クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。28歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.88 ジャネーの法則。ニューアルバムについてのインタビューはこちら。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.89
お家の中の迷子

vol.89 お家の中の迷子
数秒の間、自分が何処にいるのか分からなかった。思考より先に身体が反応し、ゆっくりと瞬きを繰り返す。それが瞳に張り付いたコンタクトレンズに潤いを与える為に必要な動作だと少し遅れて理解した私は、人間の無意識に改めて感動した後、興味の対象を視覚に移した。自分の瞳に映し出されている風景を解析し、ここが寝室であること、そして視界からはみ出る近さにあるのがカーテンであることを認識した。壁紙と馴染む薄いクリーム色。遮光機能があるものを選ばなかったのは、朝、日の光を感じ自然に起床したかったから。だけど紫外線の事を考えて生地は気持ちばかり厚めの物を選んだのだった。ようやくぼやけていた身体と思考がひとつになりはじめ、自分がついさっきまで眠っていたことに気づいた。
カーテンの四隅から部屋に漏れ出すオレンジの光。カーテンが掛かった長方形の窓の向こうで夕日がビルの間に沈んでいく気配がする。変な時間に眠ったせいで頭が痛い。スマホで時刻を確認する気にもなれず、何も考えない眠りの世界にもう一度戻りたくて目を瞑るけど、思考が邪魔して上手くいかない。
いけない。不意に怖くなって、左腕までずり落ちていた羽毛布団を一気に頭まで引っ張り、胎児のように身体を丸めキツく目を閉じた。さっきまで冷房にさらされひんやり乾いていた私の肌は、もう熱く湿っている。
子どもの頃から昼寝が怖かった。洗濯物を干し終えた母が縁側から入ってくるサンダルの音、祖父が居間で聴くラジオ、冷蔵庫やエアコンの運転音、愛犬の鼻息。誰かと一緒に暮らしている実感は言葉じゃなく、生活の音や、浴室で誰かが浴びるシャワーで弱まる水圧、すぐになくなってしまうトイレットペーパーから感じるのだと思う。
そういう生活の音を聞きながら、ウトウトし、眠りの世界に落ちていくことは幸福で。だけど目が覚めた時、家の中がしんと静かで。窓の外は、夕日と夜の赤と青が燃えてるみたい。自分の脈の音が耳に煩くて、家の中にいるのに迷子で、怖くて涙も出ない。愛犬が吠えると同時に、車庫の砂利を踏む車の音がして、玄関でスーパーの袋を持った母が「今夜はすき焼きだよ〜」と私を見て笑う。「お母さん〜」とその腕の中にかけていって泣く私を不思議そうに抱きしめてくれた母は東京にはいない。変な時間に仮眠をとるはやめようと、思った午後6時12分。
Text:Leo Ieiri Illustration:chii yasui