ボーイスカウトで出会ったオカルト少年“朱雀”の話、テレビの地方ロケで地獄を見た話、性の目覚めの話、真相がよくわからない怪談話、ゾンビの話、本当のカッコ良さを教えてくれた先輩の話。くだらなくて愛おしい男子の青春譚、『煩悩ウォーク』。書いたのはテレビディレクターの岡宗秀吾さん。自身が10代20代の頃に「実際に体験した出来事」をエッセイとして書き綴ったもので、大根仁監督やバナナマン、バカリズムらが「面白すぎる!」「声を出して笑った!」と大絶賛。発売後即重版!の偉業を成し遂げたのであります。
人生の駄目なところも味がする。話題の『煩悩ウォーク』を書いた岡宗秀吾さんってどんな人?
「初めて本を書きました。全240ページ、8ヵ月かけて書いたんです。3時間くらいで読めますけどね(笑)。ただ、アメリカ重犯罪刑務所から生還した男の話ではないし、自分の人生を語るには、テレビマンとして有名性があるわけでも、キャリアがあるわけでもない。あのオモロい番組をつくったオレの人生教えたろかという本でもない。だから、この本を企画して、僕に書かせようと思ってくれた文藝春秋社の担当編集者さんにはものすごく感謝してるんです」
テレビディレクターの岡宗秀吾さんをご存じだろうか。大学生が飲み会で発する「コール」を競う『全日本コール選手権』、制作費がないことを逆手にとった『とにかく金がないTVとYOU』、世の中を騒がせる“刺激的”な人々をゲストに迎え「現状のテレビに対する挑戦状」を叩きつけた『BAZOOKA!!!』、アンダーグラウンドだったフリースタイルラップバトルをメジャーに押し上げた『高校生RAP選手権』(『BAZOOKA!!!』内の企画)などなど、「クセがすごい」番組を作り続けている“テレビマン”だ。
「異形のものへの愛というか、興味というか、そういうものだろうと思うんです。テレビマンとして、まだ誰も触ってないサラのネタじゃないとイヤやという気持ちもあります。ただ、最初に手をつけたヤツが得をすると僕は信じてるんですけど、結果、得しないことが多いです(笑)。だから、今回の本に関しても、担当編集者さんが『こいつ、本を書けるかもしれないな』と思ってくれたことが僕はうれしかった。多くの人はそれを全然やらないんです。テレビマンもやらない。それは保険がないからなんです。でも、保険がないから面白いのであって、世に出す意味がある。クリエイティブに関わる人間は、それを忘れちゃいけないと思うんです。『それは面白いと思うけど、売れないよね』ってよくみんな言う。もちろん、売れることは大事です。売れないと意味すらないと僕も思ってる。でも、だからといって、有名性だけでとるのはナシだと僕は思ってる。みんなが捨てたもんから探し出して、ウェルメイドなもんがつくれたらすごいだろ、って」
神戸のベッドタウンで生まれ育った。1990年代初頭、17歳で高校を「クビ」になると、ヒップホップグループ脱線3が地元の遊び仲間だったことから、スチャダラパーやTOKYO No1. SOUL SETらと交流開始。ビースティ・ボーイズ来阪の折には「お好み焼き屋にアテンドする」という大仕事も経験。そして95年、阪神・淡路大震災を機に上京。テレビの仕事を始める。
「テレビの仕事をしよう思って上京してきたわけではないんです。ただ当時は、『このまま神戸にいててもラチあかんな』と。地震直後はなんも出来なかったんです。電車は動かない。大阪へも行かれへん。で、飛行機で東京に来て。それであるとき、これは本にも書いた話ですけど、どこかのクラブでYOUさんと一緒になったとき、『テレビマンがいいんじゃない?そういう顔してる』って言われて、『ああ、そうなんかな』と(笑)。そしたら、知り合いが『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のアシスタントディレクターの仕事を探してきてくれて。それが始まりなんです」
YOUさんとの邂逅もそうだが、彼は、嘘か真か、奇妙キテレツな体験に事欠かず、ゆえに語るエピソードもいちいち面白い。たとえば、『煩悩ウォーク』にはこんなエピソードがある。──自堕落な生活を送っていた21歳のとき。昔なじみの女の子と飲んで家に行き、なりゆきでエッチをするのだが、翌朝、彼女が付き合っていると思しき「恐ろしい男」に踏み込まれてしまう。「ゴラ!オノレ!お前の顔キッチリ覚えたからな!!一生かけて追いこんだるからな!!」──
「僕ね、ヤクザに追いかけられたことは、これも含めて4回あるんですよ(笑)。とにかく軽率なんです。脇が甘いというか。『テレビでいいんじゃない』って言われて、なんの確認もせずにその世界へ行ってしまうのも軽率やと思うし(笑)」
でも、不良ってわけじゃないですよね。
「全然不良じゃないです。ただ、まじめな子かといえば、そうではなく。明るくて遊び好き。悪いことしようとは思わないんですけど、女の子と遊びたいし、おしゃれもしたいし、っていう(笑)。ただもう、親はホントに心配してました。学校に呼び出されたり、警察に呼び出されたり、なんかあるたんびに、『うちの子がすいません』って謝ってましたけど、よくよく話をきいたら、『オマエそんなに悪ないがな』って(笑)。『なんでそこにいたん?』っていう。なんか『いちゃってる』んですよね」
つまり、「巻き込まれ人生」だと(笑)。
「完全にそうです。でも、僕が悪いんです。そこにいてしまう、なかなか帰らない、だから巻き込まれてしまう。でもそれもこれも、人が好きだから、なんです。人と出会うんが面白い。僕、嫌いな人ってほとんどいないんです。もちろん苦手な人はいますよ。でも、どんなに酷いことをされても、『あの人にもいいとこあるしな』って思ってしまうし、その人の逆側にその人が僕にそんなことをした理由も同じくらいに考えてしまう。そうすると、敵味方というか、そういうんじゃないなって。立場とタイミングがそうだから揉めごとになるだけで、たとえば、僕を追い込もうとしてるヤクザのお兄さんがバーのマスターだったら全然違ってただろうなとか、そういうふうにも同時に考えてしまう。子どものときからずっとそう。とにかく、この本に書いているのは、ほとんどが失敗談ではあるんですけど、同時に僕が多くの人に出会って成長したという記録でもあるんです」
本の中でもっともユーモアとペーソスにあふれた話といえば、阪神・淡路大震災のエピソード。1995年1月17日早朝。地震が起こったまさにそのとき、岡宗さんは、友だちと3人、尼崎のラブホで○○の最中だった(何をしていたかは、本を読んで確かめてください)。
「この話を書いたのは、あれから20年以上の月日が経ったというのもあるし、震災のとき、こういう人間もいた、という話をするのも大事なんやないかなと思ったからなんです。震災では多くの犠牲者が出ましたし、亡くなられた方は6000人弱いらっしゃいます。そういった人たちの感動話や救出秘話、それを知るのはもちろん大切なことやし、語り継いでいくべきです。でも、そういったエピソードだけで震災の恐怖を煽ることに、僕は違和感があるんです。なぜなら、神戸の人の9割が僕と同じような状態やったと思うんです」
尼崎から神戸の家までの帰路、不安と恐怖に駆られながらも妙にハイテンションになり、どこかで異常事態を楽しんでいる自分がいる。そして、空腹が満たされると無性に人助けをしたくなっていく──。リアルな人間の姿が、人間の営みがそこにはあった。
「でもね、僕には2人娘がいるんですが、長女はいま14歳なんですよ。オヤジが○○してる話って。『パパ、○○って何?』ってなるじゃないですか(笑)。しかも、岡宗って名字はめちゃくちゃ珍名なんです。高知県の陰陽師の家がもとで、その周辺に40軒くらいしかいなくて、東京にはうちしかいないんですよ」
先祖が陰陽師!だから「呼ぶ」んですかね、キテレツな体験を。
「かなとも思うんです。引き寄せがあんのかなって。だから、書かなきゃなと思ったし。僕はね、オモシロ話や猥談を書きたかったわけではなく、人間賛歌を書きたいと思って本にしたんです。自分が裸になってるという感じを見せたい、そこに正直に向き合うのが、テレビマンの使命でもあると思うし。ただ、娘には読ませないようにと思ってます(笑)」
ちなみに、娘さんはどういうものに興味があるんですか?
「藤田ニコルとか、クリスティーナ・アギレラとかですね。娘に『キミはギャルなの?』ってきいたら、『ううん、パリピだよ』って(笑)。ミニスカートはいて、WEGOとかで服買って、友だちとおそろいの服着てディズニーランドに行って。自分の娘がそんなんやって笑いがとまらんですよ(笑)。反抗期なんで『パパ嫌い!クサイ!』ってずっと言ってますけど。だから、いまはわからんやろうけど、30歳くらいになれば、『ああこういうことが書きたかったんやな』と思ってくれればなって。人生の駄目なところも味がする。そういうことがわかる年齢になれば、わかってもらえんのかなって」
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岡宗秀吾
1973年兵庫県神戸市生まれ。95年に上京、フリーランスのテレビマンになる。代表作にDVD『全日本コール選手権』シリーズ、『とにかく金がないTVとYOU』、BSスカパー!『BAZOOKA!!!』(スタートから第10回高校生RAP選手権in日本武道館まで)がある。11月に初の著書『煩悩ウォーク』を上梓。神戸のベッドタウンに生まれ育ち、17歳で高校中退、自分を探していた95年1月17日、まさにラブホで○○していたときに阪神・淡路大震災に遭遇……。自らが体験した「ウソのようなホントの話」をまとめた青春譚。文藝春秋/1,600円。