年末年始の長い連休がスタート。せっかくだから“いい休みを過ごせたな”と思えるアイディアが知りたい。いろんなジャンルのモノやコトに詳しいあの人に聞いた冬休みの過ごし方。文筆家で俳優の紅甘さんは何をする?
紅甘さんが冬休みにしたいこと
「へたくそな読書」

私は一年中読書をする。本は常に持ち歩いていて、電車の中や、待ち合わせ場所で人を待っているときにも読む。ひとつの本をずっと読み続けることは少なく、たいていその日そのときで読む本を決め、あっちを読んだと思えばこっちを読んでと、いろんな本を行き来している。
そうやってたくさんのものをいっぺんに読むのも好きなんだけれど、家でゆっくりする時間のある年末年始は、ひとつの本を一日中ぶっ通しで一気に読みたい。それは私にとって、すごく贅沢なことだ。ひとつの物語に身を委ねて、どっぷりと浸りきること。ふだん社会生活を営んでいるときは、そんなことってなかなかできない。
そういう特別な時間のために、読まずにとっておいている本がいくつもある。後回しにしているんでなく、ショートケーキのいちごみたいにとっておいてあるのだ。
それにしても、私はずいぶん読書が上手になったよなぁ、と思う。本を読むのに上手いも下手もあるのかと思われそうだけれど、私はたしかに本を読むのが下手だった。読書が上手なひとというのは、いつでもさっと本をひらいて、いつでもさっと閉じられるのである。そして本を閉じているあいだにすべきことを済ませ、また時間を見つけてさっとひらいて始められる。
そんなの当然、と今でこそ思うけれど、でも10代の私にはそういう技術がまるでなかった。物語と現実の切り替えがスムーズにできなかったし、本に影響されすぎて、読んでいるものによって性格や物事の捉え方がまるっきり変わってしまった。本以外でもそうだ。映画でも音楽でも、10代のときは人生を変えうるものとしてそこに存在していた。ゆえにそれらにふれることはとてもスリリングであり、刺激的すぎて少しおそろしいくらいだった。
でも今はどんなものでもさらりと読める。どれだけ熱中していても、本は本だし、という視点がどこかにある。それは安心感にもつながるけれど、しかしなんだかちょっとさみしい。江國香織さんの小説と、栄養療法の本を交互に読んでいたりする自分に、なんとなくショックを受ける。どちらにも真剣に向き合っているのがまたひどい。このままでは、どんどん心が平坦になってゆく気がする。だからこの冬は、10代の頃みたいにへたくそな読書がしたい。いくつになっても、まだ知らない自分と出会えるように。
Edit_Tomoe Miyake



