南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.15 ワカモレとチャイで〆るお正月」はこちら
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.16
南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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宮古島は、北野武の映画「ソナチネ」のような情景が広がる土地だった。青い海、ヤシの木、道端のハイビスカス、白い砂浜に差し込む東南アジアのような彩りどりの配色の建物たち。
私の中の島のイメージって、SNSで見かける嘘みたいに美しい海とビキニの人々。なんとなく問答無用にアッパーで騒がしいものだった。本当に見たことがない景色は少ない、なんでも先に画像で勝手に予習することになるのが現代の悩ましいところだ。話で聞いただけの、一度も見たことがない景色を見た時の感動はどんなものだったかと時々考える。
都市はもはやiphoneの中にあるとわたしは思う。昨日まで東京にいた友達は今日はロンドンでワーホリをはじめている。そんなことが各地で連発している。私のiphoneの中からはロンドンもパリもニューヨークもの情報がリアルタイムでわかる。そしてそれらの都市に実際に私は行ったことがあるが、携帯の中から見える景色と大きな相違はない。さて、嘘みたいに美しい写真ばかりをネットで見かける「島」とはどんなところか試してみようと思った。
そんな実感のない美しい海ってやつに初めて行ってきた。私は泳げない人間なので物理的に海関連のカルチャーにあまり親しみがなかった。だが自分自身は南国がルーツで、マンゴーやココナッツを食べて育った。朝食には時たまタピオカだって出た。台湾風の小さい方のやつ。リゾート地の道に咲くハイビスカスは私のベランダにも咲いていた。グアバ、パイナップルやザクロなど彩り豊かな果物に囲まれて育ったので、海以外の南国バイブスは血筋に流れているはずだ。泳げないけど。
泳ぐ海がある宮古島はSNSで見かける嘘みたいな美しさに反して、渋かった。そして海は写真で見るよりも嘘みたいに美しかった。肉眼で見てもまだ信じることができないほどの光景だった。水は透明で、カラフルな小さい魚がこんにちはしてくれる非現実的な光景。市街地にはほぼ行かず、与那覇前浜のビーチで貝を拾ったり、今までなんとなく信用できなかった浮き輪で初めて浮いたりしてみた。人が少ない東側は農業地帯が広がっていた。珊瑚で出来た山がない島の地平線に畑が広がる光景は、南ヨーロッパのどこかのようにも見えた。断崖絶壁から見る西陽のグラデーション、夜の星空は天の川が見えそうなほどだった。植物が屋根代わりで、床が砂のままのカフェでは、ゴーヤソーダとサーターアンダギーを食べた。道すがら見つけたご飯屋さんでは自家製の紅生姜とコーレーグスの宮古そばで温まった。はじめてSNSのフィルターなしにこの島を見ることができた。キラキラしたものを斜めに見ていた自分の心が自然と矯正されて、癒えていくようだった。
Photo&Text_Sharar Lazima