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家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.2 トレンチコートが教えてくれたこと

家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.2 トレンチコートが教えてくれたこと

クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。25歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は vol.1 イチゴ柄の便箋


vol.2 トレンチコートが教えてくれたこと

その日の朝、わたしは随分とご機嫌だった。

それは前の晩、眠りに就くためにベッドに潜り込んだ時から決まっていたことなんだけど。

会いたい人に会える。それって最高のご褒美だ。

カーテンを開け、朝日を浴び、魔法の言葉を唱え、バスルームに向かう。

素足に感じる浴室タイルの冷たさがまだ春を迎え入れたばかりだということをわたしに知らせる。

桜の開花宣言もかなり先だろうなーとステンレス製シャワーラックの一番下の段から浴槽用洗剤を選び取り、湯船に向かって数回プッシュし元の場所に戻す。手が滑りガコンッと思ったより大きめの音が天井に響き渡ってわたしは思わず身を固くした。

今住んでいるマンションは築年数こそ古いものの、部屋は全部綺麗にリノベーションされていて周囲の環境も良く、とても気に入っている。唯一ネックなのがたまに生活音が聞こえること。

防音ってことで不動産屋さんに紹介されたのだけど….まぁ夜間に制作する時なんかはヘッドフォンを付けて作業しているし今のところは大丈夫ってことなんだろうけど、やっぱり気を遣う。

詰めていた息を小さく吐き出し、ひと呼吸置いてから今度は黄色いスポンジを手に取った。今度は屈みながらバスタブの底まで手を伸ばす。バランスを取る為にお腹とお尻にフッと力を入れ、体幹を意識しながらバスタブを磨く。そして思った。

今日はロンドンで買ったあのトレンチコートを着て行こう、と。

小さい頃から憧れていた〈BURBERRY〉のトレンチコート。

父が好んで着ていたことも影響しているが、春や秋という一瞬で過ぎ去ってしまう、季節をかろやかに纏うその装いに、大人の余裕を感じていたのだと思う。

頑張って、頑張って、頑張ったら、いつか必ず買おうと心に決めていたそのトレンチコートを、いつだったか立ち寄ったデパートで試着したことがあった。

憧れのコートを店員さんに着せて貰い、高鳴る胸を押さえながら、
ゆっくり顔を上げ鏡を覗き込んだわたしは、そのまま何も喋れなくなった。

黙り込んでいるわたしを数歩後ろから心配そうに見つめている視線にハッとする。急いで笑顔に切り替え、店員のお姉さんにお礼を言い、足早に店を出た。

駅までの道を歩きながら、下唇を噛む。

いくら素敵なものに身を包んだところで、
自分自身がしっかりしていないとダメなんだなぁ。

わたしはそこからできるだけたくさんの本を読んで、映画を観て、音楽を聴いた。特に言葉をいっぱい、いっぱい欲しがって、自分の中に蓄えつづけた。

そうして生活しているうちに、わたしが本当に欲しかったのは、トレンチコートの向こう側にあった落ち着いた佇まいだったんだなぁということに気がついた。

洋服が好き。メイクも好き。

お洒落はなりたい自分でいる勇気をくれる。

だけどそれはお金だけじゃ買えないものなのだと、あの日わたしは学んだのだ。

言葉は目に見えないファッション。

それから数年後。

わたしはロンドンの老舗百貨店「ハロッズ」にいた。

お会計を済ませ、深緑色の瞳をした店員さんから、〈BURBERRY〉の大きな紙袋を受け取った時の気持ちをわたしは永遠に忘れない。

出かける前、最後にもう一度玄関に置いてある姿見を覗き込む。
今になって気づいたところでもう着替える時間もメイクを直す時間もないのだけど。
やっぱりこのコートかわいいなぁと何度でも思いながら、靴を履き、鍵を閉めた。

その人は会う約束をすると、いつも驚くほどお店の候補を挙げてくれる。

何が食べたいか、どんな気分なのか、その日足を運びやすいのはどの辺りなのか。

かなり細かくハイペースに繰り出される質問に返信を打ちながら、不思議な魅力を持った人だなぁと改めて思った。

別の人が同じ手順を踏むと、かなり積極的、ともすれば前のめり過ぎる印象を抱いてもおかしくないはずなのに、その人はその一連の全てをそつなく、滑らかにこなしてしまう。

そして気がついた時にはもう、会うまでの日を指折り数えて待つだけになっているのだ。

だけどそれは、その人だけが使える魔法で、これだから小説家はなぁと軽口を叩きたくなる。そしてきっとそれを伝えたら、家入さんより年上ですからねとその人が小さく微笑むところまで想像できてしまって、わたしはもう、うれしい。

その人もわたしも無類の甘党で、大抵いつも、選りすぐったスイーツ専門店で会う。今回はわたしが提案したホテルのラウンジが採用された。ここのケーキは本当にどれも美味しくて、一度食べて欲しいと伝えたのだ。

ロビーからテーブルに座るその人を見つけた時、思わず走りそうになった自分を窘めながら、お久しぶりです、と近づき席に着いた。

近況を報告し合いながら、二人でケーキのメニューを覗き込む。優柔不断なわたしは散々迷ってチーズケーキを注文した。その人はもう一つ追加で注文するべきか、しないべきかで頭を悩ませていて、つい可愛いなぁと思ってしまい、なんとなく背筋を伸ばした。

ガラス張りになっているラウンジからは良く手入れされた庭園が見える。ぼんやり外の風景を眺めていると、左隣の背もたれにかけたわたしのコートが視界の隅にちらついて、わたしは何の気なしにそちらにピントを合わせた。

言葉は目に見えないファッション。

〈BURBERRY〉のトレンチコートに、そう言われた気がした。

わたしは驚いて、しばらくじっとそのコートを見つめながら、まだまだまだ知らないことがたくさんで、もっとたくさんのものに触れようと思った。

隣で頭を悩ませているこの人と、今日はどんな言葉でどんな話をしようかなぁ。

世界はいつだって開かれている。

家入 レオ Leo Ieiri

1994年生まれ、福岡県出身。17歳のメジャーデビュー以降、ドラマ主題歌やCMソングなどを多数担当。2020年5月13日には自らが厳選したカバー楽曲も含む1st EP『Answer』をリリース。
16thシングル『未完成』(フジテレビ系月9ドラマ『絶対零度〜未然犯罪潜捜査〜』主題歌)のginzamagでのインタビュー:
家入レオ、愛と憎しみの区別がつかなくなった「未完成」
leo-ieiri.com
@leoieiri

Cover Illustration: Yui Horiuchi Edit:Karin Ohira  

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