これまでのイメージを大きく覆す新境地“スリラー”作品に挑んだ、ソフィア・コッポラ。その意欲作を6つのトピックとともに文筆家・五所純子が紐解く。
映画『The Beguiled/ビガイルド欲望のめざめ』ソフィア・コッポラが挑んだ新境地を文筆家・五所純子が紐解く
1 猿とモノリス
南北戦争下のバージニア、女子寄宿学園に負傷兵がまいこむ。〝女の園〟にひとりの男が投入されると何が起こるのか。猿の集団にモノリスをぶちこんだ『2001年宇宙の旅』さながら、設定はシンプルな社会実験のようでもある。本作はドン・シーゲル『白い肌の異常な夜』のリメイクだが、ソフィア・コッポラはトーマス・カリナンの原作小説に立ちもどり、女性視点での再解釈をほどこす。
2 女の書きかえ
「イカレ女の館!」と叫ばれる女学園だが、その罵声はシーゲル版にこそふさわしい。しだいに欲望やトラウマを剥き出される女たちの異様な描写には、女は性だけを抑圧された猿ですか?またフロイト先生ですか?というヤレヤレ感があった。S・コッポラは女たちの変化をけっして扇情的に説明せず、外形から淡々と精緻に見せることで、人物の内面をかえって謎めかせる。それによって、女だけであることの平穏と困難、自縄自縛の葛藤のほうが浮きあがってくる。
3 感傷から行動へ
S・コッポラは〈ここではないどこか〉を希求する少女の痛ましさを映してきた。そのために少女たちは宮廷やホテルや郊外に閉じこめられてきたし、本作もまた戦下で行き場をなくした女がひとところに身を寄せる。けれど初めて〈ここではないどこか〉への感傷に浸ることをやめ、〈どこにもいけないここ〉で女たちが自分の力を試している。戦争の音に破かれながら、貞淑の掟を解くようにして。さらに『ヴァージン・スーサイズ』『ブリングリング』のように同年代の娘たちが癒着するでなく、『ロスト・イン・トランスレーション』『マリー・アントワネット』『SOMEWHERE』のように主人公が孤絶するでもなく、さまざまな年代の女性を配置し、それぞれに別種の資質を体現させることで、女たちを立体的にしている。S・コッポラが少女性から成熟の一歩を踏み出したらしい。だいたい教師役にニコール・キッドマンを起用している時点で、意気込みというか、鬼気が伝わるものだ。
4 スナップ/セットアップ
90年代からガーリー・ムーブメントの旗手となったS・コッポラ、その作風は瞬間的に消え入りそうなスナップ写真のようだった。歴史的人物であるアントワネットですら、友達のポートレートのように親しげで儚いものに仕上げたほどだ。一転して、本作はさながらセットアップ写真だ。カメラはどっしりと据わり、森の濃密さに息を合わせ、館の厳かさに合わせて重心が低い。屋敷ごとが定点カメラとして埋めこまれたみたいに、女たちの輪を見定め、細やかな変化を見逃さない。男の肉体の異物感を映したショットは、さすがS・コッポラお手の物。はじめて目にした驚異を呼びさます。 5 白いゴシック 男の行く手をふさぐように、白いドレスの裾をふわりと広げる女たちの仕種にぞくっとする。全体に靄がかかったような色彩の設計がなされている。パステルカラーが褪せて時間の格調を、レースが光を透かして希望を、フリルが揺れて夢をもたらす。純潔の色とされる白が、女たちの無垢にも献身にも誘惑にも不安にも期待にも恐怖にも移ろうグラデーションのドラマだ。古城のような館で起こるサスペンス劇、ホワイト・ゴシック・ホラーと名づけてみたい。 6 ここはどこ アントワネットを演じたキルスティン・ダンストが、本作で中心的な役を演じているのがおもしろい。アントワネットのエンディングは、史実では斬首刑、映画では夢の逃避行だった。本作のダンストが最後に見せるものは、女性の愛と自由と力をめぐって、より複雑で現実味のあるアイロニーだ。檻の中の風景に見るは、幽閉か、解放か。
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1 / 3ニコール・キッドマン、キルスティン・ダンスト、エル・ファニングといったS.コッポラ映画史上もっとも豪華ともいえるキャストによる本作は、第70回カンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞するなど多くの話題を呼ぶ。2月23日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国公開。
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Text: Junko Gosho Edit: Shun Sato, Akira Takamiya