南アジアにルーツを持つ、シャラ ラジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.21 青い海!白い砂浜!大量の松!これこそTHE 浮世絵か!京丹後にて」はこちら。
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.22

南アジアにルーツを持つ、シャラ ラジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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新しい音楽を浴びることは新しいノリに出合うことだと思う。新しい友達ができて、その新しいノリのコミュニティーにバイブスを広げて合わせていく感覚に似てる。合わせるというのはもちろん完コピすることではなく、自分の陣地からどこまで手を伸ばして新しい“友達”と手を取り合えるかの感覚。手を取り合ってどこまで一緒に遊べるか。
新しい音楽、新しい人間、新しいバイブス。これまで知らなかったタイプの音楽を好きになることは、世界各国の料理を食べることでいろんな角度の味を知って、味覚を拡張させていくことに似てる。一度経験して五感に染み渡ると、その先の細やかな違いがだんだんわかるようになってくる。一定の経験が溜まると知覚できる幅が広がっていく現象は味覚も聴覚もかなり近い構造をしてるなと思う。
新しいバイブスを取り込むには自分から飛び込む必要がある。大層なことはほぼないとはいえ、どこまで無防備に裸の心で飛びこめるかで理解の深度が全然変わってくる。自分が裸のまま何かに向き合えたらその物事は必ず身体に染み込んでくる。でも裸になることって意外と簡単じゃないんだよなぁ
ところが綺麗な景色に囲まれると人間は自然と心が裸になれる。それが音楽のフェスが山奥で開催される理由だと私は確信してる。
日本は国土の約70%が山岳という、山が主役の土地だ。島国であることや歴史的に鎖国の経験があることが、海外からミステリアスに思われる理由かもしれないが、実際にはこの山々の存在がなんとも言えない神秘性を醸していると個人的には思う。フェスに行くたびに思うが、山の綺麗な空気が見せてくれる美しい空の色と雲がみせる芸術、澄んだ緑はそう簡単に経験できるものじゃない。

Text_Sharar Lazima