12 Nov 2020
松田聖子の80年代伝説Vol.6 歌は影があって初めて光る。ジャケットの表情に込められた想い。4thアルバム『風立ちぬ』~後編~

昭和から令和へと変わってもトップアイドルとして輝き続ける松田聖子さん。カセットテープ1本から彼女を発見し育てた名プロデューサー・若松宗雄さんが、24曲連続チャート1位という輝かしい伝説を残した80年代の松田聖子さんのシングルと名作アルバムを語る連載。80年代カルチャーで育ったライター・水原空気がインタビュー。
第6回目は、大滝詠一らとの出会いで、アーチストとしてさらなる飛躍を見せたアルバム『風立ちぬ』についての後編。前回の記事松本隆や大滝詠一との出会いが、ポップス史に残る名盤を生んだ4thアルバム『風立ちぬ』<前編>も合わせてチェック。
ライター水原(以下M) 前回に続いて『風立ちぬ』のお話<後編>です。大滝さんの『A LONG VACATION』と『風立ちぬ』の曲が対になっていて、リズムやミュージシャンが同じだという話はご存知でしたか?
若松さん(以下W) いや。知らなかったです。確かに大滝さんならそこまで凝るでしょうね。でも、そうやって本気で遊んでくださったのがうれしい。シングルの『風立ちぬ』も音が何重にもなっていて、当初は少し豪華すぎるかなと思ったのですが。
M 調整のご相談はされたんですか?
W いやー大滝さんはマイペースですから(笑)。でも、いい作品になりました。
M 当時忙しすぎてハスキーだった聖子さんの声とシンクロして、逆に評価が高いアルバムですよね。もしかして大滝さんのナイアガラサウンド(多重録音)との融合は、聖子さんの声に合わせた企画でしたか?
W いやいや、それは結果的にみなさんがそう感じてくださっただけで。ただ、ミックスダウンは私たちがやっていますから、声とのマッチングは自然にそうなっていたかもしれません。
M B面をアレンジした鈴木茂さんも、元はっぴいえんどのメンバーで。大滝さんの曲でも全編でギターを担当されています。
W 大滝さんも鈴木さんも、松本さんが紹介してくださって。もしかしたら聖子と松本さんの仕事を見て、自分からやってみたいと言ってくださったのかなぁ。新しいアーティストの方とご一緒するのは私もワクワクしていました。どんな化学変化が起こるんだろうってね。
M 考えてみたら他の作曲陣の財津和夫さんも杉真理さんもビートルズ好きで。まるで、ビートルズをはじめとした洋楽を吸収してきた「日本のポップシーン」というバンドで、聖子さんがヴォーカルをしているような感じでしたが、それは若松さんの狙い通りでしたか?
W 見えていたと思います(笑)。何が見えてたと言われたら困るんだけど、でも聖子を手掛ける前から、いいと思った曲は必ずヒットしていたから。あと、やっぱり当時ニューミュージックと呼ばれるジャンルの方たちとご一緒するのは刺激的で、新しいことをやっているという自覚はありましたね。
『風立ちぬ』は日本のシティポップの軌跡でもあった。
M 杉真理さんは、CBSソニーの若松さんのデスクまで、たくさんのデモテープを持ってきてくださったそうですね。
W 20から30曲位あったんじゃないかな。そこから一緒に聴いて選んだのが『雨のリゾート』。
M ♪もうワイパーもすねるほど雨なの~という松本さんの詞も神がかりです。
W 本当ですよね。松本さんに細かい詞の注文をしたことはないけど、少し難しい言葉があるときは言ったことはありました。でも、そういうときも「大丈夫だよ若松さん。詞にサウンドと聖子の声がのったら絶対成立するから」と。確かにその通りなんですよね。
M 『風立ちぬ』のタイトルは堀辰雄さんの小説から?
W はい。私が大ファンで。実はCBSソニーに入って間もないころ、堀さんが療養していた長野県の病院を訪れたことがありまして。朽ち果てた昔の病室を見て、人の命って儚いなぁと。軽井沢も好きで、そのときにまわったりして。
M それはまたどうして?
W 音楽の仕事をするうえで、作家の方のルーツを探るのも大切なことですし、見てみたかったんですよね。歌は影があって初めて光るものですから。
M 堀さんの『風立ちぬ』は松本さんもファンだったそうです。
W それも縁でした。
M 聖子さんの曲は長調が多くて明るいイメージですが、詞やメロディにせつなさもあふれています。そういえばジャケットは、アイドルにしては珍しく、笑っていないものが多い。
W ジャケットは、笑ってるとか笑ってないとかじゃなく、雰囲気があるほうがメッセージが強くなるので。あと憂いがあるほうを私が好む部分もあります。
M 『風立ちぬ』も、ラストの『December Morning』に去り行く季節の儚さを感じます。
W だから、心に残る歌になりますよね。
M 実は1981年の思い出で個人的に忘れられないことがありまして。学園祭で*イントロクイズがあったのですが、シングルの『風立ちぬ』のB面が流れた瞬間、B面なのに女子たちがこぞって「ハイ! ハイ!」と手を挙げだしたんです。そのとき、聖子さんの女子人気の波が本格的に来ていることがわかり。でも、みんなが「『Look At Me』『Look At Me』」と絶叫するので、私が冷静に「『Romance』です」と答えて正解したという。
W なるほど(笑)。確かにLook At Meというフレーズは繰り返しますが、Romanceという言葉は大サビにだけ登場しますからね。ちなみに『Romance』は、のちに『瑠璃色の地球』を書いてくださった平井夏美さんの作曲なんですが、一番初めにいい曲があるからと聴かせてくれた大滝詠一さんのマネージャーさんが、「でもちょっと事情があるからなぁ」となかなか平井さんの連絡先を教えてくれなかったんです。さて、それはなぜでしょうか?
M わっ、若松さんからのクイズになってますが(笑)。えーと、では当てに行きますよ。それは…平井さんがビクターレコードの社員だったから。
W 正解(笑)!!
M 現役のビクター社員がソニーのアーティストに曲提供するわけにはいかないですからね。それでペンネームを使われたんですね。
W そう。あと今思い出しましたが、その頃、ファンの子たち30人くらいにレコード会社に集まってもらって、聖子について語ってもらったことがあるんです。私がいるとしゃべってくれなくなるから、隣室でこっそり聞いていたのですが。でも結局、聖子の好きな部分、こうあってほしい部分は、全部私の頭にあることと同じだったんです。
M なるほどー。ブレてないぞと。
W 確認できました。でもまだその時点では、ほとんどが男子だったんですが。
M それで翌年には、女子からの支持が決定的になった『赤いスイートピー』が生まれたんですね。
W いやいや、それは狙いじゃなく。聖子に合ういい曲を作っていったら、結果的に男女問わずたくさんの方が支持してくださっただけなんです。
M 次回はいよいよ1982年に突入です!! お楽しみに。
*イントロクイズ 70~80年代はラジオでのインパクトも狙って、派手なイントロの曲が多かった。イントロで曲を当てるクイズでテレビ番組が成立するほど。国民全員が知っているヒット曲が多かったことも背景に。
*参考文献
『平凡Special1985 僕らの80年代』(マガジンハウス)
Profile

若松宗雄/音楽プロデューサー わかまつ・むねお
一本のテープを頼りに松田聖子を発掘。芸能界デビューを頑なに反対する父親を約2年かけて説得。1980年4月1日に松田聖子をシングル『裸足の季節』でデビューさせ80年代の伝説的な活躍を支えた。レコード会社CBSソニーではキャンディーズ、松田聖子、PUFFY等を手がけ、その後ソニーミュージックアーティスツの社長、会長を経て、現在はエスプロレコーズの代表に。Twitter@waka_mune322、YouTube「若松宗雄チャンネル」も人気。
Text: Kuki Mizuhara Photo: Hiromi Kurokawa