29 Mar 2020
シティガール未満 vol.10──新宿伊勢丹

上京して6年目、 高層ビルも満員電車もいつしか当たり前になった。 日々変わりゆく東京の街で感じたことを書き綴るエッセイ。前回はこちら。
小学生の頃、好きな色を聞かれたら“水色”と噓をついていた。
通っていた小学校の女子の間で、水色を好むのがイケているという風潮があったからだ。ピンクが好きな女子はぶりっ子と見做され、一般的に“男の子の色”とされている黒や寒色系を好むことがカウンターとして機能し、でもその中では中性的でやわらかいイメージがあり“男の子っぽすぎない”水色がちょうどいい、とは誰も言わなかったものの、今振り返ればそんな認識がぼんやりと共有されていた。なぜか持ち物や着る服の色についてはあまり問われなかったが、当時女子の間で流行っていた“プロフィール帳”の“好きな色”の欄には、クラスの女子ほぼ全員が“水色”と書くほどだった。そういう同調圧力があった。
私は別に水色も嫌いではなかったが、本当はオレンジが一番好きだった。ピンクも好きだった。しかし嫌われることを極度に怖れていた私は、周りに合わせて水色が好きなフリをしていたのだった。
「新宿伊勢丹」1階の化粧品フロア。〈ADDICTION〉の新作ネイルをタッチアップして思い出したのは、そんな小学生時代のことだった。
レッド、ピンク、イエロー、パープル、オレンジ、ブルー。戦隊モノのような春の限定6色は、ボトルに入っているのを見るとかなりビビッドなのだが、塗ってみると自爪が少し透けるシアーな発色が可愛い。
なかでも特に惹かれたのは“サニーマリーゴールド”と名付けられたオレンジ色だった。その名の通り太陽の下に咲くマリーゴールドのように鮮やかなオレンジ色で、今にも果汁が滴り落ちそうな南国のフルーツをも思わせる瑞々しさに心を奪われてしまった。
少し前までの自分なら、諦めていたところだと思う。しかもサニーマリーゴールドなどという名前ならなおさらだ。もしも人間が花ならば、私は絶対に日陰に咲く花なのだから。
中学以降は好きな色にまつわる同調圧力などはなくなったが、私はその頃にはオレンジを好まなくなっていた。
好きな色自体がなくなり、例えば色違いが複数ある服を選ぶ時はデザインとの兼合いで最も可愛いと思う色を選ぶものであって、色だけで何かを選ぶことはできないと考えていた。
今でも特別好きな色はない。今回も、気に入ったものがたまたまオレンジだったというだけである。
だが中高生の頃は、なんとなくオレンジは避けていた。友達が少なく暗い自分が陽気なイメージを持つオレンジのものを身につけたり持っていたりしたら、似合わないと嘲笑されるのではないかという自意識が芽生えたせいだった。普通の田舎の中高生が色を自由に選べるものなんて文房具か靴くらいだったが、オレンジのものを選ぶことは一度もなかった。
高校を卒業して制服から解放されると同時に、誰一人過去の自分を知らない東京の大学に進学したことでそんな自意識からも解放された私は、ひたすら気に入った服を買い、ひたすら自由に着ていた。経済的な制限こそあれ、似合うかどうかなど全く考えていなかったため、全身黒の日もあれば全身パステルカラーの日もあった。オレンジの服も堂々と着ていた。
どうやら似合うものと似合わないものがあるということに気付き始めたのは、半年ほど経った頃だった。
幸い好きなものと似合うものはだいたい重なっていたのであまり葛藤は生じなかったが、オレンジはどうにも似合わないという結論に至った。中高生の頃の瑣末な自意識とは違い、ただ単に自分の容姿に似合わないと思ったのだ。
どんなに好きでも愛してくれない人とは一緒にいない方がいいのと同じように、どんなに気に入っても似合わない服は買わない。今思えば謎の理論を唱え、手持ちのオレンジ系の服を「メルカリ」に出品した。原宿の古着屋で一目惚れして買ったワンピースを手放す決意には時間がかかった。
そこから、似合うことに対するこだわりは加速していった。
ネイルならボルドーやネイビーだと決まっていた時期も、黒い服ばかり着ていた時期も、前髪は目にかからないギリギリの長さで一糸乱れず真っすぐ揃っていなければ気が済まなかった時期も、濃い赤のマットリップしか塗らない時期もあった。
似合っていると思える方が楽しいし、自分を好きになれた。そしてその自分を他人に承認してもらうためでもあった。
しかしパターンが限られているので、さすがに2〜3年も経つとだんだん飽きてきて、窮屈に感じるようになった。変化を求めて徐々にこだわりは薄れたものの、それでもオレンジだけは避けていた。
そんな宿敵・オレンジと和解するきっかけとなったのも〈ADDICTION〉だった。 数年前、恋人がプレゼントしてくれた10色のリップパレット。開けた瞬間、目に付いたのはその中のLe Meprisという、サニーマリーゴールドと比べると朱色寄りのオレンジ色だった。「いろんな色を使えた方が楽しいだろうから」と彼は言っていたが、いろんな色を楽しめるかどうかは人による。その色だけは一度も使うことがないまま時は流れた。
とはいえ一色だけ残ってもどうしようもないので、ある日なんとなく塗ってみると、これが案外しっくり来たのだった。
黄色や茶色などの同系色で揃えるのも良いけど、青や緑の服に合わせるのもオシャレな気がする。すぐにそんな想像も膨らんだ。
何より、新しい自分に出会えた気がして新鮮だった。
私は“似合う”という基準にいつのまにか縛られ、決めつけていただけだったのだ。
私は今、東京に来たばかりの頃のように自由に装うことの楽しさを取り戻しつつある。
明らかに違和感があるような場合は勇気が出ないが、“似合わなくもない”と思える程度は許容範囲だし、少なくとも似合わないと決めつけてすぐに諦めてしまうことはもったいないと考えるようになった。
それに、似合わないと思っていたものが、いつのまにか似合うようになっていることもあるし、ただの思い込みだったりもする。上手く着こなせなかった服も合わせ方次第で印象が変わったりするので、処分しなくてよかったと思うことも最近多い。
かといって、似合うものを追求した時期も決して無駄ではなかった。それを経たからこそ、“それほど似合わない”ものも楽しめる自信と余裕が出てきた部分もあるだろう。
カウンターの丸い鏡に映る顔の前に、サニーマリーゴールドを塗った手をかざしてみる。
ネットで買うのもいいが、デパートのコスメ売り場の眩い光を全身に浴びながら購入を決意するこの緊張感も、背筋が伸びる気がして嫌いではない。
外に出て日光を浴びた爪は、サニーマリーゴールドと名付けられただけあっていっそう可愛さを増した。
頭の中でクローゼットを開けて、どう合わせようか想像しながら新宿の街を歩く。そういえば、あの時「メルカリ」に出したオレンジの服はまだ売れ残っている。これも何かの縁かもしれない。一目惚れだったあのワンピースも、今なら着こなせる気がする。
絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ、都内一人暮らし。ひょんなことから新卒でフリーライターになってしまう。Webを中心にコラム、エッセイ、取材記事などを書いている。
Twitter: @YPFiGtH
note: https://note.mu/syudengirl
Illustration: Masami Ushikubo