モリタカ。それが彼女の愛称である。女性が名字で呼び捨てにされるのは、なんだかちょっと乱暴に思うかもしれない。でも、そこには畏敬の念が込められているのであり、その存在がスペシャルで孤高であることを意味している。森高千里が「モリタカ」と呼ばれるようになったとき。それは、ミニスカートから伸びる美しく真っ直ぐな足でライヴステージに仁王立ちになったときだった。ユニークな自作詞の曲をたずさえ、ドラムを叩き、ギターを弾き、ピアノも弾く。歌手でもアイドルでもなく、「モリタカ」というジャンルを築いた瞬間でもあった。
―今年でデビュー30周年なんですね。
「言葉だけを聞くとすごい響きですよね(笑)。でも私の場合、結婚して子どもが生まれてからは子育てが中心だったので、歌を歌う、作詞をする、ライヴをやる、そういった活動をまったくやっていなかったので、15年くらいブランクがあるんです。ですから、30年といってもピンとこない部分もあるんです」
―10月には1990年代初頭のライヴツアーの再現コンサートを開催されました。再びステージに戻ろうと思ったのはなぜですか?
「子育ても少し楽になりましたし、私も40代になって。もう一度やりたいと思ったとき、やっぱりライヴをやりたいなって。10代20代とライヴがいちばん好きだったんです。それで、5年ほど前から歌を再開して。でも、当初は全然ダメでした。全然動けないし、歌えない。歌えるんだけど、いままで通りじゃないなって。ブランクをすごく感じたんです。そこからです。ボイストレーニングを始めたり、体力作りを始めたり。そうするうちにだんだんと当時のカンを取り戻して。1年以上はかかったと思います」
熊本の女子高生時代、CMのオーディションに合格したのがデビューのキッカケだった。当時、世の中はバンドブーム。彼女も女子校の仲間とガールズバンドを結成し、ドラムを担当。レベッカやゼルダの曲をコピーし、対バンライヴではオリジナル曲も披露していたという。
「ピアノをずっとやっていたので、将来は音大へ進学してピアノの先生になりたいと思っていたんです。だから、歌手になりたいとかバンドでデビューしたいとか、そういう気持ちはまったくなくて。たまたま受けたオーディションに合格してしまって、え、どうしよう、選ばれちゃったよ!というところから始まって。最初はホントになにもできなかった。それこそ、歌も歌えなければ、演技もできなかったんです」
意外かもしれないが、彼女のデビューは映画。「女優兼歌手」が出発点だった。でもすぐにライヴを中心に歌一本でやっていこうと決意する。
「初ライヴをやったときに、これをやりたいと思ったんです。でも、最初から売れたわけではないんです。森高ってこうだよね、面白いよね、らしいよね、と言われるためには、『自分』を発信しなくちゃいけない。とにかく目立たなきゃって。そういうところからの発想でした。ステージの衣装を派手にしようっていうのは」
―ちなみに、お子さんたちは当時の森高さんの活躍を観たり聴いたりはするんですか?
「動画サイトであれこれ観てるみたいで、感想はいろいろ言ってきます。この曲は面白いねとか。衣装については、お姉ちゃんがよく言ってくるかな。これは可愛いとか、これは似合ってないとか。厳しいんです(笑)。でも、潔い感じがするみたいで、そこは褒めてくれますね」
俳優の江口洋介さんと結婚したのは99年のこと。長女は高校生に、長男は中学生になった。
「長女とはファッションやメイクの話をよくします。一緒にお買い物に行ったり、流行ってるものを教えてもらったり。背は私より高いですがサイズ的には同じくらいなので、服を貸したり。さすがに娘の服は借りませんけど(笑)」
―ところで、森高さんといえばエイジレスな美しさ。若さを保つ秘訣って何でしょう?
「なんだろう……。あまり悩まないっていうことなのかな。イヤなことがあっても寝ると忘れちゃうタイプなので。とにかく寝るの大好きなんです。普段は、子どもたちのお弁当作りがあるのでなかなかゆっくり寝られないんですけど。うん、寝るのがいちばん幸せかな(笑)」
カーディガン ¥23,000(エストネーション)/シャツ ¥37,000(ロキト | アルピニスム)/右耳につけたピアス ¥19,000、左耳につけたピアス ¥20,000(共にマユ | ストローラーPR)/その他*スタイリスト私物