「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.117 母校の卒業式。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.118
声を覚えている

vol.118 声を覚えている
母の父、つまり私の祖父が亡くなって数年経った頃。「父さんの声を忘れてしまった」と母がポツリと呟いたことがあった。私が実家に帰省している時だったのか、東京からかけた電話口での事だったか。どんなシチュエーションでその言葉を耳にしたのかは全く覚えていないのに、母が放ったその言葉だけを今でも不意に思い出すことがある。それは私が、人との距離感を「声」で認識しているからかもしれない。
例えば、家に帰って湯船に浸かりながら、今日一日の出来事を振り返ったり、未来のことを考えたりしていると、友達や家族、会社の人、仕事先の人の顔が意識に浮かんでは消えていく。私は一度会った人の事を覚えるのが得意で。人の顔、というか表情を記憶しているのだけど。「はじめまして」と出会い挨拶や雑談をして、「また会いましょう」と別れるまでの時間。名刺を出している時の横顔や、焦って頬が上気していたり、ボーっと宙を見つめていたり。印象的な表情だなと思った瞬間に私の脳がカメラのシャッターを押しており、そのポラロイドが記憶の引き出しに自動的に保管されていく様な感じで。
だから、数年ぶりに伺った地方のラジオ局やテレビ局でマネージャーとスタッフの方がやり取りをしているのを見つめながら、「あれ?」と意識のランプが点滅する。撮影したチェキにぼんやり被写体が浮かび上がっていくのを見守るみたいに、そのスタッフの方の表情が記憶の引き出しから取り出され、朧げに脳裏に表情のイメージが浮かびはじめ。私の脳が私に見せているその表情と、今現実世界でお話しされているこのスタッフの方の顔が本当に一致するのか照合し、それが「もしかして私数年前にお世話になっていませんか?」の流れに繋がるのである。
「本当に出会った人のことよく覚えているねー!」と言われるけれど、正確には、顔ではなく、表情を記憶しているのだと思う。だから私の生活によく登場してくださる人たちだと、もっと感覚的で直感的。幼馴染の△△ちゃん、レコード会社の〇〇さん、と、名前を聞くと、その人の表情がパッと脳のスクリーンに映し出される。
そして、やっと冒頭の回収。「人との距離感を、声で認識している」と書いたけれど。以前会った方、頻繁に顔を合わせていても深い関係ではないと、「表情」は記憶しているけれど、「声」を再生できない。だけど、心で捉えた人は「声」が分かるのだ。もう会えなかったり、会わなかったり。生きていると色んなことがあるけれど。その人の声を耳にする機会がもうなくても、心の深いところで見つめ合えた相手だと「声」も覚えている。多分これは私特有の、ちょっと変な、変わった感覚なのかもしれない。だから私は祖父の声を今でも記憶の中で聞くことができる。
眠れない夜。大切な人たちの声を思い出す。もちろん、祖父の声も。そして、ああこの声を母にも聞かせてあげることができたら良いのに、と深い眠りにおちてゆく。
Text_Leo Ieiri Illustration_Hagumi Morita