、あんな渋い映画で、なぜ自分も演りたいと思ったのか、自分でも不思議なんですけれど」
抑制のきいたあの映画で、登場人物の心の機微を感じ取れたのだとすれば、池脇さんにはもともと、人の表情や気配から、言外の感情を読み取る力があるのではないか。
「どうでしょう?相手によっては、鋭く見抜けることがあるのかもしれませんが、私は良い人だと思っていた人が、実は周囲の評判がものすごく悪いと知って驚く、というようなこともあるので、まちまちだと思います(笑)」
今年でデビューして21年。ひとつの役に全力を注ぎたいという理由から、「もったいないようだけれど」出演作品のかけもちはせず、ひとつずつ大事に取り組んでいる。「一人の人の人生を歩みたい」という役への思いは、仕事を始めたころから変わらない。池脇さんは、撮影中も撮影前の準備期間も人には会わないようにしている。
「役のことを考えているときに人と会っても、どうしてもうわの空になっていたりするんです。それは相手にも失礼ですし、私も楽しくありません。なので、『撮影が終わってから会おうね』と友達にも話しています」
「役のことを考える」とは、セリフをどんなふうに言うかなどの技術的なことではなく、「もしも役の人物だったら?」という想像を膨らませていく作業だ。
「たとえば、あかねさんだったら、食器はこういうふうに洗うかな?とか。日常生活のいろんな動作をしながら、ふわふわふわふわ考えているんです。そうしていくなかで、役と一体になっていけるような気がしています」
ある種、実人生が、役に侵食されているようにも聞こえるが、それが居心地悪いと感じたことはないと断言する。
「役を生きるというのはそういうことですし、つい役のことを考えてしまうのは、私にとっては日常。むしろ、作品に入っていない、素の自分でいるほうが、真っ裸でいるようで恥ずかしくてドキドキします(笑)。役をいただいているときのほうが堂々としているかもしれません。普段の私は、本当になんでもない女なんです」
そう言って池脇さんははにかんだ。
10代のころから、事務所に頼み、オファーのきた脚本を自ら読んで、出演作を選んでいる。良い脚本を見分ける力を10代から持っているなんて、もとより読書家だったのだろうか?
「いいえ、全然です。子どものころの私は活字が大キライで、本を読むようになったのは20歳を過ぎてから。児童書を買ってもらっても置いたままで、ほとんど読んでいませんでした。勉強も好きではなかったし、台本を読めるということが奇跡でした。台本はセリフが多いぶん、読みやすいし、人物像もはっきりしていて、想像が膨らんで面白かったんですよね」
女優をこんなにずっとやれるなんて想像もしていませんでした。しかし、幼稚園のころに抱いた夢を叶え、女優一筋、21年間続けているというのは、なかなか稀な人生である。
「ほかのことは長続きしないのに、自分でもよくやれているなと思います。こんなに長く女優をやれるなんて想像もしていませんでした」
余りよくない言い方になるかもしれませんが、と口ごもりながら、池脇さんは続ける。
「私にとっては外の世界に出るほうが怖いんです。つい想像してしまうのが、スーパーのレジ係。列に並ぶ人がどんどん増えていくのに、商品のバーコードが反応しない、なんてことになったら、私だったらパニックになって、泣き出すか、逃げ出しちゃうんじゃないか。そう思ってしまうくらい怖いことなんです。幸い、私には俳優の仕事がありますし、これしかないので、これにすがっているのかもしれません」
演じているときは無我夢中。ただ、役の心のままに生き、演じている間の細かいことはよく覚えていない。そんな池脇さんの言葉を聞くと、本当に役の人物を体現しているのだということがよくわかる。私たちの実人生だって、日々目の前のことで精いっぱいで、いちいち自分がどういう気持ちでいるかなんて客観視することはない。きっとそれと同じなのだ。
「こういう役をやりたい」という欲がないかわりに、オファーがきたなかから作品を選ぶときは、そのときの自分の気持ちの波に乗ることを大事にしているという。『きらきら眼鏡』の出演依頼を受けたときは、やや重たい役を演じている最中だったので、この温かく優しい癒しの物語が心に響き、やってみたいと思ったのだそうだ。監督や脚本を手がけたいと思うことはないのかと問うと、
「ありません。考えたこともないです。キャスティングはときどき、こういう配役だったらすごい!と妄想して楽しむことはありますが、実際のキャスティングのお仕事は大変そうなので、絶対やりません(笑)。どの現場も味わいが違うので、毎回緊張しますし、毎回楽しい。まだ出会っていない監督は山ほどいます。女優の仕事はヨボヨボになってもできると思うので、許されるのであれば、一生続けたいですね」
出演作が公開されると、必ず1回はお金を支払い映画館に観に行くことを決め事にしている。
「自分への敬意も込めて(笑)。自分のよく知っている映画館で、自分の作品がかかるというのは、やっぱりすごくうれしいことです」
それは自分の身体を通して生きた、役の人物への敬意と別れを告げる行為なのかもしれない。池脇さんは、女優という「職業」ではく、女優という「生き方」を選んだのだとつくづく思う。女優道一直線、迷いのない人生。何に対してもそうなのかと、最後に聞いてみたら……、
「お昼ごはんは迷います!一番迷うかもしれない(笑)。注文したあとにほかの人のを見て、ああ、どうしよう。いまから変えられるかなあと悩んでしまうことがよくあります」
池脇さんの明るい笑い声で、スタジオの空気はいっそう清々しくなっていった。