4月に代官山 蔦屋書店で開かれたトークショーに弊誌編集長 中島敏子が登壇。写真家の奥山由之さんをゲストに迎え、数々の写真を見ながらGINZAの足どりを振り返った。まだ無名だった奥山さんとの出会い、そしてメインカメラマンとして抜擢したエピソードから始まったトークは、ふたりの人生観、そして雑誌の使命へと展開し──
GINZA編集長 写真&モードを語るスペシャルな夜 後編

中島敏子(以下中島):今日はお休みのところ、みなさんいらしていただいてありがとうございます。私がGINZAをはじめて丸7年、恐らくこれが最後の仕事になると思います。
奥山由之さん(以下奥山):え、そうなんですか?
中島:(2日前の)金曜は、私が手がけたデビュー号2011年5月号を撮ってもらった水谷太郎さんと対談をさせていただいて、今日は奥山くんにフィーチャーして、GINZAで撮った写真を懐かしく眺めながら奥山さんの成長ぶりを振り返る会にしたいなと思ってます(笑)
中島:まずは2015年の12月発売の特集。一冊まるごと奥山くん特集。これをきっかけに、活躍の場が増えましたよね。
奥山:15年か…もっと前に感じます。
中島:そうだね。この特集の何がすごいかというと、このとき、奥山くん全然無名でした!まだ24歳だった。
奥山:一号を丸々全部背負うには、まだキャリアが足りない感じでしたよね。
中島:この企画は奥山くんの持ち込みだったんだよね。
奥山:企画が決まる一年半前くらい前に中島さんにメールして、こういうことをやりたい、と伝えました。それから結構時間が経ってから、実現しましたよね。
中島:A4用紙5枚の企画書。それから、ものすごくーーー熱い話しをして。プレゼンしてくれたんだよね。カメラマンのプレゼンで特集が決まるなんてファッション雑誌では珍しい。私にとって、賭けでした。
奥山:そうですよね。「これ撮りたいんですよ」と話したら、中島さんが「いいね、やろうよ」って言ってくれて、本当にびっくりしました。
中島:じつはこの企画を販売部に説明したときは、全員キョトン。「ダレですかそれ?」って。でも一大プロジェクトとして編集部の精鋭を2名送り込んで、まる二か月かけて撮りまくったんですよね。
奥山:毎朝ロケバスに乗って、スタイリストさんも途中下車と途中乗車を繰り返して3人入れ替わった日もあったりしながら、東京とパリで撮らせてもらいました。思い返すと本当にあんな日々があったのかと思うくらい壮絶な時間でした(笑)
中島:来る日も来る日も撮影してね。予算のことで言うと、1企画6〜10ページくらいを普通1日で撮るんです、ファッション誌っていうのは。それが、1日1カットだけだったりね。
奥山:カットによっては、一度撮り終わったのに、また翌日に撮り直したり…。予算面、きっとご迷惑おかけしました、よね…。
中島:その辺はスタッフがうまくもみ消した(!?)のかな。お金はいろんな方に無理をいって、なんとかしてもらいました。
奥山:撮影のコンセプトは何度も練り直しました。どう表現したら、意図しているところが伝わるのか、突き詰めて、突き詰めて。
中島:パリで撮った写真もあるね。
奥山:撮りたい場所が細かく最初から決まっている場合もあれば、”この人”という被写体を基軸に画を発想していくこともありました。
中島:唐突に荒川良々さんが出てきたりね。カップルがずっと英語で喧嘩してる。
奥山:演劇のエチュードのように、ずっと喧嘩してるところを、撮らせてもらって。なんでこんなシーンを撮ろうと思ったのか、今はもう思い出せないのですが。
中島:この白いモヤモヤは?
奥山:雲を模した綿ですね。このカットは、全ての組み合わせに違和感を持たせたくて、どうしても室内に雲を作りたかった。
中島:綿…そういういろんなアイディアが企画書の段階ですでに500個は書いてありましたからね!
奥山:これは、まず”真俯瞰で撮る”という条件だけを先に決めていて、その撮り方でこそ活きる服をスタイリストさんに考えてもらいました。画角から発想していく撮影なんて、ほとんどないですよね。ただそういった特殊な制約をドンっと設けて、その視点からファッションを覗いてみると、意外と新しい気付きがあるのでは、と思ったんです。ファッションを写真で伝えるということがどいうことなのか、僕はこの仕事を始めてからずっと疑問があったんですよ。同じもので溢れ、ただ情報として消費される”ファッション”が垂れ流しになっていないか。どこか楽しんでいる感じがしない、というのか。せっかく”写真”なんだから、もっと違った伝え方の可能性があるんじゃないのか、と。そこで、今一度”ファッションを伝える”というのがどういうことなのか、一緒に考えようよと言ってくださったのが、中島さんだった。もちろん、現状を否定したいわけではないんです。機能としての写真の役割もあるので。「こういうのもあると思うけれど、どう?」って読者の方々に投げかけたかった。何かしらの疑問や探究心がまずあって、それを紐解くべく立ち向かう、それがGINZAの姿勢。最たる存在と言っていいと思います。
中島:これはオフィスを外に持ち出したイメージですね。
奥山:公園の警備員さんに怒られてしまって「演劇の練習です」とか、ごまかして。
中島:まさかファッション写真を撮っているとは思わないでしょうね(笑) 。GINZAなりの、リクルートスーツじゃないOLファッションの写真を提案した撮影でした。この特集は、結局10人以上のスタイリストが関わってくれたんですよね。打ち合わせ、最初は大変でした。一番年下だし。本来はベテランのスタイリスト主導で撮影方法を決めるけど、「今回は奥山くんが座長だから、ひとつよろしく!」という感じでスタートしました。とんでもないアイディアにみんなきょとんとしていたよね。まずアイディアが実現可能か可能じゃないかの検証から打ち合わせを始めないといけない。
ひとつのイメージに向かって
言葉を尽くして語る
奥山:写真が仕上がるまでは言葉でのやり取りしかできない中で、みんなでひとつの共通イメージに向かってにじり寄っていかなければならない。当時の僕は、言葉での説明がすごく苦手で、この撮影を通して訓練されました。一日中打ち合わせが続く日もあるから、自分が何をしたいのか、多くのスタッフさんに全部言葉で説明しなくてはならなくて。結果的にそれを通して知ったのは、スタイリストさんの偉大さ。僕はスタイリストさんではないから、画を発想する上で、具体的に「あのブランドのあのルックを使いたい」とかまでは当然イメージ出来ていなくて。あくまでも、まずは、画全体のイメージを伝えるんです。言葉で。それなのに、撮影当日、用意した空間にモデルさんが立ったとき、僕のはるか想像以上の状況が目の前にあるんです。キャラクターの当て込み方、アプローチはスタイリストさんによって違うけれど、言葉でしかやりとりしていないにも関わらず、「この服しか考えられない!」というバランスになっているんですよ。服って面白いなあと心から思えたし、回を重ねるごとに「このカットはどんなルックが来るんだろう…」と撮影が楽しみになりましたね。結果的に、この特集を通して一番”ファッション”を学んだのは僕自身だと思います。
中島:私が驚いたのは、特集が始まって2か月経ったあとの座長ぶり。「仕切ってるわー」と頼もしく見ていました。よろよろっとはじめたのが、2か月後にはみんなに信頼されるディレクションができる立派な写真家になっていた。感動しました。
奥山:ありがとうございます。どういった言葉でやり取りするとどう伝わるのか、後半に入るにつれて分かってきました。当時は本当に1カットの撮影時間が長くて、時間も足りなくて、体力的にもハードだったけど、いま思い返すと、どんな服がくるのか楽しみにしながら撮影に臨んでました。そんな風にファッションを楽しめた高揚感が、読んでくれた人にも伝わっていたらいいなと思いますね。それから、いまのファッションの伝え方が間違っているという前提ではなく、「こんな伝え方も、あんな伝え方もできるんじゃない?」という疑問提起をしてみたかった。それが形になったことが本当にもう、驚きです。
中島:ね、本になりましたね。奥山さんの写真が入っているところが、GINZAが他の雑誌と圧倒的に違うところだなと、改めて思います。
奥山:本当ですか。
中島:GINZAらしさを明快に具現化してくれたのが、奥山くん。
世界一忙しい女の子たちの
背中を押す雑誌でありたい
奥山:そもそも2011年のリニューアルの時って、中島さんは何か言葉で説明したんですか。「こいう雑誌にするんだ」みいたな宣言を。
中島:私、けっこう喋るんです。東京の女の子は世界で一番忙しくて、ストレスフルで、満員電車に揺られて学校に通って、会社に入ったらお局様にいじめられたりなんやかんかあって、結婚するとかしないとか、結婚したら今度は子供がどうとか、なんて言ってたら介護が始まったりして…やらなきゃいけないことだらけ。でも東京の子っておしゃれですから、勉強もするし、映画にも行くし。そんな女の子たちを応援するチアフルな雑誌でありたいなと思っていました。決して高みから「ほうら、パリコレではこんな服があるんだよ」と見下さない。明日もがんばろうね、って一緒にコーヒーが飲めるような存在を目指しました。ただ、テイストは微妙なので、いろんな趣味の人たちがいるけれど、中心になるのは、チャーミングでちょっと毒がある女性。そのあたりの女性像は当時のアートディレクターの平林奈緒美さんと共有していました。「これはいい」「これはよくない」っていうのを一緒に相談しながら進めましたね。
奥山:平林さんにお願いした理由は?
中島:平林さん以外には絶対考えられなかった。平林さんの作っていたものが大好きだったので、きっと自分と感覚を共有できる人だろうとは思ってました。平林さんも私も、既存のファッション誌に疑問があって、そこに一緒に立ち向かった。リスペクトできる戦友のように感じてました。
奥山:たくさんの雑誌がありますけど、GINZAは誌面の奥に架空のキャラクターの存在を感じる。輪郭が見えるような見えないような「GINZA」という語り手が。もや~っと話しかけてくるんですよね。個人の癖みたいなものもページから感じるし。どこかに偏りがないと、そういうキャラクター性って見えてこないと思うんですよね。中島さんの趣味嗜好も、大いに入ってます?
中島:自分を飽きさせないようにね。
奥山:どこか人間の”癖”みたいなものを感じるんですよね。
中島:そんな奥山くんのデビュー作は、なんと柔軟剤の写真でした。2013年。
奥山:なんか笑えるこれ!お仕事をはじめたての頃だ!
中島:「若くて面白い人がいる」と気軽に撮影を頼んだら、出来上がった写真がこれです。あまりに素晴らしくて、編集部のみんなが腰を抜かした。
奥山:本当に初々しい写真。
中島:これ、フィルムだよね。
奥山:はい。じつは実家で撮影したんです。大量の柔軟剤を編集部から送ってもらって、ひとりで黙々と撮りました。そのあと3週間は柔軟剤の匂いが家中に充満して、大変でした。当時はスタジオで撮った経験もないし自信もなくて、ないからこそ、人にとやかく言われたくないみたいな思いもどこかにあって「ひとりで自宅で撮るんで、大丈夫です。来ないでください」とか言ってましたね。ああ、懐かしい。技量がない感じもするけど、「俺が撮るぞ!」という強い個の意識も滲み出ていますね。
中島:その気持ち、伝わってきます。この頃まだ学生だったよね?
奥山:そうです。
中島:これはファッション雑誌を読みましょうという特集。みんな、いろんなところで雑誌を読んでます。すごくかわいい写真。
奥山:雑誌を読もう!という特集を、雑誌が作るって面白いですよね。
中島:自分のなかにずっとあったテーマなんです。「雑誌って面白いんだよ」って、あえて自分で言ってみた感じです。
奥山:この撮影はモデルさんがたくさんいて、早朝マガジンハウスに集合して、ロケバスに揺られて、みんなでおにぎりを食べて。なんだか修学旅行みたいな一日だった。
中島:このアルマーニのタイアップも、奥山さん。
奥山:じつはこれ、洋服が見えてないって指摘をされて、編集者さんからはいちど「アルマーニに提案するのはやめよう」って言われたんです。でも意外なことにアルマーニからは「かっこいいですね」とOKが出た。物理的に服は見えていないけれど、逆に花があることで浮かび上がってくるイメージとしてのかっこよさがあると認めてもらえたんです。僕にとってまさに分岐点になったお仕事のひとつ。時に諦めないことの大事さを知りました。
中島:クライアントに恵まれたっていうこともあるけど、もちろん地慣らしもしたよね。「まあ、GINZAだから仕方がない」と言ってもらえた部分もあるし、このあといろんなクライアントさんが「奥山さんが撮ってくださるなら!」とリクエストしてくれたりしたんですよね。私がGINZAを手がける前に感じていたことのひとつに、日本のファッション誌の写真って、ディテールまではっきりくっきり写っているのがよしとされる傾向があった。そこにずっと違和感があったんです。だからGINZAを作った時に、洋服を写しながら、その向こう側の世界観も同時に感じてくださいというメッセージが社会に受け入れられたのが、私はとても嬉しかった。
奥山:その意味でGINZAがなかったら僕の人生は大きく変わっていたと思います…(笑)
中島:タイアップの打ち合わせで「カメラマンは奥山さんでいきます」っ言うと、みなさん覚悟して、諦めて(笑)
奥山:(笑)
中島:「わかりました…」っていう表情になるんですよね。でもそのかわり、写真は非常に素敵。
中島:これは宮沢りえさんを撮ってもらった号。2014年の7月号ですね。
奥山:それはそれは緊張して…
中島:ヘナアート使ってね。りえさんの美しさに、さらに美しさを加えて、素晴らしい世界観でした。そうですか、ビッグネーム、緊張しましたか。
奥山:ドキドキしましたね。スタイリストの近田まりこさんが、撮影中にいきなり、宮沢さんの足元にピンクのスカーフを一枚はらりと広げてくれて。なんてことない布なんだけれど、仕上がった写真を見て、スカーフがあるのとないのとでは、色も重感も、全体のバランスがまったく違うなあと思った。
中島:GINZAのまわりのスタイリストさんたちは本当にすごいんですよ。6カットを撮るために200枚近く用意したりね。ただ服を集めてコーディネートするだけじゃなくて、絵を作ることを第一に考えて洋服以外の物もたくさん現場に集めてくれるんです。何があっても大丈夫なように。まさに現場力。ファッションと写真が合わさって、ファッション写真がある、そう感じさせてくれた現場でしたね。
中島:こんな風にお花を撮ってもらったこともありました。小原流120周年のタイアップなんですよね、これ。
奥山:花を生けるっていうことは、つまり切ったもの、死んだものを、飾ることで再び生命を宿すってことですよね。小原さん(家元の小原宏貴さん)は生物の生き死にをどう考えているんだろう?ってことを足がかりにしてイメージを固めました。人が生まれる場所であり、同時に死を迎える場所で撮りたいなという結論に至って、「あ、それってベッドだな」と。ベッドを花の生命力が貫いていて欲しいって思ったんですね。地球に還っていくようなイメージで。小原さんも、面白い人で、どんどん花を突き刺してくれて。年代も近くて、色んなことを相談しながら進められたすごく楽しいお仕事でした。
中島:そうだ、家元も20代だもんね。
中島:そして4月号。春夏の8つのファッションテーマを、いま東京で大活躍している8人のカメラマンに撮ってもらいました。じつは撮影の前にチーム全員に同じ手紙を送ったんです。手紙というかレギュレーションなんですけど。〈みんな同じ条件にします、物撮りじゃなくてモデルを使ってください、カラーにしてください、裁ち落としにしてください〉みたいなことを書いて。いまのファッション雑誌の最高峰のものになると思うので、ファッション雑誌について考えてみて欲しいなという気持ちも込めて、手紙にしました。
奥山:なるほど。
作り手が込めた思いは
読者に届いているのか?
中島:ご存じのように、いま売れているファッション誌は「明日なにを着ていけばいいか」に答える分かりやすいものばかり。もちろん、それも大事なこと。でも、「この服を着てほしい」というメッセージだけではなく、「この服の先にこんな景色が見えるかもしれないよ」というイメージを届けたいと思いながら、私たちは雑誌を作っているんです。編集者のこの気持ちを、読者に伝えるためには、カメラマンやスタイリストにも共有してもらいたくて、ちょっとした檄文(?)を書いて送りました。そしたらみんな発奮してくれて。他のチームはどういうことをやるんだろう?ってライバル意識を燃やして。奥山さんにはスカーフとスカーフ状の服というお題をお願いしました。で、できあがってきたのが、この実験的な写真。(客席に向かって)どうですか、これ。「どうやって撮ったの?」と思うでしょ?とにかく、スタッフ全員スタジオで黙々と作業をしていましたね。音楽も流れていない。ラボでした、まさに。撮影前の試し撮りだけで10時間くらいかけてるんだよね?
奥山:そうですね。スカーフなので、まずは軽やかさとか揺らぎをどう魅力的に写すのがいいのかを起点に考えて。スローシンクロや連続発光という、初めての技法にもトライしてみました。スカーフってどこか民俗的意識を感じるというのか、人体になめらかに寄り添って、なんかこう、ダヴィンチの人体図的な発想もモヤモヤと同時に出てきて。いつの時代に誰が何のために撮ったのか分からない資料の様に見えたら面白いかなと。今回は中島さんからのお手紙をうけて、まずインパクトがあって手元に残しておきたい写真にしたいと思いました。違和感を残したいというか。試験的に撮ってみた、とも見えるリズム感を出したいと。そしてありきたりにならないように、近田さん(スタイリストの近田まりこさん)とも何時間も相談したりして…ん、というか、こうして見ると僕、近田さんと組むこと多いですね?
中島:当たり前じゃないですか(笑)。奥山くんをあそこまで理解できる人は、近田さん以外にいないかもね。これ(写真上から2番目 左ページ)って、一マスに8つ絵が入ってるんですよね。普通ひとつしか入らないところに。
奥山:そういう特殊なカメラを使いました。同じ画をこんなにもたくさん撮ると、まるで実験資料の手探り感がありませんか?「スカーフ関係ないじゃん」ってならないように、細かなところまで意識して作ったつもりだけれど、ちゃんと達成できてるかな…独りよがりになっちゃうと嫌なので。
中島:表現としても、技術的にも、素晴らしいと思いました。奥山くんの集大成。
奥山:こうやって思い出話がたくさんできる写真っていいですよね。みんなの気持ちがこもっているという証拠だと思います。もちろんトラブルやハプニングも多々あるけれど、こうして形に残せるのは、作り手として最高のご褒美です。
中島:奥山くんの写真は毎回毎回ドラマがあるからね。
奥山:ありますよね。
中島:目が離せない、気が抜けない人。GINZAを7年間編集してきて、これは奥山さんじゃなきゃだめだよねという企画は必ず奥山さんにお願いしてきました。それがGINZAらしさにつながったのではないかと思います。本当に、いろいろとありがとうございました。
奥山:こちらこそ、ありがとうございました。
中島:5月売りのGINZAからは編集長も変わり、フレッシュな号になります。今後もGINZAをよろしくお願いします。では、質問コーナーに行きましょうか。
【質問者1】
ウェブのデザイナーをしているという女性
──魅力的なデザイナーに必要な資質とはなんでしょうか?それと、中島さんの今後の去就を教えてください。
中島:まず、アートディレクターについては、よくいろんなものを見てチェックしています。ただ、平林さんのときは、本当に彼女しかいないって思っていたんです。あのタイミングでは平林さんしか考えられなかったですね。アートディレクターって、「そのときのこの人」っていうタイミングがすべてなんです。今、この人!と思ったタイミングで仕事をしないと、すべて歯車が狂ってしまう。すごくいいデザイナーでも、「今この人は違う」という場合もある。よく言うんだけど、編集者はピッチャー、アートディレクターはキャッチャーだと思うんです。編集者の思いを最後に受け止めて誌面に落とし込むのはデザイナーなので、カチッと受け止めてくれるキャパの広さが大切です。自分は暴投タイプなので、それを受け止めてくれる人と私は一緒に働きたいですね。仲良しの松本弦人さんや小野英作さんも、個性がものすごく強いけど、実は優れたキャッチャー。今後の去就については…ぶっちゃけ白紙です。雑誌をやらないわけではないけど、紙じゃなくてもよくて、ファッションの動画をやろうかな…?有休消化の間にゆっくり考えて、とりあえず就活します!
【質問者2】
GINZAが大好きだという、就活中の大学生
──『ファション雑誌を読みましょう』特集を読んで出版社を志しました。中島さんも奥山さんも、正解のないものに対して挑戦している人。影響を受けた人やものを教えてください。
奥山:人が作ったものをたくさん見るほうではないので、影響をどう受けているのか分からないのですが、ひとつ言えるのは、僕の場合はコンプレックスが常に挑戦する心の根底にあるかもしれません。内向的な性格も相まって、青春時代にたくさんのコンプレックスを抱えてしまって…常に怖さとか悔しさ…そういうことが全部自分に影響を与えているのかも。お仕事に限ったことではなく、とにかく、自分が嫌われているのではないか、必要とされなくなってしまうのではないかという恐れを抱いていて「あれでよかったのか、もっとできたんじゃないか、なぜこんなにも上手くいかないのか」って常日頃から思うんです。その気持ちが逆にエンジンになっているのもあるかもしれません。あ、でも外的な影響もありますね。ディーター・ラムスという工業デザイナーが大好きで、彼の物作りにおける精神力は目標にしています。あとは、中学生のとき、ピーター・リンドバーグがコム・デ・ギャルソンのお洋服を撮った写真を見たときに、僕は写真を撮る人になろうと決めたんです。すごく大きな車輪の前にモデルさんが立っている写真。これがファッション写真なんだってことに驚いたんです。世界観を伝えることの強さ。あと…こんなこと言うとちょっと変なんだけど、僕は、自分自身にはあまり自信がなくて。
中島:ふうむ。
奥山:でも、自分の撮る写真は大好き。ものすごく自信があります。でも自分自身は嫌。そのぶん写真を愛せるようにしよう。そう思ってるんです。写真を通して出会う人にすごく助けられてる。「奥山くんに頼んでよかった」と言ってもらえると、もうそれはそれは嬉しくて、救われるんです。だから写真を手放したくない、というのもあります。っていう答えでいいのかな、すみません。
中島:とんでもない。そうなんだ…良い話ですね。私はマガジンハウスに入る前はリクルートにいて、営業優位の激しい営業の世界でがりがりに働いていて、『住宅情報』っていうめちゃくちゃ内容がカタい情報誌の中の編集記事を作ってたんです。意外に柔軟性があって、「ファッションじゃなきゃだめ、○○じゃなきゃだめ」ってタイプでもなくて。マガジンハウスに来てからは「絶対に人の真似をするな」と洗礼をうけて、一番最初になにかを編み出すということがしみついているように思いますね。編集者として誰かに影響を受けたことはないですね。末井 昭さんなんかは尊敬しているけど、憧れのファッション編集者は一切いません。うぬぼれやなんで、自分の編集最高!っていつも思ってます。自分が満足できるものを作ろうといつも思ってきたし、満足できないものを作ったときの落ち込みは…すごいものがあります。ただ、編集はスキルでもあるので、年を重ねると出来るようになったりもするんです。そこをマンネリしないように、奥山くんのようなフレッシュな方と仕事をすることで、初心を思い出したりするんです。(質問者さんに向かって)就活、お互いに頑張りましょうね!(笑)
【質問者3】
大学4年生になったばかりだという女性
──ファッション業界に魅力を感じているのですが、母が理解してくれません。うまく説得したいのですが…ファッションは社会にどんなことをしてくれると思いますか?
中島:ファッションの仕事をしていて本当に幸せだなあと思うのは、人をハッピーにせさせることができるっていうこと。例えば医者や弁護士はダメージを受けた人を救う仕事だけど、ファッション編集者はゼロから+αを作れるんです。いまの若い人たちには、未来に希望を持ってほしいって強く思います。震災の少しあとで、あるブランドの方からこんな話を聞きました。生きていくことにも苦しんでいる人たちがたくさんいるなかで、自分たちの仕事っていったいどんな意味があるんだろう?って考えていた時期だったんですね。そんなとき福島のある女性が、ブーツを買いにとあるお店に来たそうなんです。「こんな時だからこそ買い物がしたいんです」って。冷たいおにぎりしか食べられない毎日でも、このブーツがあれば明日もちゃんと前を向いて歩いていける気がするからどうしても欲しい、ってその人は言ったんですって。活きる糧でしょう?おしゃれって。知り合いのお母さんの言葉なんですが、娘に向かって「女の子に生まれたからには、たくさん恋してたくさんおしゃれをしなさい」って。その通りだと思いますね。たくさんおしゃれをすると幸せになれる。それをお手伝いする仕事だと、胸を張ってお母様におっしゃってください。
あっという間の二時間でした! 編集長 中島敏子(左)と奥山さん。
■前編 写真家 水谷太郎さんとの対談はこちら
Text:GINZA