「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.118 声を覚えている。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.119
祖母の家

vol.119 祖母の家
白か黒か。オンかオフか。0か100か。やるか、やらないか。答えを急ぎすぎたり、グレーを生きることが苦手だったその性格は、上京しデビューしてからの数年間は特に強まっていたと思う。
地元福岡に仕事で帰ることがあっても「仕事だから」と、迷わず実家ではなくホテルに宿泊したし、母の顔を空いた時間で見に行くことも、そのタイミングで休みを取って1人福岡に残る、なんてこともなかった。実家に帰るとつい気が抜けて体調を崩してしまう気がしたその気持ちの奥にあったのは、生まれ育った街やそこに暮らす人々を恋しく想ってしまうことへの恐怖だったんだと今思う。だからいつも東京にとんぼ帰り。自分を急かすようにして飛行機に乗り、どんどん小さくなっていく福岡の街を機内の窓から覗き込むようにして見つめてようやくホッとできた。あの頃は、本当に慎重に、気をつけながら生きていた。「やれます」「できます」それが嘘でもはったりでも、やっていれば、いつしかそれが板に付き、背伸びや強がりが身の丈になる日が来ることも知った。そうして大人になった。
福岡での仕事と合わせて、数日お休みを貰った私。顔馴染みのスタッフのみんなに現場で手を振り、私は1人実家に帰った。母の手作り料理を食べている私を前の席に座って嬉しそうに眺めている母。今でこそ、ほわんとしている母だけれど、私が子供の頃はそれなりに厳しく、怒られたり、外に出されたりしていた。(大抵の場合私が手に負えなさすぎてだけど)それがどうでしょう。「お腹すいたー」「疲れたー」と娘である私がわがままを言うのでさえ嬉しい様子の母を見ていると、お互い年を重ねたなぁと思う。いつも一緒にいないから、一緒に暮らしていないから、またすぐに会えなくなるから、わがままでさえ甘えで許されるのだ。そんな時間の中に身を置いていると、不意に祖母の顔が浮かんだ。会える時に会っておこう。そう思った。
翌日祖母の家を訪ねると、祖母は「わざわざ来てもらってごめんねぇ」と口にした。「どうしてそんな…」と私は祖母を抱きしめお茶を飲みながらしばらく話していると、祖母が祖父と暮らしていた一軒家に行きたいと言い始めた。祖父が亡くなり1人でそこに住むのは危ないと、祖母は近くのマンションに越したのだ。散歩がてら一緒に行こう、とゆっくりゆっくり歩きながら小学生の夏休みや冬休みによく遊びに来ていた祖父母の家に本当に久しぶりに足を運んだ。仏壇に手を合わせ、家具や部屋を懐かしがっていると、祖母が「そこ、開けて」と仏壇の下の引き出しを指差した。「ここ?」と私が言われるがままに上に乗っていたお線香や細い蝋燭をどけると、下から子供の字の葉書、手紙、宅配便の送り状が出てきた。祖母に「見ていいの?」と訪ねるとコックリ頷くので視線を手元に戻すと、「あっ…!」遠い記憶が蘇る。下手くそな字と下手くそな絵。小学校の授業で大切な人に葉書を出した時のもの。これは初めてボーナスをもらった時に東京から送った手紙とそのお菓子の送り状。手紙の消印は赤い丸がしてあり、祖母の字で、この数日前に東京から出してくれた?と書き込みがされており。私が今までに出した手紙や葉書、送った荷物の送り状が綺麗に保管されていた。東京で、自分はひとりぼっちだと泣いた夜。才能がないと言われた日。私は決して1人じゃなかったし、帰る場所があったのだと思った。涙で前が見えなくなり、祖母の手を熱く握った。
Text_Leo Ieiri Illustration_Hagumi Morita