南アジアにルーツを持つ、シャラ ラジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.23 大掃除の季節到来!家事は全て瞑想だ」はこちら。
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.24

南アジアにルーツを持つ、シャラ ラジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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私と酒の歴史は長い。その辺の北区王子のギャルが酒を語るのはちょっとおこがましくも感じるが、今日は無礼講でお願いしたい。
お酒との歴史は荒川の土手ではじまった。そこから現在まで、様々な酒を本当に様々な人と界隈で私は飲み続けてきたように思う。広く浅く、たまに深く、みたいな。クラブのハブ酒とテキーラ、パーティーで空きっ腹で飲む悪酔いが愛しいシャンパン、居酒屋の日本酒、焼き鳥屋の焼酎、横丁系のサワー、千べろのはしご飲み、道端のワン缶酒、頑張ったあとの喉に染み渡るビール。お酒のシーンの記憶をあげれば無限に続いてキリがない。酒の数だけ思い出がある。
そんな私は最近バーで一杯飲む、略して夜の“バー活”なるものに励んでいる。お酒との関係、その飲み方は、自分の気分とバイブスで季節のように移り変わっていく。クラブに行かない週末、ご飯はラーメンなどの一点もので済ませながら、友達とすごくいい話ができた素敵な夜。そんなときに、バー活は突如として巻き起こる。酒は「味」だけじゃない、「経験」だ、その店の佇まいと空間、その場にいる人の波長、会話が生み出すリズム、それが音楽に聴こえてきて楽しめることもある。現実と幻想のボーダーを超えそうなふわふわな感覚で作られる記憶。さらに飲む現場によってその酒の味は大きく変わってくる。酒とはXYZ軸だけじゃとても収まらぬ無限に存在する要素の組み合わせで、その経験がどんなものになるのか決まるのだ。
私がこの飲酒生活において現状、神様にいちばん感謝してることは、たぶん明るい性格のおかげで酒癖が良いところだ。酒癖良いとはどういうことか判断が難しいが、喜怒哀楽でいうと喜びと楽しみで終われることだと思う。たまに楽しみが爆発しすぎて楽しさに人を道連れにすることも多々あるし、迷惑をかけていないかは怪しいところではあるが、巻き込みつつも楽しい時間を過ごしてる。怒りと悲しみはむしろ淡々とした日々に突然訪れるほうだ。
私にとって飲むということはただ酒を入れて酔っ払えれば良いというわけではない。実をいうと、珍しいタイプかもしれないが、酔っ払うこと自体が好きなわけではない。お酒って酔っ払ってきたら理性から溶けていって最後には本能が残る。いつだってできるだけ理性は残っておいてほしい。私の本能はとても扱えない。一方で酒の「味」はとても好き。種類や銘柄ごとに、これだけいろんな角度の味わいを楽しめるものはない。可能ならば酔っ払わずに味だけを永遠に楽しんでいたいと密かに思ってはいる。人間の不思議なところは、空腹を満たすとか、喉の渇きをいやすとかでなくても、味だけ欲しい衝動があるところ。お酒の空間では、今日飲みたい酒はそのたびに違うし、盛り上がっていきたい日もあれば落ち着いた感じでいきたい日もある。最近では気がつけばご飯食べながらお皿の隣に赤ワイン、白ワイン、焼酎と三つくらいグラスが並んでしまうことさえある。それぞれの料理の味に合わせて飲むものを変えたいわがままプリンセスが発揮された結果だ。
落ち着いて会話で盛り上がりたい日に、バー活は適任だ。バーといっても様々な空間がある。普通に想像されるバーってちょっと高くて大人な空間だけど、街によってその大人感の縁取り方は全然変わってくるし、その街で営まれてる文化に沿った客層のバイブスによって形作られる。三茶や下北沢と、中目黒や恵比寿のお客さんは違う。これらを世田谷区、目黒区に分けてもいいし、田園都市線と東横線に分けることもできるけど、三軒茶屋や下北沢と祐天寺の、昔ながらの商店街が残る雰囲気は意外にも似ていたりする。その街と客層の解釈が自分に馴染むかで今日いきたい店は決まる。勝手に名付けているが、私はお店の明かりと窓枠など雰囲気だけで判断する、「佇まいセンサー」なるものがすごく発達している。グルメサイトで調べていくよりも佇まいセンサーのあたり率は高い。それはそうで、私向けに私の脳内が学習して生まれたセンサーだから当然である。
Text_Sharar Lazima