デヴィ・スカルノ
曲名♪みだれ髪
ジャカルタの高級クラブで、 〝戦後の英雄〟の名曲が響く。
「1980年代に、プラント建設プロジェクトの仕事でジャカルタに12年ほど住んでいたんですよ。その頃、ジャカルタにものすごく高級なカラオケクラブがいっぱいできていて、仕事関係の日本の要人たちと一緒によく行きました。思えば、わたくしが初めてカラオケに行ったのは、そのときかもしれません」
真っ赤なドレスと15センチはあろうかというハイヒールを身にまとい、20キャラットのダイヤモンドの指輪をきらめかせて、そう語るのは御年78歳になるデヴィ夫人だ。瀟洒な存在感に違わず、カラオケの話ものっけからゴージャスすぎる。その手のインドネシアのお店には日本のほとんどの曲がそろっていたというが、80年代のインドネシアで五輪真弓の「心の友」が空前絶後のヒットを飛ばしたなんて話もあるし、日本の歌謡曲はカラオケで普通に歌われていたのかも。それでは、そろそろ本題に入っていこう。ずばり、デヴィ夫人はジャカルタの高級カラオケクラブで、何を〝オハコ〟として歌っていたのか?
「わたくしはカラオケに行ったら美空ひばりさんの歌しか唄いません。40年間日本を離れていましたからその間の曲は知りませんし。そういうなかで、何が歌えるかと考えたとき、自然に身についていたのが美空ひばりさんの曲でした。もちろん、彼女の歌にしても、インドネシアにいた頃のものは後から知りました。『川の流れのように』を知ったのもかなり遅いと思います。だから、歌うのは子どもの頃から聴いていたような曲。当時はテレビなんかないですからラジオでしたが、美空ひばりさんは敗戦後の日本で悲しみに打ちひしがれながらも頑張っている日本人に、勇気と喜びを与えましたよね。彼女は戦後の英雄だったと思います。だから、1曲に絞るには難しいんですよ。『車屋さん』『お祭りマンボ』『悲しい酒』『越後獅子の唄』『東京キッド』『悲しき口笛』……。でも、一番好きでよく歌うのは『みだれ髪』かしらね。女性の切ない恋心をよく表している歌詞が素敵なんです。わたくしが一緒に高級カラオケクラブに行く友達は、みんなわたくしが美空さん以外に歌わないのを知っているので、勝手に入れていってくれるんです」
曲名だけ聞けば、王道すぎるチョイスだと思うかもしれない。しかし、夫人のつむぎだす力強い言葉のうちには、美空ひばりさんに対する真のリスペクトが感じられた。ちなみに、夫人はその後、美空さんとプライベートで交流を持つようにもなったという。夫人がインドネシアに渡った後のことだ。
「銀座の『やなぎ』というゲイバーのママをやっていたお島に紹介してもらいました。それで『やなぎ』や青山の『紫』というゲイバーに行ったりしましたね。彼女を劇場に訪ねたこともあります」
この挿話からしても、二人の良い関係性が窺える。ところで、デヴィ夫人には今のところまだマスターしていないが、できることなら〝オハコ〟として歌ってみたい候補が2曲あるそうだ。
「ひとつは谷村新司さんの『群青』。初めて聴いたときは涙を流しました。メロディも歌詞も美しい。どうしたら、あんな歌詞が書けるようになるんでしょうか。ただ、歌いたいけど、なかなか覚えられないんです。それと、川奈ルミさんの『貫く愛』。この詞はわたくしが書いているんですよ。大統領との昔を思って歌を作っているんですけど、同時にベッキーさんにも思いを馳せて。わたくしはベッキーさんに純愛を貫いてほしかった……。でも、この曲も出だしがちょっと難しくて。カラオケでは歌えないんです」
「みだれ髪」/作詞=星野哲郎/作曲=船村徹/歌=美空ひばり