エモケン(池田成志)の脚本が完成しない! いっぽうで純子(河合優実)は現代でひとときの恋を楽しむ……。宮藤官九郎脚本『不適切にもほどがある!』(TBS金曜夜10時〜)7話を、ドラマを愛するライター・釣木文恵と、イラストレーターのオカヤイヅミが振り返ります。6話のレビューはコチラ。
岡田将生好演「その回が好きなら、僕にとってそれは好きなドラマです」
エモケン(池田成志)の脚本が完成しない! いっぽうで純子(河合優実)は現代でひとときの恋を楽しむ……。宮藤官九郎脚本『不適切にもほどがある!』(TBS金曜夜10時〜)7話を、ドラマを愛するライター・釣木文恵と、イラストレーターのオカヤイヅミが振り返ります。6話のレビューはコチラ。
これまで、このドラマのサブタイトルは「頑張れって言っちゃダメですか?」「可愛いって言っちゃダメですか?」など、昭和と令和の差からくる言葉が使われていた。昭和からやってきた主人公・小川市郎(阿部サダヲ)による、令和の世ではタブーとされがちな言動がテーマとなっていた。しかし、7話の「回収しなきゃダメですか?」は、ちょっと性質が違うように見える。たしかに、近年ますます「伏線回収」が声高に叫ばれ、注目されるようになったような気もしないでもない。けれど、7話では令和と昭和のドラマの比較がなされるわけではない(6話に引き続き『金曜日の妻たちへ』が登場するけれど)。この言葉は、現代の大御所脚本家、江面賢太郎ことエモケン(池田成志)に市郎がかけるものではあるけれど、時代による差というよりは、作品に向かう姿勢そのものを表現しているように見える。
エモケンに連ドラの脚本を依頼している羽村(ファーストサマーウイカ)は、エモケンを「承認欲求の権化」と語る。取材では、
「エゴサーチ? しませんね。顔も名前も知らない100万人ではなく、たった一人の孤独な人間のために書いてますから」
なんてうそぶくエモケンだが、エゴサーチによって「今のエモケンにここまでの伏線回収を期待できるか」のつぶやきを見てしまったらしく、伏線回収に悩む。
「最近の視聴者は展開を考察してつぶやきながら見るんです」
「そいつら見てねえな」
「でも大事なお客さんだし、この人たちの承認欲求はここで満たされてるわけですから」
羽村と市郎が交わすドラマのリアルタイム実況勢に対する言葉は、毎話を振り返っている本欄の筆者にとっては耳の痛い話だった。考察らしい考察をしているわけではないこのレビューでも、展開を予想してしまうことはある……。
宮藤自身、『週刊文春』の連載(2024年2月15日号)で、うっかり『#不適切にもほどがある』で検索して以降、ドラマに関するポストのお知らせがメールで来るようになり、「クドカンのこういうとこキライ」なんていうポストを目にする羽目になってしまった、と書いていた。6話のレビューでも書いたけれど、改めて、登場人物が発するセリフは、脚本家の思想や考えとは関係ない。であってもやはりエモケンについてはクドカンの思いや経験が反映されているのでは、とうがった「考察」をしてしまいたくなる。
結局、脚本が5枚しか書けていないエモケン。「早く自分の老いを認めて道を譲るべきだった」「けどさ、いいの書けたら嬉しいしさ、オンエア楽しみだしさ。過去の遺産で食いつないでるだけじゃ生きてる感じしないんだよね」とつぶやくエモケン。宮藤が、この先の自身を想像して書いたセリフかもしれないな、なんてつい思ってしまう。
「きれいな伏線回収」をめざすがあまり、締切日に5ページしか脚本が書けていなかったエモケン。しかしその5ページのために山ほど書き直していたことを知った羽村は言う。
「こんなの見たら、手伝わないわけにいかない」
7話ラスト、朝を迎えたであろう明るい光が差し込むエモケンの部屋で、ボサボサの髪、目の下にクマをつくった羽村が原稿の束を抱えて「確かにちょうだいしました。おつかれっした!」と去っていく。エモケンと羽村が徹夜で脚本を仕上げたのだろう。それこそ2話で語られた「働き方改革」からは大きく外れた振る舞いだ。そんな働き方改革は創作においては当てはまらない、なんて言うつもりはない。けれど、おそらくは宮藤自身が、これまでそうやって作品を仕上げてきた経験を実際に持っているのだろうな、とここでもつい思いを馳せた。
Edit_Yukiko Arai