21 Dec 2020
松田聖子の80年代伝説Vol.7 キャンディボイスで80年代の夏をPOPイエローに染めた5thアルバム『Pineapple』

昭和から令和へと変わってもトップアイドルとして輝き続ける松田聖子さん。カセットテープ1本から彼女を発見し育てた名プロデューサー・若松宗雄さんが、24曲連続チャート1位という輝かしい伝説を残した80年代の松田聖子さんのシングルと名作アルバムを語る連載。80年代カルチャーで育ったライター・水原空気がインタビュー。
第7回目は、『風立ちぬ』の大ヒットを受けてサウンド面も一気にレベルアップした5thアルバム『Pineapple』について。前回の記事松本隆や大滝詠一との出会いが、ポップス史に残る名盤を生んだ4thアルバム『風立ちぬ』<後編>も合わせてチェック。
ライター水原(以下M) 『赤いスイートピー』は1982年1月21日発売。聖子さんがこの曲に合わせて耳が見えるショートにしたのは伝説的なイメチェンでした。全国の聖子ちゃんカットの少女たちが、ますます釘づけになり。
若松さん(以下W) そうでした。ヘアスタイルはね、本人がスタイリストさんやヘアメークさんと相談して決めていたんです。
M 次の『渚のバルコニー』では太めのパンツルックで、まさに今流行っている80sファッションそのまま!
W スタイリストの三宅由美子さんが非常に有能な方でね。コスチュームなどは、事務所や三宅さんと本人にお任せしていましたが、三宅さんは聖子の意見を尊重しながらアイドルの枠にとらわれない新しいスタイルを打ち出してくださって。ヘアメークもこの時期に嶋田ちあきさんが参加して、変化していきましたね。
M 初めて嶋田さんが聖子さんに会ったときに、試しに顔半分だけメークして、その新しさに聖子さんもビックリしたという逸話が。歌も進化を?
W はい。松任谷由実さんにオファーして、新しい色合いを追求していました。
M ユーミンさんに書き直しをお願いしたことがあるというのは本当ですか?
W そうです。当初『赤いスイートピー』は中盤が下降旋律になっていて。でも私は、春に向かって盛り上がっていくような曲にしたかったので、直しをお願いしにコンサートのリハーサル会場におじゃましたんです。そうしたらリハーサルを中断して時間をくださり、ステージの端っこにあるピアノで、「なるほど、そういうことですね」と快く直してくださって。
M アレンジはどんな打ち合わせを?
W ご自宅におじゃましてユーミンの手料理でユーミンと(松任谷)正隆さんとなごやかに盛り上がりました。でもレコーディング当日になってミュージシャンが弾きだしたら、なんだかリズムがはねていて、ちょっとイメージと違ったんです。それで慌てて止めてもらうと、正隆さんが「えっ、違うんだ?」と言って。それで、その場でいろんなパターンを弾いてくださり、私が「これです!」と言うと、「えっ、これでいいの?」と。そして今の形になったんです。
M あのテンポは正隆さんも一瞬驚かれたんですね。でも、春の日差しに揺れるスイートピーが見えるというか、今やJ-POPのスタンダードです。
W 季節感がとてもあるアレンジですからね。ユーミンも完成した曲を聴いて、「尾瀬に春が来たね~」と笑顔で言ってくださったのをよく覚えています。
M 翌年、原田知世さんの『時をかける少女』がヒットチャートで1位になったときにユーミンさんからお礼を言われたそうですね。確かに『時をかける少女』も全体に上昇旋律の曲で。
W そうなんです。わざわざお電話をくださって、若松さんのアドバイスが勉強になって1位が取れましたと。うれしかったですね。『赤いスイートピー』については、もう一つお話があって。♪なぜ知り合った日から、半年過ぎても~の部分ですが。実は聖子が自分の間合いで歌っていて。レコードは「はんとーし」になっていますが、楽譜は「はーんとーし」だったんですよ。何回か指摘したのですが、その譜割もいい感じだったので結局そのテイクで行きました。
M まさにレアエピソード。今となっては聖子さんバージョンしか考えられません。
W ユーミンがすごいのは、そんなときも、聴いた時の心地よさを優先して、音楽的に厳密にこだわりすぎないところ。ヒット曲をたくさん出されている方ならではの感覚というか、そこは私も共感する部分でした。正確な歌より、印象に残る歌を大事にされていて。
M 『Pineapple』は、大村雅朗さんの進化したアレンジも聴きどころです。冒険度がアップしていて。大村さんはもしかしたら、『風立ちぬ』で自由自在に遊ぶ大滝詠一さんを見て触発されたのでは?
W そういう部分、あったかもしれません。大村さんは、YMOに深く関わっていたシンセサイザープログラマーの松武秀樹さんと一緒に仕事をしていて、会うたびにサウンドもブラッシュアップされていましたからね。
M 2曲目の『パイナップル・アイランド』もデジタルのリズムが心地いいですよね。途中で水の音も登場したり。
W 水はね、大村さんのアイデアなんです。実は、ボウルとピッチャーとバケツを用意して、スタジオの中で大村さんが自分で水を流して(笑)。
M えぇーー!逆にアナログ。すごいです。
W そういう遊びを入れながら、最先端のサウンドを作ってくださる。
M 来生たかおさんの長調の曲もかなりレアです。
W はい。3曲目の『ひまわりの丘』もメロディがきれいですよね。
M 歌詞について松本隆さんは、妹さんと昔スペイン旅行したときに見た景色だとインタビューで語られていますね。
W それは知らなかった。きれいなひまわりの色が目に浮かびます。
M 原田真二さんの起用も斬新でした。
W 彼は70年代から人気で、ポテンシャルがすごかったから。聖子が歌うとおもしろいものが出来るんじゃないかと思って。フワフワとした個性的な曲で、うまくハマりましたよね。
M 『ピンクのスクーター』は電話の音が途中で入るんですが、ちゃんとコードと合っているところが粋です。
W いろんな方の熱意が詰まってますから。
M ラストの『SUNSET BEACH』の終わり方も印象的で。
W 一回フェイドアウトして、もう一度イントロのピアノが戻ってくる。フェイドアウトだけだと寂しいから、大村さんにもう一度ピアノを足してもらった記憶があります。夏の夕暮れの感じが出ていますよね。
M 『Pineapple』というタイトルも秀逸です。
W 確かに。シングルのタイトルだと弱いけど、アルバムだと、ワンワードで世界観をしっかり表現してくれてイメージが広がる。言葉っておもしろいですよね。甘酸っぱさというかね。我ながら、いいタイトルだと思います。
M ジャケット写真も聖子さんの作品としては珍しく笑顔でした。
W このアルバムはね、夏のイメージで文句なしに明るくスコーンと抜けた感じにしたかったから。
M そういえばネットで、『渚のバルコニー』は歌番組のほうがレコードより少しキーが高いと話題になっていました。
W 歌番組は盛り上がりが大事ですから、本人がはじけるようなキーに変えることはよくあるんです。でもレコードは世界観が大切。歌手本人の音域から多少外れても、歌のニュアンスが出るほうを優先していたので。
M レコードだと♪右手に缶コーラ~の「ラ」の部分が低くて吐息のようになり、サビも声が張りすぎずに雰囲気がある。
W まさに、そういうところ。いろんなキーを試したけれど、あれがベストテイクだったと思います。
ユーミンが作ったメロディは
根強い人気を誇る大人のスタンダード!
M 『Pineapple』には収録されていませんが、『小麦色のマーメイド』もおしゃれですよね。
W あの曲も最初は地味かなと思ったのですが、ユーミンと正隆さんがこれで行きたいと。でも結果的にとてもいい仕上がりで。
M 和製AORと言うか、アナログレコードで音量を上げて聴くと、かっこよさがよくわかります。
W まさにそうですね。
M 聖子さんはテレビの歌番組でも、カメラに投げる視線やタイミングが神がかっていました。ああいった部分も若松さんは見抜かれていたんですか?
W いやいや、聖子本人の才能です。でもね、九州から出てくるときに、反対するお父さんに対して歌手になることを最終的に認めさせたのは、他でもなく聖子本人だったと思うんです。その強い気持ちに迷いがないから、カメラに照れることもない。歌手も役者なので詞を解釈して大胆に演じるし、松本さんの詞も聖子の大衆性が加わって、さらに多くの人に伝わっていく。その相乗効果ですよね。
M デビュー前にお父さんが反対されていたのは有名なエピソードですが、デビュー後しばらくして、ご両親は東京に引っ越されてますよね。何か福岡時代のことを振り返ってお話しされた記憶はありますか?
W いや。よく自宅におじゃましてご飯をごちそうになっていましたけど、雑談したり料理の話ばかりで、仕事のことや深い話はしなかった。でもそういう形で、やさしく見守っていらっしゃったと思います。
M 最近、先ほどお話に出た原田知世さんが『小麦色のマーメイド』をカバーされました。原田さんは他にも『秘密の花園』や『SWEET MEMORIES』も歌っていて。松本隆さんや聖子さんへの愛を感じます。
W うれしいことですよね。当時いろんなクリエイターの方々が松田聖子に本気で取り組んでくださったおかげです。曲がずっと色あせないから、今もカバーしていただける。
M 次回は、まるでファッション誌のようなジャケットが話題を呼んだ6枚目のアルバム『Candy』について。この時期から聖子さんは、おしゃれアイコンとしてますます変幻自在に輝き始めます。お楽しみに!!
*参考文献
平凡Special 1985 僕らの80年代
Profile

若松宗雄/音楽プロデューサー わかまつ・むねお
一本のテープを頼りに松田聖子を発掘。芸能界デビューを頑なに反対する父親を約2年かけて説得。1980年4月1日に松田聖子をシングル『裸足の季節』でデビューさせ80年代の伝説的な活躍を支えた。レコード会社CBSソニーではキャンディーズ、松田聖子、PUFFY等を手がけ、その後ソニーミュージックアーティスツの社長、会長を経て、現在はエスプロレコーズの代表に。Twitter@waka_mune322、YouTube「若松宗雄チャンネル」も人気。
Text: Kuki Mizuhara Photo: Hiromi Kurokawa