「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.122 一人だけど、一人じゃない
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.123
素直に生きる

vol.123 素直に生きる
食べることが嫌いな人っているのだろうか。
「類は友を呼ぶ」ということわざの通り、私の周りには食に時間と労力を惜しまない人ばかり。むしろ、かけた時間と労力の分だけ美味しいものに出合える、と考えている人が多い。だから県を跨いで車を走らせたり、電車を乗り継いで目的地へ向かったりするのも、すべては「美味しい!」に辿り着くためのプロセスであり、スパイスなのだ。
食べることが好きだからといって、惰性で何かを口にすることはない。旅行先でも基本的な移動手段は徒歩かサイクリング。お腹を空かせるためのアクティビティにも熱心で、海で貝殻を拾ったり、山に登ったり、神社に参拝したり。とても充実した旅になる。食べることへのエネルギーは生きるエネルギーに比例すると私は思うのだけど、稀にお目にかかる、食に興味がない人にもかなり助けられている。
例えば、今日は絶対に仕事が終わったらサムギョプサルを食べよう、と思ったとする。そうするとイマジネーションは止まらない。
最初は瓶ビールと小グラス。豚肉が焼きあがるまでのアテは、お代わりし放題のキムチ。壺からトングで出したそれを少し大きめにハサミでカット。キムチの塩味と辛味でビールが進み、鉄板で音を立てている豚肉を見つめていると、チャプチェのおでまし。このタイミングでマッコリを甕で注文し、あとはもう!勢い良く啜り、勢い良く飲む!数分後には店員さんがトングとハサミを持ってテーブルまで来てくださり、こんがりキツネ色の豚肉をカットしてくれる。サンチュのベッドにカリカリの豚肉を寝かせ、上からコチュジャンのお布団を掛け…なんてうっとりしていると、マッコリが運ばれてきて、もう完璧な宴!
自分でもびっくりするのだが、「サムギョプサルが食べたい」と思った時には、この一連の描写全てが頭の中で再生されており、日中幾度もシミュレーション済みなのである。もうこれは本当に食べない限り終わらない。そして、食へのこだわりが強い私がこうなら、周囲の人間も同じようにどうしても!今日はこれが食べたい!があるのが当たり前で。このタイミングが重なってしまうと本当に厄介。お互いがお互いに、その気持ちの強さ、想いの丈が分かるだけに、3回戦ジャンケンは大袈裟ではなく決死なのである。
なので、よく男性を困らせてしまう、と言われている、「何食べたい?」に「何でも!」で返すのは駄目みたいな件のくだりは、私にとってはウェルカムな回答なのだ。なので何が言いたいかというと、やっぱり自分らしく生きるのが良いということ。無理にここに行きたい、とか、何が食べたい、とか言わなくても良くて。こんな自分じゃ駄目なのかな?って思っている部分こそ、君じゃなきゃ駄目だよ!って言われるチャームポイントになったりするから。みんな自分に素直になって生きよう。という何とも壮大な締めくくりになってしまったのでした。
Text_Leo Ieiri Illustration_Hagumi Morita