上京して6年目、 高層ビルも満員電車もいつしか当たり前になった。 日々変わりゆく東京の街で感じたことを書き綴るエッセイ。前回はこちら。
シティガール未満 vol.7──道玄坂
ここ1年ほど、美容師にお任せで髪を切っている。
大学1年の秋から4年間ほとんど同じ髪型を続けてさすがに飽きてきた頃に行った美容室で、勧められるがままに髪型を変えたのがきっかけだった。自分で決めるとどうしても守りに入ってしまいがちだが、思い切って任せることで新しい髪型に挑戦できるのがいい。ちょっとしたラインや形の違いで印象が大きく左右されるもので、似合わないと思っていた髪型も、やってみると案外似合うこともあると学んだ。
だが美容師にとっても挑戦なのか、奇抜な髪型にされがちでもある。現在の私の髪型はオン眉前髪に襟足刈り上げ、耳たぶの高さで切り揃えられたショートボブ。
いわゆるオン眉はどこに行っても「絶対似合いますよ!」とよく勧められるので何度かやっているが、毎回それほど似合っている気がせず、伸ばしていたのをまた切られてしまった。好きな髪型ではあるので、似合うものは変化することもあるし、と僅かな希望を抱いていたもののやはり微妙で、もはや美容師にオン眉ノルマがあるか、おもちゃにされているのではと疑い始めている。
GINZA読者のようなモード派にとってはむしろ見慣れた髪型かもしれないが、やはり世間一般的には珍しいようで、以前よりも人の視線を感じるようになった。
今日も渋谷までの電車で、やたらと人と目が合う。普段から派手な格好をしていることが多いので目立つことには慣れているつもりだが、似合っている自信がないとけっこう恥ずかしいものだ。幸い今日はホルモンバランスの影響で顔の浮腫みがマシなおかげなのか、見慣れただけなのか、昨日までよりは似合っている気はする。
19時に渋谷東急前。上京したばかりの頃は待ち合わせ場所が東京の地名や建物というだけで輝いて見えたのに、いつのまにか何も感じなくなった。家から渋谷東急前まで何も考えず駅の出口を調べることもなくほとんど無意識的に辿り着く。
「すごく尖った髪型だね」
今回の幹事の先輩が開口一番に言った。
「絶対馬鹿にされると思いました」
「いや馬鹿にしてないよ。尖ってるって言っただけで」
確かに私が勝手に卑屈になっていただけかもしれない。今日会う大学時代のバンドサークルの人たちには、今まで「コシノジュンコみたいだね」「奈良美智の絵に似てる」などと言われてきたので、今日は何と言われるだろうと髪を切った時から考えていたのだ。片桐はいり、三戸なつめ、メイプル超合金の安藤なつ、牧野ステテコ……。
誰かに似ていると言われる時、世間一般的なその人の美醜に関する評価がそのまま自分の容姿への評価に直結している気がして身構えてしまう。
少なくとも私は、この髪型の比喩としては最高級の褒め言葉であろう「レオンのマチルダみたいだね」なんて言ってもらえない。それどころかネットで「マチルダになりたいサブカル女」的な揶揄を見るたびに、別にマチルダを意識しているわけでもないのに少し傷ついている。
全員揃ったところで、道玄坂の居酒屋「やまがた」に向かう。
これは一般的には大学のサークルのOB会に当たるのだろうか。飲み会なんて在学中ですら年2回くらいしかしなかったサークルだったし、OB会と銘打った定期的な集まりも存在しないのだが、たまにはみんなで集まるのもいいんじゃないかという先輩の気まぐれによって飲み会が開かれたのだ。
集まったのは私が1年の頃に在籍期間が被っていたメンバーで、今やみんな大学を卒業して、会社員や公務員、自営業として働いていたり、大学院に進学したりしている。一部の人たちとは今でも遊ぶ仲だが、活動自体が少なく全員仲が良いわけでもなかったので、当時からほとんど話したことがない人もいるし、2〜3年ぶりに会った人もいる。
私だけウーロン茶を注文すると「お酒飲めないんでしたっけ?」と3年ぶりくらいに会った同期に敬語で聞かれるほどの交流の浅さと距離感。
それぞれの現在の基本情報すら共有されていないということで、今何をしているかを話すところから始め、今更買ったZOZOスーツの計測結果、美容系YouTuberの画一化、Netflixの好きな番組についてなどイマドキな雑談に移っていく。大学時代は音楽の話をよくしていたが、もう誰もしなくなっていた。
しばらくして座敷のため脚が痛いということで移動することになり、トイレに行ってから遅れて店を出ようとした私を、「髪型超可愛いね!」と入り口近くのテーブルの30歳くらいの女性が呼び止めた。
「私もちょうどその髪型にしようと思ってたの。前髪多めだよね?後ろ見せて。いいな〜似合う!」
「ありがとうございます、あんまり似合わないと思ってたんですけど」
そんなことない、超似合う、可愛い、と彼女は繰り返し言った。
酔っていただけかもしれないのに、こういう時私は内心喜んでしまう。
本当は何も気にしたくない。似合うかどうかも気にせず、誰かに似ていると言われるかもどう思われるかも気にせず、したい髪型にしたい。いちいち世間の物差しで自分の容姿を測らなくても自分に自信を持ち、自由に楽しんでいれば、何を着てもどんな髪型でも様になる気がする。
美容師に任せられるようになっただけでも少しは前進しているものの、まだまだその境地に達することができない私は、彼女の言葉に少しだけ救われるのだ。
今はロングヘアの彼女にもこの髪型は似合いそうだった。店を出てから、お姉さんも似合うと思います、くらい言えばよかったと後悔する。
そのあと私たちは台湾料理屋「麗郷」の円卓を囲み、ここには書けないような話ばかりして、1番終電の早い人に合わせた時間で解散した。
昔はいろいろモメたりもしていたのであまり盛り上がらないのではないかと実は不安だったのだが、無事に楽しく終わった。幹事の先輩と2人になった山手線で、杞憂だったと話すと「もうみんな大人だからね」と言われた。
人は大人になっていく。当たり前だが意外と見落としがちな事実だ。会っていない期間は自分の中でのその人のイメージがアップデートされないだけで、何年も経てばたいていの人は何かしら成長している。
大学ではロクに授業に出ていなかったような人も毎日遅刻せず出勤していたりするし、何かにつけて噛みついていたような人も落ち着いていく。
大学の頃はみんなしきりに「社会に出たくない」と言っていた記憶があるし、卒業したら「あの頃に戻りたい」などとノスタルジーに浸ったりするのかと思っていたが、全くそんなことはなく、今日も真面目に人生設計の話をしたりした。
私は彼らと出会ってからどう成長しただろうか。そういえば髪型について「尖ってる」以外は誰にも何も言われなかったなと、家に着いてから思う。
「人生設計してる?」という話になった時、将来のことを考えていないわけではないものの本格的にはしていない私は何も言えなかった。でもとりあえず今は、もう少しこの髪型を続けてみようかと考えている。
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絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ、都内一人暮らし。ひょんなことから新卒でフリーライターになってしまう。Webを中心にコラム、エッセイ、取材記事などを書いている。
Twitter: @YPFiGtH
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