バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事「男のロマンと女の現実」はこちら。
ヨーロッパ紀行〜イタリア編〜
バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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コロナ以降3年ぶりの海外旅行を解禁した2022年の夏の一カ月間、私はヨーロッパにいた。海外旅行は基本的に観光的な目的が大きい人が多いと思うが、私の場合は少し違うかもしれない。カッコよく言うとトライリンガルになる私の言語能力は、読み書き会話、そして思考の全ての側面において日本語を頂点とする。続いて読み書きはできないが、話すことができるのが両親のルーツであるバングラデシュのベンガル語。最後に、読み書きの能力はベンガル語よりも高く理解はできるが、英語圏に住んだことがないため会話能力は日常会話程度の英語。実は足場がガタガタなこの三つの言語能力は、カッコつけたい時にはトライリンガルと言える。言いたい。
長い前置きになってしまったが、この言語的能力を背景にして私の海外旅行というか紀行は語られる。コロナ以前の数年前から私は定期的にヨーロッパを訪れている。その理由は観光的な側面もあるが、それ以上に偶然の巡り合わせ、自分の義理の父親となる人物がイタリアに住んでいることに由来する。まさか自分の人生にそんなおしゃれな着地点が用意されているとは。予想だにしていなかった。
そんなきっかけで海外に定期的に行くようになった私は、20代で初めて、英語のみで会話が成立する言語環境を手にする。短期間の旅行であっても初めての英語圏での生活。正確にはイタリア語圏だったが、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザの背景であるトスカーナ地方をバックにしても、私の義理の父親はアメリカ人であるため英語しか話せない。しかし初めて会ったのは、彼がまだロンドンにいたタイミングだった。よくわからない容姿だが多分南アジア系の私、アジア人にしては顔が濃い青年、その父親に当たる白髪の白人男性の三人で上海料理を食べに中華の円卓を囲んだ。いかにもロンドンらしい光景に自分たちを客観的に見た時、どんな風に見えるのだろうととても愛しく思え、笑えた。そこでなされる会話は英語をベースとしつつ、時たま入ってくる私と夫のまさかの日本語。これは店員さんを不思議に感じさせたようで、マルチカルチャーの移民都市ロンドンでさえ、失礼承知でどこの国がルーツなのかと質問された経験は今でも興味深く思い出す。
義理の父はアメリカ人らしくなく、ヨーロッパがとても似合う人でジャズミュージシャンだ。ここでも人生でこんなおしゃれな響きの着地点なんて私にあり得るのだろうかとチグハグさを感じる。彼の感覚は自然とすごく近く、適当に紹介してくれた映画がとても刺さったりする。音楽を作り出す人は、それほどまでに文化的に豊かなのか。
そしてもっと不思議で奇妙なのは、私にとって義理であっても父親的な存在が初めてであることだ。私は犬を飼ったことがないので、いつも犬見知りをするのだが、父親との関係性を誰とも構築したことのない私なので、彼とはいつも人見知りしつつくすぐったいような生温かい関係性が流れていると感じてる。何よりジャズというジャンルに全く明るくない私は、彼の凄さをまだ理解できていない。だが生まれてこのかた、サックスしか持ったことなく、サックスを持つことしかできないことがどれほどのことなのかを想像して、初めてのファザーフッドに若干感動する。彼は私にとって永遠に、猫と甘いものに目がない父でしかないのだ。
イタリアではローマで適当に入った飲食店で頼んだカチョエペペさえ絶品だった。やはりパスタは水が命、天然の硬水で茹でた小麦粉の味の引き締まり。たまたまそのお店のテラス席からは、コロッセオも一望できた。こんな美味しいご飯作れちゃって、こんなでっかくてかっこいい建造物を既に作っちゃってたイタリア人って数千年分の歴史背負って、数世紀前から充分頑張ったわけなんだから、そろそろ緩くいきたいと思っているよなと考えていた。そこからコロッセオにどうにか入れないかしたいと思ったが、予約などは苦手なので、場面で行けないか試してみた。だがイタリアでは13時台にのった頃にはもう、長い休憩を意味するシエスタに入る。下手したら17時ごろまで開かないお店もあったりするのだが、歴史の頑張りを考えればそれくらいなんくるないさーだなと思った。コロッセオもその日の暑さと疲れによるスタッフの匙加減で入ることは叶わなかったが、いつか私も人生を走り切ったあたりにコロッセオに涼みに行こうと思う。
Photo&Text:Sharar Lazima