クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。28歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.86 永遠の約束よりも。ニューアルバムについてのインタビューはこちら。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.87
病める時も健やかな時も

vol.87 病める時も健やかな時も
窓の外で、太陽がアスファルトを焦がしている。ここ2日間の気温と比べれば今日はずっと過ごしやすいとは言っても、日傘とハンカチなしで出かけるのは気が引けるくらいに夏だった。大粒の汗が頭皮を流れ髪を濡らし、そこで吸水しきれなかった小さな汗が毛の先から首を伝い白いポロシャツの背中に水たまりを作っているところを目を瞑ったままリビングで想像していた。少し仮眠して良い?と数分前にキッチンでお昼ご飯の支度をはじめた母親に尋ねると、返事の代わりに向日葵みたいな大きな笑顔が返ってきた。冷んやりしたフローリングが二の腕に気持ちいい。こんなに暑くても部屋全体に涼しい風を運んでくれるエアコンに心の中で拍手を送りながら、頭に重心を置き寝返りを打つ。固い正方形のクッションをちょっと無理して二つ折りにし作った枕は、気を抜くと砂抜きしたアサリの口みたくゆっくり開いてくる。形状記憶とはなんと恐ろしい。
その日、早朝しか空きがないと電話で言われた総合病院の診察は拍子抜けするほど早く終わり、薬も点滴ももう必要ない、とのことだった。喉の調子を完全に戻すにはよく食べ、よく眠り、喉をよく休めるしかないのだと知ってはいるけど、それが叶わない時はどうしたら良いのだと少し卑屈になりながら日傘で小さな影を作り病院から駅、駅から自宅まで歩いた。
汗をハンカチで拭いながら、でも、そうだ!家に帰れば母がいる!と思い出した瞬間に心は口笛を吹いていた。「ツアーが終わっても、今年の盆は帰れないかも…」としょげる私に、「じゃあ数日ばかりお母さんが東京に遊びに行くよ」と言ってくれたことと、帰っても家が蒸し風呂でないことが同時に嬉しくて。他者に対する純粋な愛情と、生活面での現実的な欲を満たせた喜びを同時に感じられる人間という生き物の器用さ、愚直さを驚きを持って見つめていた。
人間は、いや、私は、真っ白で真っ黒で、いつどちらに傾くかは分からなくて。心から誰かや何かを愛せる時も、羨んだり憎んだりする時も、その両方を同時に感じる時も、目を逸らさず味わって、自分に染み込ませて生きてみようと思った。
Text:Leo Ieiri Illustration:chii yasui