60年代以降、若者がファッションをリードし、ストリートから流行が生まれるようになると、そんな若者をターゲットにしたファッションビルが計画され始める。その第一号となったのが渋谷パルコ。続いて、新宿ルミネやラフォーレ原宿も70年代に開店する。この時代の広告を象徴する、石岡瑛子によるパルコの強いビジュアルは、ヒッピームーブメントによる女性解放に共感し、来るべき時代の女性の強さをいち早く提示するものだった。ここまでコンセプチュアルなビジュアルが、ADやコピーライター、スタイリストなど、クリエイター全般の職業がまだ認識されていなかった時代に作られたことを思うと驚くばかり。
渋谷パルコ、新宿ルミネ、ラフォーレ原宿が開店した70年代の広告。エネルギッシュな表現のキーワードは“女性”

エネルギッシュな表現のキーワードは“女性”
1973年、渋谷の区役所通り(現公園通り)にパルコがオープン。開店当時のポスターをはじめ、多くの広告のアートディレクションを石岡瑛子が担当した。女優のドミニク・サンダやフェイ・ダナウェイを起用した鮮烈なビジュアルはどれも伝説的だ。パルコ創業者である増田通二氏は時代に先駆け、クリエイターたちと“女性の自立”を発信し続けた。
パルコ 1973年 「女は明日に燃えるのです」 AD: 石岡瑛子 Photo: 横須賀巧光
渋谷パルコの オープン= 新時代の幕開け
渋谷パルコ開業時のポスター。赤いドレスを纏った黒人女性がドーベルマンを抱えたインパクトのあるビジュアル。同時に展開された広告は対照的に、白い服を着た白人男性が優しくヤギを抱く姿だった。圧倒的な女性の強さを打ち出した2枚のポスターは、密かに新しい時代の幕開けを示唆していた。
パルコ 1973年 「きみって素敵だ。いくつなの。」 AD: 石岡瑛子 Photo: 横須賀巧光
パルコ 1979年 「西洋は東洋を着こなせるか」 AD: 石岡瑛子 Photo: 操上和美 Copy: 小池一子
時代を創った石岡瑛子
パルコの広告史の原点にいるのは、AD石岡瑛子である。資生堂や角川書店の広告を手がけたことでも知られ、70年代を華やかに盛り上げた人物だ。彼女が打ち出すパルコのグラフィックは、何が革新的だったのか。それは「男性の視線を意識しない、自分を謳歌する女性」を主役に描き続けたことにある。モデルとなったのは、海外の大物女優から、アフリカの先住民、ヌードの女性まで。石岡が美しさを感じた女性であれば有名無名は関係なかった。写真家の操上和美や横須賀功光、衣装の三宅一生など、一流スタッフと作り上げる表現は、常に時代の一歩先をゆく強烈なメッセージを放っていた。
パルコ 1977年 「1977 SUMMER」 AD: 長谷川好男
山口はるみがエアブラシで 描く艶っぽい女性
イラストレーター山口はるみの代表的な作品が、エアブラシを用いたシリーズ。そのタッチはリアルで美しく、70年代当時の表現手法としては最先端。1977年の夏に展開されたポスターには、プールサイドで寝そべる、セクシーな女性が描かれた。決して等身大ではなく、同性から憧れの対象となるような奔放さがあった。
池袋パルコ 1971年 「Be Natural. Go Nature.」 AD: 石岡瑛子 Photo: 沢渡 朔 Copy: 小池一子
池袋パルコ 1972年 「PARCO感覚。」 AD: 石岡瑛子 Photo: 操上和美 Copy: 小池一子
パルコのアイデンティティを作った女子チーム
西武百貨店の宣伝部にいた山口はるみがイラストレーターとして独立後、初めて仕事を手がけたのはパルコの広告。上の2枚をはじめ、AD石岡瑛子、CD小池一子とともに、パルコの立ち上げ当初から広告に関わり続けた。池袋パルコの広告は、池袋の街のイメージを変えようという気概のもと作られた。
原宿をファッションの街にしたラフォーレ
ラフォーレ原宿のオープンは1978年。当時、一部のおしゃれ層には人気のあったものの、まだまだファッションのイメージはなかった原宿。そこで、ラフォーレは直営店を持っていなかった小さなアパレルメーカーの本店を集約させる戦略に出る。原宿らしさを凝縮した館は大成功。それが後のDCブランドブームへと発展していく。
ラフォーレ原宿 1978年 オープンイメージ AD: アントニオ・ロペス & C.MANZO
ラフォーレ原宿 1979年 イメージ初春 AD: アントニオ・ロペス & C.MANZO
ラフォーレ=森が 多い、初期の広告
オープン時の広告は、アントニオ・ロペスやフィオルッチといった海外アーティストを起用し、先端的なイメージをアピール。森やジャングルなどのイメージが多いのは、ラフォーレ=森だから? 館のロゴを固定しない、一定期間ごとにADを変えてイメージを新しく更新し続ける方針はこのころすでに定まっていた。
パルコ
池袋に続き、1973年に渋谷パルコが開店。ファッションだけでなく、劇場やギャラリー、ライヴハウスも運営、ユースカルチャーを全体として発信し続け、渋谷を若者の街にした中心的存在。現在は2019年の再オープンに向けて一時休業中。 shibuya.parco.jp
ラフォーレ原宿
1978年開店。原宿=ファッションの街のランドマーク的存在。DCブランドブームを生み、バーゲンの行列が風物詩になるなど、流行の発信源でもある。クリエイターの発想が自由に発揮できる一風変わった広告も含め、強烈な個性がポイント。 www.laforet.ne.jp
ルミネ
1976年に新宿にルミネが開店したのが始まり。駅ビルとして営業していたが、2000年頃にファッションビルへと華麗な転換を図る。駅直結の利便性と買いやすい価格帯が人気を博し、一躍日本有数のファッションビルに。 www.lumine.ne.jp
Cooperation: PARCO, Laforet HARAJUKU, LUMINE, NEWoMan
Text&Edit: Satoko Shibahara, Satoko Muroga
〈関連記事はこちら〉
《ファッションビルは、 非日常から日常へ》ジャーナリスト 川島蓉子さんにファッションビルと広告の関係を、たっぷり語ってもらいました!
クリエイティブディレクター小池一子さんに聞きました!《「表現」になったファッションと広告》とは?
ファッションビルが流行を牽引した1980年代の広告。世は広告の黄金期!ナンセンスなコピーとビジュアルこそ’80s
パルコの広告を支えた 写真家・操上和美さんにインタビュー!撮影時の話や当時流れていた空気を振り返って「アイデアは現場で生まれてくるもの」
原宿と渋谷のストリートが輝きを見せた1990年代の広告。グランジ・ヒップホップ・ギャル、これぞ ’90sのユースカルチャー!
トーキョー=カワイイが広まった2000年代の広告。ねじれた方向に突き抜けたカルチャーが世界を魅了!
言葉を次々と繰り出すルミネのコピーライター、尾形真理子さんにインタビュー!「ルミネらしさってなんだ?」
キッチュなだけじゃない成熟した東京のイメージが定着した2010年代の広告。「その人らしさ」を応援する、シンプルでストレートなもの
NEWoManオープン広告のAD、 上西祐理さんにインタビュー!自分や友達のリアルからイメージを膨らませるアティチュード「たおやかに、強くサバイブする女性を表したい」