六本木の演劇文化を築いた劇場や、新宿のファッションシーンを盛り上げたビル。街のカルチャーを育み、愛されてきた建物が再開発や老朽化で消えゆくこともある。そんな転換期を迎える場所を訪ね、いま現在の姿を撮影。その物語を聞いてみた。#街の文化を担った“あの場所”へ
覚えておきたい東京の風景:東映最後の直営映画館「丸の内TOEI」へ
古きよき鑑賞文化を守った銀座のシネマ
東映最後の直営映画館
[銀座]丸の内TOEI

古きよき鑑賞文化を守った銀座のシネマ
いちばんの特徴は、509席のキャパシティと、2階席まである大空間。人気俳優による舞台挨拶やヒット映画にまつわるイベントなど、“映画館で観る楽しみ”を発信するフラッグシップ館として、1960年、銀座の目抜き通りにオープンしました。自社作品を上映する『丸の内東映』と洋画封切館『丸の内東映パラス』の2スクリーンを備えた、東映70番目の直営館でした」
そう話すのは「丸の内TOEI」支配人の小林恵司さん。昭和、平成、令和と65年にわたって愛されてきた東映最後の直営館が、今年7月にその歴史を閉じる。
「1993年にシネマコンプレックスが登場する以前は、どの映画会社も自社作品を中心に上映していましたから、各社のカラーが劇場の雰囲気にも反映されていた。銀座という土地柄、女性好みの文芸的な邦画が好まれてきましたが、一方で、『仁義なき戦い』『極道の妻たち』などのアウトローな作品も人気だったんですよ。かつては任侠映画のスクリーンに向かって“(高倉)健さん!”と声をかけるお客さんも多かったとか。今でいう応援上映のような感じですね」

また、シネコン以前は「映画館に出かける」イコール「街へ出かけ、街を楽しむ」ことだったと小林さんは言う。
「映画を観て、ブティックで買い物をしてぶらぶら散策する。映画館が街そのものを楽しむ娯楽の一端を担ってきたように思います。と同時に、子どものころに観た“東映まんがまつり”からずっと、身近なエンターテインメントの場として親しんできたという地元の方も多いんです」
そんな「丸の内TOEI」はまた、チャレンジングな館でもあった。実は世界で初めて、通信衛星を利用した「デジタルシネマ」の実験上映(作品はモーニング娘。の『ピンチランナー』1巻目)を試みたのも、劇団☆新感線の演劇映像を上映する「ゲキ×シネ」の第1回会場となったのも、この映画館だった。
「その原点には、“映画館の使命は、体験としての映画の魅力を伝えること”という想いがあったはずです。情報が削ぎ落とされた暗闇の中で、非日常の世界に没入できる。かけがえのない喜びを、次世代にもしっかりつなげていきたいですね」

ℹ️
丸の内TOEI
住所_東京都中央区銀座3-2-17
1960年開館。今年7月27日閉館。3月28日より「昭和100年映画祭 あの感動をもう一度」、5月中旬より東映代表作を上映する「さよなら丸の内TOEI」開催。詳細はHPで。東映の映画興行はシネコン「T・ジョイ」で続ける。
Photo_Kohei Kawatani Text_Masae Wako