原宿と渋谷のストリートが輝きを見せた1990年代の広告。グランジ・ヒップホップ・ギャル、これぞ ’90sのユースカルチャー!

原宿と渋谷のストリートが輝きを見せた1990年代の広告。グランジ・ヒップホップ・ギャル、これぞ ’90sのユースカルチャー!

1990s

バブルが弾けた停滞ムードとは裏腹に、ネット前夜の原宿と渋谷のストリートが輝きを見せていた90年代。裏原宿のストリートブランドやスケートファッションがブーム、グランジやヒップホップといった音楽も人気で、男子も女子もカルチャーと直結したファッションを楽しんだ。そして、渋谷はコギャルやアムラーといったギャルの本拠地となり、オザケンなど渋谷系のヒットもあって知名度は全国区に。ラフォーレ、パルコ、ギャルの城109など、ファッションビルのある原宿から渋谷一帯にユースカルチャーが一極集中していた。

パルコ

海外クリエイターによる鮮やかなファッション写真

8マーク・ボスウィックやマリオ・ソレンティ、エンリケ・バドレスクなど、世界の第一線で活躍するフォトグラファーと組んだ90年代。パルコの広告の重心はファッションにあった。96年にはソフィア・コッポラが撮影した広告が話題を呼び、翌年、彼女が立ち上げた「MILKFED.」が渋谷パルコに世界初出店をした。

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パルコ   1996年   「Go!! PARCO」 AD: タイクーングラフィックス Photo: ソフィア・コッポラ

ソフィア・コッポラが 運んだガーリーカルチャー

90年代ガーリーカルチャーの火付け役であるソフィア・コッポラが『ヴァージン・スーサイズ』(99)でブレイクする前、パルコの広告を撮影していたのはご存知だろうか。女の子が友人と街に繰り出す、ワクワクする気持ちが詰まった1枚。映画監督であるスパイク・ジョーンズが手がけた映像が、TVCMとして同時展開された。

 

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パルコ   1997年   「誰かに見られてもいいよね」 AD: 原 耕一 Photo: マーク・ボスウィック

マーク・ボスウィックが 切り取った解放感

写真家のマーク・ボスウィックがパルコの広告を撮ったのは、若手の写真家として『Purple』や『VOGUE』などで注目され始めていた頃。解放感たっぷりのブルースカイ、真っ青な海、砂浜。「誰かに見られてもいいよね」というコピーからは、人と違うこと、自由であることを肯定する、パルコの変わらない姿勢が読み取れる。

 

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パルコ   1998年 「いっそ、美人に。」 AD: 秋山具義 Photo: エンリケ・バドレスク

 美しさを伝える 無駄のない表現

『VOGUE』などで活躍するNYのファッションフォトグラファー、エンリケ・バドレスクが映し出した美しい青空と白いドレスを纏う女性。コピーを手がけた糸井重里は、ビジュアルに対して、「美人」というストレートな言葉を添えた。アートディレクションは現在も広告界の第一線で活躍する秋山具義。

 

ラフォーレ原宿

90年から約14年間にわたって、ラフォーレ原宿の年間広告を担当したのが大貫卓也だ。「広告を拒否する広告」をモットーに、長期間にわたって、トレンドは気にしない、明らかに他とは違う、けれどスタイリッシュなビジュアルで、ラフォーレのイメージを決定づけることになる。

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ラフォーレ原宿   1991年   イメージ年間広告「Clock」

 

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ラフォーレ原宿   1991年   イメージ年間広告 「Nose」

 

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ラフォーレ原宿   1991年   イメージ年間広告「Switch」

機能美による究極のイメージ広告

イメージ広告が本来持っている一番の目的をストレートに表現し、よけいな物を一切排除した大貫。「機能に特化したポスター、ひとことで言うと『ラフォーレです!』という機能美によるイメージ広告を作ろうと思いました」(大貫)。広告が広告として機能しづらくなっている状況のなか、広告の定型から離れることによって、広告としての機能をよりいっそう果たしたのがラフォーレの広告だった。

 

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ラフォーレ原宿   1991年   グランバザール 夏「Bowling」

“行列”をラフォーレの 専売特許にしてしまえ

当時のラフォーレ原宿のバーゲンは朝の5時くらいから人々が並び始めて、長蛇の列は原宿駅前まで続くほど。行列すること自体が社会現象になった時代だった。大貫は、行列そのものをラフォーレ原宿のキャラクターにしようと考える。大量の物体が大移動しているだけで、バーゲンの本質を表現したのだ。バーゲン=ラフォーレのポジションを獲得する広告となった。

 

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ラフォーレ原宿   1997〜99年   イメージ年間広告「Nude or Laforet.」

90年代ラフォーレの代表格

ラフォーレといえばこれ、というほど記憶に刻まれているこのシリーズ。「裸かラフォーレか」の究極の二択とともに、パンイチの外国人たちがフツーに生活している姿は、ヘンだけど徹底ぶりが妙にカッコイイ。

 

大貫卓也さんが振り返る90s

原宿という天然記念物のような街を広告する

伊当時のファッション広告って、石岡瑛子さんがパルコで作ったファッション広告の原型をみんなで、なぞっているかのようでした。常に先を行く最新のクリエイションがファッションだとすれば、ファッション広告そのものが常に新しくなければいけないはずです。さらにパルコ以外で自分自身のイメージを打ち出せているファッションビルは皆無でした。自分がやるなら、まったく新しいファッション広告を確立しないと意味がない。というわけでラフォーレ原宿の仕事は、ファッション広告という枠組みを壊し、「何でもあり」という自由な表現のレールを敷くことに終始しました。これはラフォーレ原宿を若きデザイナーにとっての憧れのクライアントにする基礎工事でもありました。その昔、パルコの広告に自分が憧れたように、ラフォーレ原宿の広告がそんな存在であり続ければ、原宿は元気で居続けることができるのではないか、と。元気な原宿を表現することこそ、ラフォーレが原宿のランドマークとしてあり続ける方法でもあり、原宿そのものを元気にすることでもあったんです。ラフォーレ原宿と、原宿という街はそうやってお互いを補完し続ける関係だったのだと思います。

大貫卓也
おおぬき・たくや≫ アートディレクター。1958年生まれ。80年多摩美術大学卒、博報堂入社。93年大貫デザイン設立。としまえん、新潮文庫など多くのブランドコミュニケーションを行う。

パルコ

池袋に続き、1973年に渋谷パルコが開店。ファッションだけでなく、劇場やギャラリー、ライヴハウスも運営、ユースカルチャーを全体として発信し続け、渋谷を若者の街にした中心的存在。現在は2019年の再オープンに向けて一時休業中。 shibuya.parco.jp


ラフォーレ原宿

1978年開店。原宿=ファッションの街のランドマーク的存在。DCブランドブームを生み、バーゲンの行列が風物詩になるなど、流行の発信源でもある。クリエイターの発想が自由に発揮できる一風変わった広告も含め、強烈な個性がポイント。 www.laforet.ne.jp


ルミネ

1976年に新宿にルミネが開店したのが始まり。駅ビルとして営業していたが、2000年頃にファッションビルへと華麗な転換を図る。駅直結の利便性と買いやすい価格帯が人気を博し、一躍日本有数のファッションビルに。 www.lumine.ne.jp

Cooperation: PARCO, Laforet HARAJUKU, LUMINE, NEWoMan
Photo: AFLO, amanaimages, Getty Images
Text&Edit: Satoko Shibahara, Satoko Muroga

GINZA2017年7月号掲載

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