「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.111 『My name』リリース。ニューアルバムについてのインタビューはこちら。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.112
水蜜桃と夏
vol.112 水蜜桃と夏
シンクに置かれた泡の付いた鍋やら皿やらマグカップやら。手の甲で水道のレバーを上げると蛇口から勢いよく水が流れ出した。暑かった今年の夏。秋の入り口で1人思い出す。
「暑い、ってもういい加減言い飽きたな」そう思いながら、夏野菜の隣に置かれていた熟れた桃を1つ手に取った。甘ったるい香りが鼻腔を捉え、フルーツキャップから顔を出す柔らかい果皮に親指を這わせると細く生えた産毛がチクッと肌を刺す。自分の手の中にすっぽり収まった桃を見つめながら、親指の第一関節をゆっくりと曲げていき指先に力を加えていく様を想像した。この熟れ具合なら容易く果皮に凹みを付けることができるし、そのまま力を加えつづければ果皮を突き破り親指にその果肉と滴り落ちる果汁を感じることもまた容易いだろうな、と思った。肘掛けしていた買い物カゴにそっとその桃を入れ、調味料コーナーに移動する。
「ありがとうございましたー」お会計を終えやさしく微笑んでくれた店員さんに、軽く会釈し表に出る。アスファルトから湯気が出そう、なんて馬鹿な事を思いながら既に腕の肉に食い込んでいる買い物袋をもう片方の腕に掛け直すと、瓶と瓶がぶつかり合う音がして少し慌てた。醤油と味醂が一気に切れたせいだ。もう少しで料理酒も切れてしまうけれど、3本いっぺんに買う元気はなかった。本当にどうして家のものは同じ時期に消耗してしまうのだろう。トイレットペーパーとティッシュも新しく注文しないとなぁ。坂道を一歩一歩、文字通り踏しめながら登っていく。胸の間にツーッと汗が流れていくのが分かる。日傘を差したいけど、こうも大荷物だと手が塞がっていて気が滅入る。
自宅に辿り着いた頃には、ひとっ走りしてきました、くらいの仕上がり。素早くキッチンで手を洗い、生物を冷蔵庫へしまい、シャワーで軽く汗を流す。クーラーの効きが遅い。立て続けに飲み干した水。数秒考えて、あとはもう本能に従った。野菜室からさっき入れたばかりの桃を取り出した。生ぬるいそれ。シンクに立ち、さっと水で洗う。まな板も包丁も使わない。よく熟れた桃の割れ目に親指をグッと入れ込み二つに分けたら種を取り出す。シンクで勢いよく頬張る桃。滴る果汁が口元と手をベタつかせる。手の甲で甘い蜜を拭いながら、こうやって食べる桃が1番美味しいと思った。そして桃を「水蜜桃、水蜜桃」と嬉しそうに食べていたあの人を思い出した。夏。
Text_Leo Ieiri Illustration_chii yasui