南アジアにルーツを持つ、シャラ ラジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.24 お酒とバー活【前編】」はこちら。
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.25

南アジアにルーツを持つ、シャラ ラジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.24 お酒とバー活【前編】」はこちら。
私の「佇まいセンサー」については「お酒とバー活【前編】」に書いたが、つまりは店の佇まいを外から見ただけで良い飲み屋を見つける能力のことだ。これはだいたい百発百中で、そのレーダーを使って、最高の飲み屋を見つけた瞬間、人生って本当に最高だ!ということがわかる。この幸福感はなにものにも代え難いし、この分断されがちな現代で唯一私たちが平等に持てる感情なのではないかとさえ思う。
今回見つけたのは前から看板を見かけては気になっていたお店だ。佇まいセンサーの反応もトップ級だった。終電ギリギリで帰ってもう一杯行きたいな、みたいな夜に友達を誘い、勇気出して入ってみた。そのお店はいい感じに灯ったワインバーだったのだが、肩肘張っておらずカジュアルに飲める雰囲気だった。私は下町育ちだからなのか、わざとらしくおしゃれな場所は昔から腰が引けてしまう。自然とそこにあったみたいな演出の方が好き。その店はそういう居心地の良さだった。そして予感通り面白い会話も起きる。
気の利いた家具が置かれた空間でぬくぬくしながら、椅子に座って蝋燭を見つめる。これもまた一種の瞑想かもなと考えた。世界は瞑想的な行為であふれている。
バーの店主によると、中目黒や恵比寿のお客さんはだいたい上昇気流にあるギラギラした方が多いけど、下北沢や三軒茶屋にはワインを深刻に飲むお客さんがいなくてとても気楽だそう。ワインを深刻に飲む、という言い回しに私は大ウケした。ワインというお酒はそのイメージがあまりにおしゃれにブランディングされすぎて、自分自身も結構ピュアに味が好きでも一番には好きですと言えない何かがあると常々思っていた。最近ではナチュールというワードにくるまれて裸電球のおしゃれ空間で高いお金を払ってしか飲めないものだと思われたり、昔の方に遡るとその店主の言うように深刻に飲んでいる大人がたくさんいたんだろうなと想像できた。業の深い飲み物だこと。
私の鮮烈なワインの記憶は、夏至の日のパリで、音楽の日を祝って街中がパーティーしている中での出来事だ。ヨーロッパで有名な音楽ラジオの野外パーティーにいた。人間の大群をかき分けて、より良い音を求める私たちは当たり前に最前のどちらかのスピーカーの近くで踊るわけなのだが、さすが封建制を倒した自由の土地パリ。DJブース内には盛り上がった女性たちが上裸で乗り上げて踊り狂っていた。我々アジアの民としては衝撃的だったが、人々はそれぞれに飲むワインのボトルなどを乱雑に持っていてぶち上がると掛け合っていた。190cmある友達は我々が飲んでいた赤ワインを自分で頭からぶっかけて、横にいた彼より遥かに小さい私は、彼の着古した白いTシャツに染み渡る赤色をじっくり目の前で見ていた。なんて乱雑で洒落た世界だ。ワインの扱いなんてその程度で、うっすいグラスに注ぎもしなければ、ボトルから直接飲んで最後には適当にぶっかけるくらいで親しみがもんのすごかった。もちろんうっすいグラスで飲むお澄ましディナーワインのモードも一つの楽しみ方としては好きだが、やつの真髄はこの光景にあるように私には思えた。ワインの深淵を見たおかげでその深淵は私のことも見つめ返してくれて、それ以来私は肩肘はらず、たとえオシャレ空間であっても飲みたいワインを好きに飲めるようになった。
お酒にはそれぞれ性格があるように思う。飲むお酒でその人の性質が完全に決まるとは言えないが、傾向くらいは掴めるのではないだろうか。それでいうと私はたくさんのお酒と出会ってガラパゴス東京の街を飲み倒してきて、たくさんの味見ができたことで、大変豊かな性質を取り込んできたように思う。本当にお酒と出会った人間に感謝しかない。以前お話しした音楽にも似ていると思うが、そのお酒を飲むことでそのバイブスを身体に馴染ませていく感覚がやっぱりある。音楽よりも実態が掴めなくて、たまに大事件も起こしてくれるおてんばな存在だが、お酒とはこれからも楽しい関係を築いていきたいと思っている。
Text_Sharar Lazima