特徴的なドーム屋根の形状が、インドの寺院を思わせる堂々たる一軒。「築地」の地名の由来ともなった、あらゆる人々に開かれたお寺です。
地名の由来ともなった、インドの寺院を思わせる堂々たる一軒「築地本願寺」
東京ケンチク物語 No.76
築地本願寺
Tsukiji Hongwanji

新鮮なネタを贅沢に使った海鮮丼や寿司を目がけて、早い時間から多くの人々で賑わう築地場外市場。すぐ隣にある「築地本願寺」こそが、この地名の由来なのを知っているだろうか?京都・西本願寺の別院として、1617年に浅草のそばに創建されたこのお寺は、江戸の街を広く焼き尽くした「明暦の大火」で焼失し、再建のための土地として幕府から現在の場所を与えられたそう。ところがその場所、当時はまだ海の上。そこで本堂を建立するために、海を埋め立てて土地を築いたことから、“築地”という名がついたのだとか。そうして新たに本堂が作られたのだが、1923年の関東大震災で再び焼失。今では都心には望むべくもないような大きな広場の中に立つ現在の建物は、伊東の設計で1934年に再建したものだ。江戸末期の1867年に生まれ、明治、大正、昭和と時代をまたいで活躍した伊東は、都内では「湯島聖堂」や「明治神宮」も手掛けた日本の社寺建築の第一人者。ほかにも日本各地に社寺を設計したが、この「築地本願寺」は異色の出来栄えだ。
広場を見下ろす本堂は、高さ約34m、横幅約87mの堂々とした構え。以前の木造が地震で燃えたことを教訓に、当時としてはまだ珍しい鉄筋コンクリート造を採用している。また、お寺の本堂といえば大屋根を戴く建物が大半だが、こちらは独特。中央に鎮座する尖塔の突き出した高さ約9mの大きなドームを中心に、石貼りの建物が左右対称に展開する。ドーム屋根などのデザインは、伊東が若い頃から研究のために熱心に旅して歩いたインドやアジアの古代仏教建築をモチーフとしたもの。蓮を描いた本堂入り口のステンドグラスなどにもオリエンタルな空気が漂い、仏教伝来のルーツを感じる意匠があちこちにちりばめられている。内部は、中央の正面にご本尊の阿弥陀如来を安置した伝統的な真宗寺院らしいつくりながら、再建当初から信者席に椅子を採用するなど、やはり型破りな試みが見てとれる。仏教の歴史に学びながら、寺としての将来を見据えて作られた一軒。だからこそここは、完成から一世紀に近づく今も人々に愛され続ける。
lllustration_Hattaro Shinano Text_Sawako Akune Edit_Kazumi Yamamoto
