『ベルヴィル・トーキョー』に続くエリーズ・ジラールの長編第2作、『静かなふたり』が10/14(土)から新宿武蔵野館ほか全国で公開された。新作はパリを舞台にした恋愛映画で、イザベル・ユペールの娘、ロリータ・シャマが主演を飾る。ロシュフォールからパリへ越してきた27歳のマヴィが、祖父ほど年上の古書店主のジョルジュに出会い、たがいに惹かれていく。不器用なマヴィと秘密めいたジョルジュはタイトルどおり、とても“静かなふたり”だが、ところどころが風変わりな映画だ。来日したエリーズ・ジラール監督に、文筆家・五所純子さんが話を聞いた。
『静かなふたり』公開記念 エリーズ・ジラール監督インタビュ―
『静かなふたり』はまぎれもなくラブストーリーだが、なにかが狂っている。空からカモメが落ちてくる。それも一度や二度じゃなく、いかにも模造品の毛羽立った物体が、何度もどさりと落ちる。しかし道行く人にはそれが見えないのか、みんな通り過ぎてしまう。ただ主人公のマヴィだけが驚き、そこに若い男が駆け寄る。この奇妙な出来事がストーリーを動かすことはない。本作は原題を「Drôles d’oiseaux(奇妙な鳥)」という。アルフレッド・ヒッチコック『鳥』のように自然と人間を対立させる構図でもなく、ポール・トーマス・アンダーソン『マグノリア』のカエルのようにドラマを一挙に転覆する仕掛けでもない。
「直接的な関係はないですが、カモメとマヴィには隠された関係性があります。マヴィはロシュフォールという田舎からパリに出てきた女の子です。港町のロシュフォールにはカモメがいます。ですから、マヴィは“こんな都会にカモメがいるの?!”と仰天して、ロシュフォールを思い出してもいるのです。もう一つ、隠された関係があります。マヴィに駆け寄るロマンという男の子は環境主義の活動家で、鳥についての記事を書いています。一方、マヴィが鳥落下のニュースを新聞で読むシーンがありますね。本人たちが気づいていないところで、鳥がふたりに間接的な接点をもたせているんです」
田舎暮らしは窮屈だったとマヴィが言う。マヴィは古風な女性で、文学を愛し、自由奔放な友達とのシェアハウスになじめず、学生のような服にオールドコーチのバッグを斜めがけにして街を歩いている。そんなマヴィが住み込みのアルバイトを見つけて入ったのが、ジョルジュの古書店だ。ジョルジュの生活はまったく謎で、商売気がないのに大金を持っており、シニカルな世捨て人に見える。マヴィとジョルジュにとって古書店は、それぞれの意味で息をひそめて暮らす“隠れ家”だ。そんなふうに人を隠してくれる場所は、いま都会から消えつつあるように感じる。
「まったくそのとおりですね。私もとても心配しています。“隠れ家”はかならず残っていくべきです。古書店は、人が自由に出入りして、ゆっくり時間をかけてまわることができる場所ですよね。そこに歴史や物語を感じることができます。いまパリにも新しい本を扱っている書店はたくさんありますけど、そこで古書店がもっている魅力を味わうことはできません。マヴィという女の子は、ロリータ・シャマを思いながら当て書きしたキャラクターです。その後、ロリータと一緒にマヴィの衣装を選んだりしました。私のいつものやり方なんです。衣装を選ぶなかで、女優が役柄を理解していくことが多いです。マヴィは小説から出てきた19世紀の女の子のようです。現代の女性とはまったく違う服装をしています。ジョルジュも別の時代に住んでいる人です。彼らは彼らなりに現代に生きづらさを感じて、時代から外れたところで生きています。そんな二人が出会うと、同類の人間として、相手のなかに自分を見つけられるのかもしれません」
しだいに惹かれ合うマヴィとジョルジュだが、筆者はジョルジュのことを幽霊だとばかり思っていた。そのことを打ち明けたら、ジラール監督は即座に「なぜ」と問うた。ふたりの会話をマヴィがノートに書きとめるから、ふたりの様子をマヴィが語るナレーションが入ってくるから、これはマヴィが書いた物語だと思ったのだ。
「その解釈は遠くありません。そういう意味合いも込めています。マヴィは自分に起きたことをメモしていますが、観客からすれば、それが本当に起きたことか、マヴィが自分の理想を書いたものか、わかりませんね。映画はそれを明らかにしていませんから。ジョルジュは亡霊のようですね。世界からすこし逸脱して、過去を引きずって生きている人物です。存在しているけど存在していないような人生をおくってきたけれど、過去をマヴィに知られてしまった。その時点で、彼が築き上げようとしていたリアリティを続けることができなくなった。だから彼は決断します。愛というのは妄想みたいなものじゃありませんか。恋愛は想像の部分が大きいですよね。“彼はこんな人じゃないかな” “彼はあんなことをするんじゃないかな”と想像するうちに、それが実際に起こることもあります。やっぱり人間は想像性があるからこそ、恋愛ができるんです。想像のキャパシティがなかったら、恋に落ちることはないと思いますね」
マヴィとジョルジュの関係が不確かに見えるのには、もう一つポイントがある。ふたりには性愛の場面がない。恋愛映画によくあるセックスやキスが意識的に排除されているのだ。(ふたりとは別のところに、マヴィを動かすためのセックスはあるけれど。同じ目に遭ったことがある人ならマヴィに共感するに違いない)。それによってマヴィとジョルジュの関係を名指す言葉が宙に浮き、性愛の切り縮められたイメージに気づき、恋愛の定義が広がるだろう。
「男と女の間を想像させることに重点を置きました。ラブストーリーは人間の数だけありますし、とても奥の深いものです。それをカリカチュール ——単純化し、誇張し、要約する映画に私は批判的です。現在の映画は、必然性のないセックスシーンが大半です。なかには意味のあるものもありますけど、多くのセックスシーンが何の役にも立っていません」
いまはシナリオを書いている最中だというエリーズ監督。次回作では、『ヴェルビル・トーキョー』で悩ましい地名となった東京が、別の姿で現れそうだ。
「次の作品も恋愛映画です。フランスの女性と日本の男性のラブストーリーを書いています。京都と東京で撮影することになりそうですが、まだ書いている最中なので、詳しいことは秘密です。いまなにか言ってしまうと、それに縛られてしまいそうだから」
『静かなふたり』
10/14(土)より、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
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五所純子
文筆家。1979年生まれ。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、共著に『1990年代論』(河出書房新社)、『心が疲れたときに観る映画』(立東舎)をはじめ、映画や文芸の領域で寄稿多数。日めくり日記「ツンベルギアの揮発する夜」をboidマガジンにて連載中。