クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。28歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.87 病める時も健やかな時も。ニューアルバムについてのインタビューはこちら。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.88
じゃあね、の法則
vol.88 じゃあね、の法則
彼女に会うのはすごく久しぶりだった。そう感じながらも、一般的な価値観で言うと久しぶりにはならないのかもしれない、と思い。一体どれくらいぶりに顔を合わせるなら、その言葉を正しく使えていることになるのだろう、と待ち合わせ場所のコーヒーショップに向かいながら考えていた。だってあの頃は、彼女と同じクラスだった高校二年生だった頃は、また明日ね、が当たり前にずっと繰り返されるような気がしていた。
土曜日と日曜日の休みに加えて月曜日が祝日だったりすると、火曜日の学校で「おはよう」と笑いかけてくる隣の席の友達に久しぶりに会った気がしたりして。そんな感覚、大人になった今口にしたら、何言ってるの、ときっと笑われてしまう。
夏休みの後なんて、教室の雰囲気がガラリと変わっていて。たった1カ月足らず顔を合わせていないだけなのに、登校すると、クラスメイト一人一人が知らない人みたいに変わっていたりして。以前どう接していたのか上手く思い出せなくて、みんな妙によそよそしく、お互いの出方を探ったり、それでいて浮き足立っていた、あの独特な緊張感。
17才だった私たちには、たったひと夏、たった1カ月がものすごく長くて。早く自由に、大人になりたくて。夏が始まる前の自分と夏が終わる頃の自分が別人だなんてことにも気づかないくらいのスピードで生きていた。どんどん捨てて、どんどん新しくなっていくことになんの恐れもなかった。恐れがあったとしたら、何も変えられないこと。そんな季節もあった。
社会人になってからも1、2カ月に1回のペースで会っていた友達が仕事終わりの生ビールを美味しそうに飲んだ後「大人になってからこの頻度でご飯行ってるのはここだけかも」と笑い。私はその笑顔を見ながら、1、2カ月が久しぶりと感じなくなったのはいつだろう?と思い。こう言う現象に名前があると、どこかで聞き齧った哲学者の法則を懸命に思い出そうとしていた。帰り道、電車に揺られながら「大人と子供 体感時間」でググると、ジャネーの法則に辿り着き画面をスクロールしまとめサイトを熟読した夜。
そんなことを待ち合わせのコーヒーショップの前で一気に思い出していた。「まぁ良いや、私が久しぶりって思ったらそれは久しぶりなんだよ」と思いながら、「いるよ」と彼女にメッセージを送った。
Text:Leo Ieiri Illustration:chii yasui