間を取る、間合い、間抜け、間が良い、間違い。 時間・空間は、西欧からTimeとSpaceに、どちらの意もある「間」をあてたもの。「間」には、どうも日本特有の都合良さがある。でも、うまくやれたら、キツキツな毎日にもちょっと余裕ができそうだ。変幻自在の「間」の根っこを求めて、キーワードをあげながら徒然なるままに解いてみる。
🎨CULTURE
東京でみつけた「間」 浅草某所のお寺の回廊
―お寺の回廊(浅草某所)―
深い軒の下にある縁側。景色を眺め、風や音を感じる、とびきり風流な場所。
縁【Marginal】
縁側のドラマ
縁側とは、屋根があって、外と通通の場所。内と外がもっとも曖昧になった空間だ。欧米のテラスは、日除けのパラソルは立てるが屋根はない。月見も花火も夕涼みも縁側。ここは至極日本的な空間である。『源氏物語絵巻』に描かれた、夜を共にした男女が夜明け前に別れる「きぬぎぬの別れ」の多くは、舞台が縁側だ。夜に男性が会いにくる「おとずれ」もそう。「訪れ」とは、もともとは衣擦れの音「音擦れ(おとずれ)」だったという説がある。暗い中、愛人が縁側をしずしずと進む衣擦れの音に、古の恋人たちは身を焦がしたに違いない。
銀座も昔は端っこだった
銀座は東京の繁華街の中でも、一番歴史があって格式の高い中心地。でも、江戸時代は大江戸随一の繁華街だった日本橋の端っこにある地味なエリアだった。一転したのは、築地に外国人が集まるようになってから。幕末以降、外国人居留地になった築地には、慶應や立教をはじめ新しい学問を教える学校が集まり、日本初のホテルと言われる築地ホテル館もあった。これで銀座にも一気にハイカラな風が吹き、文明開化を謳歌する文化人が集まる、東京一の繁華街へと成長した。銀座は、日本橋と築地の「間」だったんだ。
深める一冊
『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』
磯崎 新、藤森照信(2017 六耀社)
ロラン・バルトが、天ぷら、歌舞伎、庭など日本のあれこれについて独自の哲学を展開する。
Photo: Kenshu Shintsubo,Hiromi Kurosawa(book)Text&Edit: Satoko Shibahara