白くて丸い形をしたその物体が、卵と思って殻に触れてみたら、実はゴムのように柔らかくポンと弾み、両手でつかもうとしたら、羽毛の集合体に変わり、一瞬にして輪郭を失った……。
蒼井優さんはそんな多面性のある人だった。
思い違いを覚悟で言うと、蒼井さんは、超高性能な波長探知機を体に搭載しているようなもの。空間を支配する張り詰めた空気、相手の声のトーン、息遣い、言葉にする以前の想いまですべてを瞬時に感知して、それに対して偽りのない答えを返してくる。相手の投げるボール次第で、蒼井さんのまとう空気が硬質にも柔軟にも、優しくも辛辣にも変わっていく。それは、ピュアな役から汚れ役まで、物語のなかの人物にしか見えないと思わせる女優であることと無関係ではないように思う。
―取材の撮影はお好きですか?
「いまだに緊張します……。携帯のカメラで人のことを撮るのは好きなんですが撮られるのは苦手。この間、高畑充希ちゃんとサンフランシスコに遊びに行って、記念に写真を撮ろうということになり、恥ずかしいから顔交換アプリで撮っていたんです。帰りはひとりだったので、空港で思い出に浸ろうとスマホを開いたら、顔交換している上に、背景がほとんど写っていなかった(笑)。顔交換アプリは、寄って撮らないと交換できないんです。すごく美しい公園に行っていたのに、近所で撮ったのと変わらなくて、失敗したなあと思いました」
つい今しがた終わった、撮影中の凛とした姿からはとても想像がつかない。
「たぶん、自我が強いんでしょうね。映画の撮影でも、カメラが相手役に向いているときのほうが、のびのびと芝居ができている気がします」
では舞台はどうか。1月に出演した『アンチゴーヌ』では、ステージと客席の距離がものすごく近く、冷徹なクレオン王(生瀬勝久)に果敢に立ち向かうアンチゴーヌ(蒼井優)の真摯な姿に、観客は息も忘れて引き込まれた。
「舞台は、自我が残っていると恥ずかしくて演技ができなくなってしまうので、スイッチを切っているんだと思います。カーテンコールで拍手をいただくとき、お客さんってなんて優しいんだろうと毎回思います。その優しさに触れられるのはとてもうれしいのですが、スイッチが切れているので、恥ずかしさも一気にこみ上げてくるんです。自我なんかないほうがいい、とずっと思っているのに、私の自我はなかなかしぶとい。恥ずかしがっているところも、自分では好きではないです。プライベートの友達との記念写真くらい、構えずに楽しく撮ればいいのにと思うのですが(笑)。なんでもOKと思える人に憧れます。でも、いまさら変われませんから」
表舞台に立つ人の素顔がシャイであるケースは少なくない。でも、『アンチゴーヌ』しかり、映画『オーバー・フェンス』のエキセントリックな聡しかり、数々の賞に輝いた『彼女がその名を知らない鳥たち』の身勝手な十和子しかり。あれほど振り切って役を演じられる蒼井さんが、そんな想いを抱えているなんて。
「自我が強いわりに、自分にそれほど価値を感じていないという矛盾もあります。カーテンコールなどで、お客さんが熱い歓声をくださったとしても、それを全身で受け止めることができない。それができればさぞかし楽しいだろうと思うのですが、(思い切り腰を引いて、両手を前につき出し)『す、すみません!もう大丈夫です……』という気持ちになってしまいます(笑)」
人気女優として、周囲から持ち上げられることに慣れて、勘違いをしてはいけないという戒めからブレーキをかけているのかと思ったら、そうではないらしい。
「そもそも人気はないですし。ないと本当に思っています。そう感じてしまうのは、自分がもともと持っている気質なんだと思います。この仕事を続けるうちに、そんな気持ちが澱のようにたまってきている。はたからみれば女優さん……なんでしょうけど、女優であることに特別何も感じていなくて」
人気女優っていったい誰のこと?とでも言いたそうに、ぽかんとした表情で蒼井さんは話を続けた。
「私は女優というより、映画を作る一員という感覚なんですね。俳優部だけ特別に扱われることも正直多いですが、私が好きなタイプの現場は、役者もスタッフさんも同じ制作陣として、仲間に引き入れてくれる現場。みんなで一緒にコツコツ作業を積み上げていくのは本当に楽しいです。舞台の稽古も大好き。ああでもない、こうでもないといろんな芝居を試したり、役の年齢を共演者と考えてみたり。稽古を積むほど、疑問が次々にわいてくる。できることなら、一生稽古をしていたいくらいです」
〝演じている私を、さあ見て!〟ではないのである。研究者気質というか、真理追求型。子どものころは理科の実験や算数が好きだったというから、人間の本質を突き詰めていく、役を通して物語を語るという作業は蒼井さんにはぴったりなのかもしれない。
蒼井さんが生まれ育ったのは福岡県。宝塚歌劇団が好きだった母の希望で、2歳からクラシック・バレエをならっていた。13歳のときにミュージカル舞台『アニー』でデビュー。映画人生のはじまりは、岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』だった。その後の映画、ドラマ、CMでの活躍ぶりは周知の通り。
蒼井さんのすごいところは、出演作にハズレがないところだ。最近の映画でいえば、大御所である山田洋次監督から、新進気鋭の松居大悟監督、王道のエンターテインメントから文芸作品まで、作品の幅が広い上に、どれもうなるほど面白い。
「たまに失敗もありますが(笑)、9割5分は本当に面白い作品だと自信を持っています。いい作品にばかり出させていただいていますね」
―面白い作品を選びとるコツ、基準は何ですか?
「ホン、です。……基本的に脚本。キャリアの長短にかかわらず、本当にいいスタッフさんとばかりお仕事させていただいているので、映画への想いが深い人たちと作っていれば作品も自然と面白くなります。仕事と割り切って、1カ月の撮影をこなすスタンスだったら、こうはなりませんが、みんな求められる以上の熱意と労力を注ぎますから。そんな人たちとものを作るのは本当に楽しいです」
最新作はアニメーション映画『ペンギン・ハイウェイ』である。原作は森見登美彦の小説。
「この作品に声の出演をすると発表があったすぐあとに、めずらしく兄から電話がかかってきたんです。兄は森見さんの小説の大ファンで、そのなかでも一番好きなのが『ペンギン・ハイウェイ』なんだと話していました」
主人公は、勉強ができて少々生意気な小学4年生のアオヤマ君だ。郊外の住宅地に突然謎のペンギンが現れ、アオヤマ君とその友達たちは、真相解明に奔走する。蒼井さんは、アオヤマ君が敬愛し、淡い想いを抱く歯科医院の「お姉さん」を清々しく演じた。
「アオヤマ君とお姉さんは、お互いに人としてものすごく信頼し合い、年齢や性別などを超えて深く通じ合っている。そこがすばらしいし、だからこそ、いとおしい物語になったのだと思います」
アオヤマ君は自分が特別な存在であることをよくわかっており、大人になったら偉くなりすぎて、結婚をしてほしいと女の人が押し寄せるところまで妄想するような、キュートな自惚れ屋である。
「子どもだからかわいいけれど、もし現実にいたら、ちょっとめんどくさいやつかもしれませんね(笑)。こういうタイプは、おそらく高校受験ぐらいで1回失敗して勉強する気を失うんじゃ……そんな夢のないことを言ってはいけませんね(笑)。アオヤマ君には幸せになってもらいたいと思っています」
蒼井さんが声優を務めるのはこれで4度目。『鉄コン筋クリート』のシロや『キャプテンハーロック』のミーメと違い、「お姉さん」はキャラクターの立った人物ではなかったため、声のトーンをどこに定めるかにまず苦心したという。
「アニメの場合は、セリフを言うタイミングも秒数も決まっていますし、実写ならばミリ単位で表情の動きをつけられるけれど、アニメは間をそぎ落とし、必要な動きだけが画になっています。そのぶん、声に表情をのせなければいけないのですが、お姉さんはポーカーフェイスで、ミステリアスな部分を出さなければいけなかったので、難しかったです」
どこか中性的で落ち着いた蒼井さんのお姉さんの声は、とても耳心地がよかった。アオヤマ少年らのひと夏の冒険を、水や緑のキラキラした風景とともに見事に描いてみせた本作。話題は自然と蒼井さん自身の子ども時代、夏の思い出に変わっていった。
「平均的な、子どもらしい子どもでした。高いところに登るのが好きで、しょっちゅう登っていた。夏休みは、山のほうに住む幼なじみの家にお泊まりにいって畑を散策したり、野生のグミの実を食べたり。あるときカエルが足にのってきて、友達に『イボガエルだからイボができるよ』と言われて泣きながら帰ったことも(笑)。友達家族と壱岐の島でバーベキューをしたり、蛍を見に行ったり、自然にたくさん触れていました。父は星好きで、七夕には毎年、空気のきれいなところに連れて行ってくれました。でも、七夕ってほぼ毎年曇るんですよね(笑)」
教育熱心な父で、テレビもマンガもほとんど見せてもらえず、自分の頭で考えるという本当の勉強を教えられた。蒼井さんの演技を支える繊細な感受性と深い洞察力は、父の教育によって育まれたのかもしれない。蒼井さんは8月生まれで、いまでも夏は好き。やはりテンションがあがるのだという。
「誕生日が8月17日(『ペンギン・ハイウェイ』の公開日!)でお盆だったので、クラスのみんなに祝ってもらうような思い出はないんです。夏休み明けにみんなよりちょっといいお土産をもらったくらい(笑)。夏になったら、滝壺に飛び込みたいという夢を高校生くらいから話しているのですが、いざ夏になると外に出る気がしない。ひとりで行くのもなんだし、なかなか実現しません。涼しい部屋で、友達と好きなアイドルのDVDを観るのが一番かも」
蒼井さんはハロー!プロジェクトのアンジュルムの大ファン。「アイドルの」と口にするとき、ちょっと恥ずかしそうに体をくねらせた。今度の誕生日で33歳になる。
映画好きであれば、どんな人とも認め合える。「年々、自分だけが楽しければいいとは思えなくなってきますよね?相手役の方とセリフを交わすのが楽しいとか、みんなで作るから楽しいとか。選択に迷ったときは、楽しめそうなほうを選びます。楽しめる自信がないときは無理に選びません。いろんな人にこの世界の楽しさを知ってほしいと思います。3月に日本アカデミー賞をいただいたとき、『学校とか新生活とか、もし辛い人がいたら、ぜひ映画界に来てください』とスピーチしたら、本当に映画界に入ってくれた人がいたんです。いまAPをしているのだとか。それがものすごくうれしくて。映画界には困ったさんもたくさんいますよ(笑)。子どもみたいな男子や、ガラッパチな女子とか。でも、映画好きであれば、どんな人も認め合えます。ニュースでいじめの事件などを見ると、映画界に来ればそんなことにならずにすむだろうにと思ってしまうんです」
懐の深い映画界という野山を、蒼井さんは今日も仲間とともに全力で駆け回っている。